D's NEST

ファイナル・クエスト 2

2.魔女の憂鬱

「あーあ、暇だなぁ……」
石造りの巨大な城の中、同じく巨大な窓際に腰掛けて、つぶやく人影があった。

窓からは、だだっ広い野原と、森しか見えない。野原に生える草はみんな同じだし、森を成す木は、全て同じ背格好だ。単調な景色である。
「モンスターをからかうのも、もう飽きたし……だーれも来ない。つまんないなぁ……」
絵の具を塗ったように真っ青な空に目を遣り、少女はため息混じりでもう一度つぶやいた。

(ひゅぅっ……)

窓から風が吹き抜ける。いつでも同じ、変化に乏しいさわやかな風が、肩までの短い髪をとかす。
「うぅっ……やっぱ、こんなカッコしてると、冷えるわねぇ……」
彼女の服を分かりやすく言えば、ボディコンスーツをもっときわどくしたような物だ。その上には、黒いマント。傍らには、ツバの大きな、とんがり帽子が置いてある。
下の服は露出部分がかなり多いため、当たり前だが、冷えやすい。それを纏う体は、いくぶん小柄な少女のものである。明らかに不釣り合いであった。
「でも、あたし、こんな服しかないんだもんなぁ……」
しかし、彼女―クリープはこれを身につけなければならない。どんなに着替えたくとも、この服しか持っていないからだ。

「トイレ、トイレ……」
ぱたぱたと、目的の場所へ急ぐ。慌てながらも、少し嬉しそうな顔がのぞく。彼女にとって、トイレはささやかな楽しみだからだ。
トイレも、城相応に豪華だ。ふつうの居間ほど広さがある。そこで、気を抜いて、ゆっくり用を足す。何にも考えずに、しばし、真っ白な気分でいられる。それは、のんびりしていながらも、どこか忙しない日々の中で、楽しみと言っても良いひとときだ。

いそいそとドアに手を掛け、思いきり開けたときである。

(ざっばぁぁぁっ)

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
「んきゃぁっ?!」

(ごちん!!)

一瞬、まぶたの裏に火花が飛んだ。
大音響と共に天井から降ってきたのは、大量の水。それと、男が一人。
男は……クリープの頭に命中したのだ。それも、ご丁寧に頭から。

『くおぉぉ……いててて……』
うずくまって、痛みに耐える二人。やがて
「あー……びっくりした。あれ……?ここ……どこだ?」
男―タダシが口を開く。

「あぁっ……! あうっ……ひ……ひどい……はぁぁっ……!!」
クリープも我に返り、現状に気づいた。そして、絶望的な声を上げる。
タダシが降ってきた拍子に、しりもちをついてしまった。そのショックで我慢していたものを、漏らしてしまったのだ。

「あっ……あぁっ……はっ……」
水浸しの床にもうひとつ、温かい感触が広がっていく。一度出始めた物は、簡単には止まらない。ぶるぶるとした震えと共に、すべてが出尽くす。

「わぁっ!」
タダシが、初めて自分の側の少女に気づき、大声を上げる。
「……わぁ! じゃないわよ!! 一体何なのよ! いきなり天井から、水と一緒に降ってくるなんて! しかも、トイレの前に! トイレはね! 数少ないお楽しみの時間なんだからね! それを水ぶっかけて邪魔するなんて、どういうつもりよ! おかげで、もらしちゃったじゃないの! どうしてくれんのよ!!」

わなわなと怒りに肩を震わせ、ありったけの恨みを込め、半ベソでクリープはまくしたてた。自分が座り込んでいる床の水が沸き立つような怒り方である。
「あぁあぁ……のっ……ごめんなさい! すいません!!」
気圧されて、訳も分からず、反射的に頭を下げる。
「……フン! もういいわよ! やっちゃったものは、しょうがないもん。で、それはそうとして、あなた誰よ? どうしてここにいるの?」
水たまりの中から立ち上がりながら、クリープが問う。
泣き顔は元に戻っておらず、鼻も垂れているが、努めて平静を装う。
「え? あぁ、僕は……」
その声に、タダシも腰を上げ、次の言葉を言おうとした。
しかし、

「あれ? 僕は……僕は…………ぼ・く・は……」
言葉が詰まる。自分の名前なんて、意識するしない以前の問題だ。あまりに当たり前のことなのに、どんなに考えてもそれが出てこない。思い出せないのだ。次第に、思考が混とんとしてくる。
「あの、つかぬ事をおうかがいいたしますが」
「何よ」
「僕の名前は何なんでしょう?」
こんなセリフが口をついてしまうほど、混乱していた。
「あたしが知る訳ないでしょ!」
「あ、そうか……」
当たり前である。
「思い出せないの?」
「う……うん。どうやら……そう……みたい……です」
クリープの問いに、消え入りそうな声でつぶやくタダシ。
「あ……あの……それはそうとして、あなたは……?」
「あたし? あたしは、魔女のクリープよ」
にやり、と口元をゆがめて答える。
「はぁ?? 魔女?……あの、魔法を使う?」
タダシが、後頭部から思いきり殴られたような顔をする。
「そうよーん」
くねっとしたポーズを作って、自信満々に言うクリープ。ずぶ濡れで、泣き止んだばかりの顔ゆえ、いま一つ決まらない。
「……ぷっ……あははははっ! うっそでぇっ! そんな、マンガやゲームじゃあるまいに! 第一、君みたいにカワイイ娘だと、説得力無いよ。魔女ってのは、しわくちゃの婆さんか、妖艶な美女ってのが定番だろ?」
それまでのバカのような顔を、一気に崩し、タダシは声を上げて笑った。
「言ったわね! じゃあ、証拠を見せて上げるわよ!」
ぷぅ、と膨れた顔をしていたクリープが言う。そして、何やら呪文を紡ぎ始める。
「どーぞ、どーぞ。あはははっ……は?!」

