ファイナル・クエスト 1 プログラマーの憂鬱

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「ふわぁぁぁ……」
アゴが外れんばかりのあくびをして、タダシは座ったままのびをした。ぽきぽきぽき……と、体中の関節が音を立てる。
低い唸り声を上げて点滅している眼前のモニターには、プログラミング言語がのたくっている。こぎれいだったシステムデスクの上は、元来あるべき諸々の書類に加え、栄養ドリンク剤、バランススナック菓子、胃腸薬……それらがところ狭しと散らばっている。
「なんでだろうなぁ……うーーん……わっかんないなぁ……」
いまいましげにうめくその顔も青白く、目には濃いクマが浮かび、頬はげっそりこけている。横からつつけば、ひびが入って壊れるのではないかという雰囲気である。

ここは新進ゲームソフト会社、『忍々堂』の開発室。タダシは、新タイトル制作のため、居残って作業を続けているのだった。
納期をギリギリまで遅らせたが、その猶予も残り少なくなっている。今日で何日目の完徹だろうか? 曜日感覚、日付感覚、意識……全てがもうろうとしている。

企画段階からかなり深いところまで関わらせてもらった、一大プロジェクト。万全の体調で、良い物を作りたい。その為に開発期間には十分な時間を割き、余裕を持って進めているはずだった。
しかし、最終段階で、大きな問題が立ちはだかった。
エンディング部分が出ないのだ。仕様では、大ボスの魔女をたおしたところで、エピローグとスタッフロールが流れる。しかし、別のパートで作ったその部分が、どうやっても呼び出せない。ロジック(プログラム記述)的には問題はないはずだ。まして、初めて挑戦する手法でもない。全プログラムも、モニター上だけでなく、紙にプリントアウトして、何度も何度もチェックした。他の人間にも訊いてみた。
あらゆる手は尽くしたはずだ。なのに、どうしても直らない。

堂々巡りが続く中で、自分の下にいるメンバーの疲労も蓄積されていった。
皆そろそろ限界だろうとみて取ったタダシは、ここしばらく、「このぐらい、一人で何とかするから」と、他の者に、たまっている振り替え休暇を取らせ、自分一人で作業をしているのだった。

辛くないと言えば嘘である。本当は自分だって誰より早く帰って、ゆっくりと休みたい。だが、自分はチーフである。そして、他のメンバーの気持ちを考えてしまうと、つい、損な役回りを演じてしまう。良く言えば優しい、悪く言えば、貧乏クジを進んで引いて自滅する……タダシは、そんな性格だった。

「はぁ……この時間か……」
ふと、腕時計―既に自分にとっては何の意味も持たない「定時」を指している―を見て、げんなりとした調子でつぶやいいた。やがて……

『ハァーーーッニンニン!』

不必要にハイ・テンションな声と共に、白ヒゲの老人と、中年の男性、それに、若い女性が飛び込んできた。

「仏壇作りからゲーム開発へ、時流に乗って華麗なる転身!
『子供に希望を大人に絶望を』がモットー。それが! 我が忍々堂!」
『ニンニン!』
「しかしどうしたことか、作るソフトの全てが売れず、会社は赤字の一途をたどるのみ……」
『ニンニン……』
「そこで! 今度こそはと社運を掛けて、今! 世に問う!!」
「これまでのゲームなんて敵じゃない! はやりの要素を全て詰め込む、超ド級大作RPG『ファイナル・クエスト』!!」
「これでダメなら一家は離散!」
「社長は散々!」
「この一本に全てを掛けて!!」
「『ファイナル・クエスト』近日発売!!」
『ハァーーーッニンニン!!』

まわりのことなど全く意に介さず、三人は、ものすごい勢いで一気にまくしたてた。最後には、キメポーズのおまけつきだ。一方のタダシは、ティッシュで作った耳栓を詰め、黙々と作業をしていた。いつものことだからだ。

