「!!」
散らしていた意識を瞬時にかき集め、立てかけていた『常世渡り』を握る。
『扉の外だ。私たちがここにいるのは解っているようだが……そのまま動かん。妙だな……。どうする? 先手を打つか?』
束を伝わって、緊迫した声が頭に響く。
「当然です。この部屋をズタズタにされたんじゃ、たまりませんからね……」
にやりと笑い、精神を集中する。ゆっくりとドアに向かい……
“ふっ!!”
静を気にして、大きな音を立てないように、するりと外へ出る。
直後、ざわりとした感覚が、体中を駆けめぐる。向かって左。……『あの気配』だ!!
「はぁっ!!」
優人は、下水が流れる溝を、前方対岸へ跳んだ。地面がぬめるが、危ういところで、着地に成功する。
“……ぞんっ!!”
体勢を立て直し、数瞬前、自分がいた場所を見遣る。鎌のような刃が通り過ぎ、遙か遠くの壁を裂く音が反響した。
「同じ攻撃……。『翁』の攻撃は、こいつがやってたのか……」
優人がうめいた。
「よく……かわしたな……」
対岸から、抑揚のない声がした。
「な……なんだ……?!」
声に気づいて、視線を右に滑らせた先には、人影があった。
……いや、『滲み出た』。ゆらりと空気が動いたかと思うと、まるで、あぶり出しか何かのように、じんわりと見えてきたのだ。
「……女?」
『滲み出た』人影は、やはり闇のようだった。
背中まで真っ直ぐ伸ばした黒髪、首から下をすっぽりと覆う、黒いローブ。
ただ、その顔は抜けるように白く、まるで、闇の中に、顔と目が浮き出たように見える。
『あれは……!!』
『剣』が、驚きの声を上げる。束越しに伝わるその『意識』は、その女性の腕に集まっていた。
闇に浮かぶもう一点。ローブからのぞく、白い腕。その先に握られた、剣。
『やはり……“現世(うつしよ)裂き”!! ……なにやってんだ! 爺さん!!』
忌々しげに呟く『剣』。最後の部分が優人には解らなかったが、今は問いただしている時ではない。共通した疑問だけを聞くことにした。
「『現世裂き』って、まさか!?」
『そうだ。私―“常世渡り”と対の剣。ラング家の宝だ。物を斬るのではなく、物が存在する空間そのものを斬る。故に、それが現世に在る限り、斬れぬ物はない』
語る口調に、明らかな焦りと苛立ちが感じられる。
「じゃあ、さっき僕が通り抜けられたのは……・」
『そうだ。私が、お前の存在を一時的に現世の裏―常世に移したからだ。現世に存在しない物は、斬れないからな』
「でも、待ってください。あの剣は、ラングの一族にしか抜けないんでしょう?!」
そう。幼い頃からよく聞かされていた。宝剣は、ラングの血を引く人間にしか、その力を示すどころか、抜けさえしない……と。現に、この『常世渡り』も、ユニシスがありったけの力を込めても、びくともしないのだ。
『爺さんの気配がない……どうしちまったんだ?』
それを聞いてか、ぼそりと呟く『剣』。
「え?」
『……あの剣にも魂が宿っているんだが、今のあれには、その気配がない、ってことだ』
微妙にずれた答えが返ってくる。
「どういうことです?」
やはり気になるが、細かなところまでは掘り下げて聞いていられない状況には変わりない。手早く促す。
『考えたくないことだが……抜き取られたか』
「魂を、ですか?」
『そうだ。どこかを彷徨ってるのか、封印でもされちまったのか……』
「まずいですね……」
確かに恐ろしい。『現世裂き』の威力は、目の当たりにした。こんな物を、むやみやたらに振り回されれば、どんなことが起こるか、分からない。長い間行方知れずだったが、ラング一族しか抜けない、と言うことが分かっていたので、ある種安心もしていたのだ。しかし、今は状況が違う。……今まで何も起こっていなかったことを考えると、『魂』が抜かれたのは、ごく最近なんだろうか?
『とにかく、奴を倒して、あれを取り戻すのが先決だ。……!! また来るぞ!!』
再び、複数の『次元の刃』が襲い来る。
《我が身を、常世へ!!》
こちらも再び、唱える。剣がぼうっと光ったかと思うと、優人の姿が陽炎のように揺らめく。
“……ぞぞんっ!!ぞんっぞんっ!!”