(ぼんっ!)

笑い声は途中で消え、煙が立ちこめる。……後には一匹のガマガエルがいた。
「(!!)」
「どーお? これで信じるでしょ? あーあ、バカにされたの悔しいから、このまま踏みつぶしちゃおっかなぁ……それとも、焼いて食べちゃおっかなぁ……」
冗談じゃない、とばかりに必死に逃げるカエル。
「ふふっ、嘘よ。これで納得した?」
頭を懸命に上下に動かす。
「じゃあ、三べん回ってゲコゲコって鳴いたら、元に戻したげる」

(ぴょん……ぴょん……ぴょん……ゲコゲコ)

飛び散る汗が見えるかのような必死さで、言われたとおりにする。
「よし、元に戻れ!」
そして再び、ぼんっという音と共に、カエルはタダシに戻った。
「ぷはぁっ……凄い……」
ガマの脂と言うわけでもないが、タダシは冷や汗をぐっしょりかいていた。
「ま、ざっとこんなもんよ」
「おみそれしました」
「分かればいいのよん」
得意満面のクリープ。その顔はやはり、魔女と言うより、テストの成績をほめられた子供のようだ。

「でも……僕、これからどうしたら……」
「行くところ、無いの?」
再び肩を落とすタダシに、心配そうな顔がのぞき込む。
「うん……。ここがどこか、まして自分がどこから来た誰かも分からないんじゃあ……」
はぁ、と大きな溜息が漏れる。
「そうだ! あなた、しばらくここにいない?」
心底嬉しそうにクリープが言う。
「えっ? いいんですか?」
「うん、飼ってあげるわ。奴隷として!」
ぱっ、と明るくなったタダシの顔に、にこやかなトーンのまま、とんでもないセリフが聞こえた。
「……え? 奴隷??」
笑顔が凍り付く。
「じょっ……冗談じゃない! 何言ってるんだ! 何で僕が……」

《おだまりっ!》

叫ぼうとした口から飛び込んで、全身を震わせるような声が響いた。瞬間、体が凍り付く。
「あ……あう……!?」
息はできる。が、それ以外は、怒鳴ろうとして開けたままの、口さえ動かせない。さっき、蛙にされたときのことを思い出し、再び、どっと、冷や汗が吹き出す。
「んふふ……怖い?」
その顔を、ひたり……と両手で包み込み、彼女は、にこにことタダシを見つめる。単なる、無邪気な少女の微笑みではない。瞳の奥に、言いようのない『何か』がある……そら恐ろしさに、歯の根をがちがちと震わせようとした体の信号は、結局、「あわ……あわ……わわ……」という声にしかならなかった。

「大丈夫よぉ……アタシの目を見てぇ……」
診察を促す医者のように、クリープは、まっすぐにタダシの瞳を見つめる。
この目を見てはいけない。頭で分かっていても、まばたきすら自由にできない。
「大丈夫……大丈夫……」
柔らかく、ゆっくり、何度も繰り返し唱える声が聞こえる。
目が、見開きすぎで、ちくちくし始めた。涙もにじんでくる。自分の頬を包む彼女の手の感覚も、なんだか曖昧になってくる。
「もっとよく見て……あたしの目……大丈夫だから……」
ぼやけた視界の先に見えるのは……黒い点? ……なんだろう、分からなくなってきた。
「あ……」
頭が、ぐらぐらする。力が、抜けていく。まるで、全てが、目の前の、黒い点に、吸い込まれて、いく、ようで……。

(どさり……)

突然、タダシは崩れ落ちた。その姿を見て、クリープはにんまりと微笑んだ。そして、困ったような声で呼びかける。
「ほらぁ! 何やってんの? 早く起きなさい!!」
「ふぁい……クリープさま……」
タダシはのろのろと立ち上がり、焦点のぼやけた目に、寝ぼけたような声で言った。
「まったく……手間掛けさせるんじゃないわよ。あんたは、あたしの何? 答えなさい!」
「ふぁい……ぼくは……クリープさまの……しもべですぅ……」
電池の切れかけたテープレコーダーで再生したような声が返ってくる。
「よろしい!」
その反応を見て、クリープは、さらに嬉しそうな顔で、にかっ! と笑った。