「……と言うわけでだ。進み具合はどうかね? タダシ君?」
ポンポンと肩を叩きながら、白ヒゲの老人―社長が声を掛ける。
「頼むよぉ! なんと言っても、君の双肩に、わが社千人の生活がかかってるんだからねぇ」
つかんだ肩をゆさゆさと揺らし、真剣な、しかし良く聞くと奥底の方で気楽なセリフを吐く。
「社長のおっしゃる通りだ。そしてその為には、一刻も早く発売せねばならん。もう待てんぞ。宣伝費もバカにならんしな。ま、そう言うわけでだ、明日の午前中までに、必ず、マスターロムを仕上げてくれ。できるよな?」
うんうんとうなずきながら、もう一方の男性―部長が話す。
「でぇぇぇぇっ?! あっ……明日の午前中ですか?! そんなぁ……」
絶句するタダシだったが、
「なぁに、後一日ぐらい完徹すれば、何とかなるだろう? はっはっはー」
背中をバンバン叩きながら、部長がカラカラと笑う。
「…………」
あんぐりと口を開けていたのは、あきれかえっていたからだ。
「(まったく、気楽に言ってくれるよ……)」
しかし、逆らえないのは分かっている。急いでいるのも事実だ。
タダシは、大きなため息と共に、観念したようにつぶやいた。
「はぁ……分かりました。で、あの……お願いがあるんですが、いいですか?」
と、若い女性―社長秘書のリンコに顔を向ける。
「なあに?」
何を考えているんだか分からない、あるいは何も考えていないのかもしれない、満面の笑みが返ってくる。
「守衛さんに、電気をつけとくように言っといて下さい。暗いと、寂しいから……。それと、差し入れに肉まんが食べたいです……」
「おやすいご用よ!」
「じゃあ、私たちは帰るから。がんばってくれたまえ」

そして、三人はバタバタと帰っていった。再び、部屋はコンピューターの静かなうなり声のみとなった。
「はぁ……まったく…………」
タダシは、ドア越しに怒鳴りちらしたいグチを、ぐっとのみ込んだ。

いつもこの調子だった。以前勤めていたゲーム会社から好条件で引き抜かれ、業種転換したばかりの忍々堂で働くことになったは良い。が、いざ企画を説明する段になっても、上の人間がゲームのことを全く知らないのだ。ゆえに、実際に現場で開発しているスタッフからすれば信じられないような企画の変更要求や、スケジュールを押しつけてくる。
結果、出た製品はタダシ達の思い描いた物とはかけ離れた物となる。売れないのも、当たり前と言えば、あまりに当たり前であった。
それでも、言われたからには一生懸命やらねばならない。内容がどうであれ、自分が心を込めて作ったソフト達なのだから。
特に今回は、どこまで本当か分からないが、社運が掛かっている。千人はマユツバとしても、他人の生活がかかっているのは確かだ。そこを考えてしまった時、いつも怯えと誇りの同居する震え―武者震いなんて上等な物ではないが―が起きる。だからこそ、一層心を込めて作ろう……そう決意するのだ。

タダシは、気合い入れ半ば、ヤケクソ半ばで、リンコに買ってきて貰った肉まん五コを胃袋にねじ込み、作業の続きにとりかかった。



「あー……やれやれ。やっぱりだめだなぁ……あーもう!」
魔女にとどめを刺したところで凍り付くゲーム画面。もう何百回も見た。
「あーもう! あーーーもうっ!!」
いらだちまぎれに、バリバリと頭をかきむしる。その度に、バラバラとフケが飛び散る。……そういえば、前に熱い湯船に浸かったのは、いつだったっけ?
我に返り、机に散乱する白い粉をちり紙で掃除しながら、そんなことが頭を駆けめぐる。
「はぁ……溶けるぐらいまで、ゆっくり風呂に入りたいなぁ……」
空気圧式のOAチェアに思いっきりもたれ掛かり、見るともなく天井に目をやり、しばらく叶いそうにない願いを口にした。
「ふ……ふぇっくしょん!!」
空想の湯船はやはり冷たい。オフィスは、経費節約のため、定時後は空調を切っている。そのため、今は春先で日中暖かくなってきたとは言え、夜は冷えるのだ。
「トイレ、トイレっ……と」
タダシは、不意に尿意に襲われ、よろよろとおぼつかない足どりで、トイレへ向かった。

「ふぅっ……」
栄養ドリンクの飲み過ぎだろう。毒々しい黄色の尿が、不健康そのものの甘ったるい臭いと共に、便器に吸い込まれていく。
「よっ……」
タダシが、おもむろに水洗のヒモを引き、くるりと背を向けたときである。
何か違う空気を背中に感じた気がした。何気なく肩越しに、ふっ……と振り向く。
「ん?」

(ずごごごご……)

いつもなら、汚物を処理し終わり、短い時間で収まる水の渦が、収まっていない。それどころか、音と共にどんどん大きく、速くなっているようだ。
「っ……かしいなぁ。壊れてんのかな?」
再び体を便器に向け、身を屈めて、中をのぞき込むような格好になった時である。

(ゴゴゴゴゴゴゴゴ!!)

渦は一層激しさを増し、そして……
「え? う……うそ……すっ……吸い込ま……う……うわぁぁぁぁーーーーっ!!」

(ズボゴゴゴゴォォォ……ッ!!)

タダシは、便器の中へのみ込まれていった。

つづく

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