直後、後ろの壁が滅茶苦茶に裂ける。
『……きりがないな。よし、優人。次に動いた時を狙って、あの女のすぐそばに飛ぶぞ。意識をしっかり持て』
ささやくように言う『剣』。
「ところで、どうして『意識をしっかり持つ』必要があるんです?」
緊迫しているにも関わらず、素朴な疑問が、口をついてしまった。
『常世は本来、現世のものが居てはならないところだからな。気を抜くと、全てが四散して、溶け込んでしまう。……とにかく、飛ぶぞ。気づかれるとまずい。小さく唱えろ。あとは、任せる』
カリカリとした雰囲気さえ漂わせて、『剣』が言う。
「わかりました……」
注意深く、相手を観察する。
……じり……じり……じり……
濁流を挟み、にらみ合い、様子を互いにうかがう。
神経を、相手の腕に集中する。やがて……
“ぴくり……”
相手の切っ先が、動いた。
《(我が身を、常世へ……)》
逃さず、小さく唱えた。ゆらり……とした真っ白な感覚の後、視界が元に戻る。狙い通り、彼女のすぐ横に現れた。……ちょうど彼女は、切っ先を振り下ろし、新たな刃を生み出した直後だった。
「やぁ……」
ぽんっと肩を叩き、注意を向ける。
「……な?!」
幽霊でも見るかのような顔で、こちらを見る。
「ふっ!!」
その一瞬を狙い、優人の左拳が、彼女のみぞおちに決まる。
「うぐっ……」
くの字に体を折り曲げ、そのまま崩れ落ちる。
「よっと……あたたた……」
ぐったりと倒れ込む体を、肩口から支える。その際、力を込めた脇腹に痛みが走る。
『おい……』
不満げに驚く『剣』に、先手を打ち、優人は言った。
「女性には、剣は振るえませんよ……」
『……まぁ、お前らしいといえば、そうだな……。それより、“現世裂き”を忘れるなよ!』
滑稽なほど慌てる『剣』。よほど、気になるらしい。
「まぁちょっと待ってください。ここであれこれすると、彼女が汚れます。部屋へ運びましょう」
『常世渡り』を鞘に収め、彼女を抱える。部屋へ戻ろうとした時だ。前方に、人影を見た。
「……!」
緊張が走る。この状態で応戦できるか……?
しかし、それは杞憂に終わった。
「マーくん!! どうしたの、これ?!」
声の主は、静だった。ツートンカラーが未だ消えていないが、干していたジーパンを穿いている。彼女は、先ほどの狂態など微塵も感じさせず、銃を持ち、やや走りにくそうにしながら、小走りにやって来た。
「静……」
思わず、安堵のため息が漏れる。
「どうしたの、その人……?」
優人の腕に抱えられている、一種異様な出で立ちの女性を見て、怪訝な声を上げる。
「実は……」
一旦部屋に戻ってから、優人は、黒沢邸から脱出できた経緯と併せて、事情をかいつまんで説明した。
多少端折りはしたが、嘘はない。嘘をつくのは何よりも嫌いだし、仮にそうしたところで、静には見破られてしまう。
「ふぅん……」
静も、そのことはよく解っている。だから、すぐに納得できた。宝剣のことに関しては、最初信じられなかったようだが、周囲の惨状を見て、やはり納得したようだ。
「でも、なんか怖い……」
さすがに、『剣』自身の『声』を聞いたときは、そう言って目を丸くしたが。
「それはそうと、どうするの? その……『現世裂き』を取り返したのは良いけど、その人……マー君を襲ってきたんでしょ? また目を覚ましたら……」
もっともなことを口にする静。
「うーーん……」
だが、優人が悩んでいたのは、別の点でだった。
ユニシス張りの勘……ではないが、似たような物だ。優人はこの女性に、妙な『違和感』を感じていた。これと言った根拠はほとんど無いのだが、彼女の発する『空気』がおかしいのだ。
「………………」
右手の親指と人差し指で、あごの先を揉む。それを見た静が呟いた。
「マー君、何か引っかかってること、あるの?」
「えっ?! ……どうしてです?」
夢から覚めたような声で返してしまう。
「だって、その仕草、考え事をするときの、マー君の癖だもん」
ニコニコしながら言う静。
「あ……あぁ、そうですか?」
慌てて、自分の右手と静の顔を見比べてしまう。
「でも、マー君がその仕草をする時の勘って、よく当たるんだよね」
「……話が大きくなって、さらに厄介な事に巻き込まれることが多いんですよね……」
苦り切った笑顔を返す優人。
「あたしはいいよ。マー君が一緒ならね!」
爽やかな笑顔が、優人を照らす。
「……ありがとう、静」
それを見ると、自分の苦い笑顔も、柔らかくなる。
「……で、気になる点って?」
再びベッドの上の彼女に視線を戻して、静が訊いた。
「えぇ、この女性、なんだか変なんですよ」
「変?」
「そう……なにか……自分の意識が感じられないと言うか……自分の意志で動いてないような……」
「操られてる……ってこと?」
「そうです。それが何によってなのか、は、解りませんが……」
再びあごを揉みながら、優人は呻いた。本人の意思でないまま、人を襲ったりするような事は、悲しすぎる。できることなら、助けてやりたい。だが、方法が解らない……どうしたらいい……?
あごを揉む指に力が籠もり、顔がだんだん険しくなっていく。
「……マー君、やっぱり優しいなぁ」
そんな顔をのぞき込んで、静が微笑んだ。
「え?」
「この人を助けてあげたい……って、思ってたでしょ? それで悩んでるんだ」
少し驚いた。そこまで見抜かれるとは……
「原因が分からないと、どうにもなりませんがね……」
ふぅ、とため息が出てしまう。すると
『調べてみるか……』
『剣』の声がした。
「解るんですか?!」
『あぁ。常世から、そいつの心を覗いてみよう。……私を、そいつの額に乗せろ。その上から、お前と、嬢ちゃんの手を被せるんだ』
“しゃりん……”
『常世渡り』を抜き、彼女の額に乗せる。その上に自分の手、静の手が重なる。
『行くぞ。目を閉じて、手に、意識を、集中しろ……』
「…………」
「…………」
“ぎゅうぅ……ん……”
瞼の奥の闇が、急速に遠ざかる感覚がした……