We Wish…… 2 12月5日 日曜日 風景2

光かがやく天使のしずく
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「ねえ、マー君。コート、臭くない?」
ひるがえるトレンチコートのすそが風を切り、巻き上がったそれが、少女の鼻にかすかな異臭を運ぶ。
「……そうですか? どれ……確かに、臭いますね。ごめんなさい、しーちゃん」
その指摘に、コートを羽織っていた長身の男が、自分の袖口に鼻を近づけ、少し眉をひそめながら少女に返した。
「ううん、いいよ。やっぱり、どれだけ整備されてても下水だもん。染みついちゃうよね」
「そうですねえ……」
あきらめの若干混じった顔で言う少女の方は、男とは対照的に、ダッフルコートにジーンズという、非常にカジュアルな出で立ちだった。髪型も、「マー君」と呼ばれた男が、膨らませ気味に後ろへ撫で付けたオールバックであるのに対し、少女は、背中まで伸ばした髪を首の後ろで無造作にくくっただけの、飾り気のないものだ。とにかく、対照的と言えば聞こえが良いが、不釣り合いという印象を与える二人連れだった。
「ところでさあ、今回の仕事を振ってくれた『ギルド』って、どこにあるの?」
少女……上原 静が、上着のポケットに手を突っ込みながら、かたわらの男を見上げて訊ねる。
「それがですねえ…………」
静の問いに、男……蘭宮 優人は、少々弱ったような口調で返す。
「マー君、何照れてるの?!」
「……着きましたよ」
「あぁっ……!」
自分たちが今からやろうとしていることの内容と、優人の照れ顔がどうしても結びつかなかった静が、目的地についてようやく目をむいた。
「……分かってもらえましたか?」
「……納得」
二人が立っているのは……ラブホテルの前だった。なるほど、道理で道行く人の視線が気になると思っていたわ……と、静はここに至るまでの道のりを思い出して、今さらながらに頬を染めた。
「とにかく、行きますよ」
「はあい」
お互い棒読み気味に、二人はホテルの中に入った。

フロントは、仕切りと、その下の穴によって、客と店員の接触を最小限にとどめている。互いの顔も見えない。
「……蘭宮です……」
その穴に、優人がささやく。続けて、仕切りの向こうから
「……そこの消火栓から入って下さい……」
そんな答えがあった。
優人は、廊下に誰もいないことを確かめ、消火栓の扉を開けた。そこにあるのは、渦を巻かせた平べったいホース。「ええっと、ここの場合は……」ひとりごちながら、中を調べる優人。やがて「あった……」と呟いて、隅に見つけたごく小さな取っ手を引いた。
「わお……」
小さく驚く静。ホースの裏には、地下へ続く階段があったのだ。
「さあ静、行きますよ……いたっ!」
「あーあ……優人のドジ。自分の上背ぐらい、いい加減見当つけなよ……」
「はははっ……」
照れ笑いを浮かべながら、優人は今度こそその階段を下りていった。その後ろを静が続き、数秒遅れて『ぱたん……』とごく抑えた音とともに、ひとりでにドアが閉まったようだった。

階段を下りること二階分ほど。二人は、目的の部屋に着いた。
「へえー……結構しゃれた『ギルド』ね……」
「そうですねえ……」
その部屋は、ちょっとしたバーのような内装だった。黒を基調とした室内にカウンターと、テーブルがいくつかあり、棚には様々な酒が整然と並んでいる。ほこりを全く被っていないところからすると、手入れも行き届いているようだ。
「やあ、お待ちしてましたよ。蘭宮さん、上原嬢」
そこへ、一人の男性が現れた。バーテンダースタイルではあるが、その頭は中央がきれいにはげ上がり、身体は小太り。口元に蓄えたひげが、何となく不釣り合いな印象を与える。「前の会社の課長を連想するなあ」と思いながら、優人は顔を引き締めて口を開いた。
「こんにちは。あなたが……」
「ええ。この『ギルド』、『バー・レポサド』の主です。もっとも、あまりぱっとしませんがね」
「いえ、そんなことは……。ところで、『レポサド』とは、しゃれた名前ですね?」
「おお、お分かりですか。これは嬉しい」
「僕は、どちらかというと『アネホ』が好きなんですけどね」
「何でしたら、『仕事』が終わってから、一杯やりますか?」
「いいですねえ。レモンはありますか?」
「もちろん。上等な岩塩もありますよ」
「ますます嬉しいですね。これは、『仕事』にも身が入るって物です」
「ところで、今回アタシたちに回ってきた『仕事』って……?」
あいさつとテキーラの話しかしない二人にしびれが切れたのか、静が本題を切り出した。
「あっ……こら……!」
「はははっ……かまいませんよ。ところで、何か飲まれますか?」
「そうですね、あまり酔うのもなんですから……ジンフィズ、お願いします」
「んじゃアタシ、カンパリオレンジ!」
「かしこまりました」
穏やかなバーテン口調の後、彼はまさにこなれた手つきで二種類のカクテルを作り、二人に差し出した。

「……うん、おいしいです! やりますね……」
「ありがとうございます。さて、それでは本題に入らせていただきます……」
満足げに喉を潤す二人にうなずきながら、『バー・レポサド』のマスターは、一枚の紙を二人に差しだした。
「何これ? ……チラシ?」
カウンターの上に置かれたのは、B5サイズの真っ赤なチラシだった。
「『創作演劇 コレクション・ハウスの夜』……?」
チラシの表、銀のインクで刷り込まれた文言を、訝しげに読み上げる優人。
「……でも変ね。入場無料って事と、上演場所が書いてあるっきりで、出演者も、あらすじも書いてない……」
静が、まず最初の疑問点を口にする。
「それだけなら、演出上のこととして、一つの手法ではありますが……ね」
ふうむ……とあごに手をやるしぐさで、さらにうなる優人。それは、こういった『仕事』をする者……特に、彼ならではの『確信』だった。このチラシはおかしい。何かがある。その視線を見て、『レポサド』のマスターは、この二人に仕事を振ったことに、改めて安堵感を抱いた。
「詳しい説明をさせていただきます……」

◆ ◆ ◆

トゥルルルルッ…… トゥルルルルッ……

『もしもし?』
「ウッチーか? 俺だよ。毎度」
『おう、トミー。何だ?』
「ああ、久しぶりに、おもしろいネタがあるんだ。お前に教えておこうと思ってな」
『いいねえ。こっちゃぁネタと無縁の生活してるからな……』
「お前の場合は場所柄特にだろうな……ところで、最近はどうなんよ?」
『あん? そうさなあ……』

本題は後回しにして、俺達はいつもの無駄話を始めた。徹底してどーでもいい、とことんくだらない話を、延々と話す。まあ、電話回線を通じた漫才をやってると思ってくれ。ちなみに俺は、ボケ担当だ。
おっと、前振りが長くなったな。自己紹介をしておこう。俺はトミー。もちろんあだ名だ。本名は……ま、この際どーでもいいだろう。そして、今話している電話の向こうは、通称ウッチー。大学時代の部活……演劇部の同期だ。お互い大学を卒業して三年近く経つが、感性が似ているというのか、不思議とウマが合うせいで、つきあいは今も続いている。俺と奴が一緒に西表島へ卒業旅行に行った時のエピソードを、どっかで読んで知ってる人もいるかもな。

……っと、そう言えば、大学入学当初に知り合ったから、奴とはもう七年になるのか……長いな……。

『おいトミー、さっきから、誰に向かってしゃべってんだ?』
「おっと、悪い……ちょっと待ってくれ……」

ところで、演劇と言っても、俺達がやっていたのは、そんな肩肘ばったもんじゃない。『コントとどこが違うんだ?』と訊かれれば、答えに詰まるかも知れない。要は、有り余る若さと、空転気味の情熱と、基本を無視した絶叫と、どうしようもないネタの発露。俺達が面白ければ良し! の世界だ。あ、後、小難しいテーマで、観客をケムに巻いたりするな。そんなもんだ。

そう言うところで大学時代を過ごすと、後々まで人格に影響が出る。ボケとツッコミを含め、ネタ無しではやっていけなくなるのだ。しかもそういう人間というのは、いわゆる『一般社会』では『逸般』……つまり『変な奴』扱いされてしまう。ゆえに、同じ者同士でしゃべり合いたくなる……と。傷のなめあいと言うなかれ。俺達の無駄話は、魂の栄養補給なのだ。ああ、小ネタ万歳。

『長いわ!』
「わりっ! ……ああ、そうそう。そろそろ本題行くわ……」

お待たせ。で、その本題について、だ。
この間の休日、何となく俺が駅周辺を歩いていたときのこと……あるビラを手渡されたんだ。それは、B5サイズの真っ赤なもので、銀のインクでたった一言、こう書かれていた。『創作演劇 コレクション・ハウスの夜』……と。

『珍しいな。街頭で配る芝居のビラなんて』
「だろ? 配ってる人……ありゃ劇団の人間だろうな、それも怪しくて、俺好みだったぞ」
『ほう?』
「なんかな、肩から真っ黒なマントをぼっそり羽織って……頭にゃそれ、工事現場のコーンみたいな形の……」
『なるほど、分かる分かる』
「……まあ、そう言うわけだ。うさんくせえだろ?」
『バリバリにな』
「その姿を見て、この俺がどう思ったか……」
『ああ、想像に難くない』
そう。芝居かぶれの血が騒ぐんだ。特にここ最近、俺は舞台演劇を久しく観ていない。たまにテレビでやったりもするが、やはり芝居はライブが一番だ。役者の息づかいやなんやらが、目の当たりで感じられるしな。

「つまり、だ。一緒にいかんか? ってことさな」
『しかし……大丈夫か? パターンとして、ケツが痛くなるだけの、だらけた芝居のよーな……』
喜々として言う俺に、冷ややかなウッチーの声。
確かに。俺達もそうだったが、身勝手な舞台というのは、往々にして盛り上がりを欠く。そして、規模の小さい芝居小屋は、桟敷であることが多い。つまらない芝居をやられた日には、足腰に疲ればっかりがたまる。それでも、金を払ったからには、意地になる。そして結局、無駄な倦怠だけを残す……と。芝居をやる人間……いや、俺の周りだけかもしれないが……には、ケチな奴が多いんだ。
しかし、今回は違う。そんなひねくれた俺達でも足を運ぶ理由がある。
俺は、まさに芝居の台詞よろしくタメを作ってからウッチーに言った。

「だがなウッチーよ。今回のコレは……無料、タダなんだ」
『どーせ、カンパ制だろ? 出入り口に、芝居が跳ねたばっかりの役者連中ならばせて、箱持って“私たちは貧乏でござい”って情に訴えて、半強制的にさせるような……』
なおも疑うウッチーに、俺は釘を刺した。
「いや、『カンパ等は一切必要ありません』だとさ」
『うーん……日時は?』
「12月24日……クリスマス・イブだな。どーせお互い、シングル・ベルだろう? 行こうぜ」
『トミーよ』
「あん?」
『“シングル・ベル”は、古いぞ』
「ぐっ……」

その後、いつものように待ち合わせ場所と詳しい時間を決めて、俺は電話を切った。

「さあて……」
俺は久しぶりにわくわくしていた。
さあ、いざゆかん、めくるめくセリフの大海原へ!
……まったく、タダだと気が楽だ。

つづく

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