柔らかな殺意 1 合図

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キーーン・・コーーン……カー……ン……コー……ン……・

昼休みを告げる呑気なチャイムの音が、オフィスに響きわたる。
駅からほど近い、昔からのビジネス街。周囲には、小汚い雑居ビル然とした所があると思えば、最近できたらしい、全面ガラス張りの高層インテリジェントビルがあったりする。ここは、どちらかといえばその中間。過渡期に建てられたようなオフィスビルだ。入り口にセキュリティチェックがあるわけでもないし、扉を開けるのに、IDカードと鍵を同時に使わなければいけない、と言うわけでもない。ただ、窓が大きく取られていることと、内装や各部屋の机などが、総じて明るい色で統一されており、暗いイメージはない。

「ふぅっ……ん……っ……と」
そんなオフィスの、ある一室。中央の島に座って端末のキーを叩いていた男が、はたりと手を止め、大仰に伸びをした。
卵色のカッターシャツに、赤のネクタイ。薄茶のスーツをぴしりとまとっている。カッターの襟の上、ほっそりした線の顔だちに、首程まで伸ばしている髪は流すようにまとめ、垂れがちの目は、丸みがかった眼鏡がかかっている。
「さぁて、ご飯の時間ですね……」
引き出しから財布をとりだしながら、のんびりとつぶやき、ゆっくりと立ち上がる男。と、傍らから声がした。
「ねぇ、マサちゃん。お昼、一緒にどぉ?」
『マサちゃん』と呼ばれた彼は、ちらりと声の主を見た。
そこにいたのは、オフィスのあこがれの君……ではなく、丸っこい小男だった。
背丈は、眼前の彼より頭一つほど低い。それでも、オフィス内では平均的な方だ。ただ、体型のせいと、眼前の彼の方が皆より少し細身のために、ずいぶん差があるように見える。髪型は、ずっとオールバックに撫で付けてこうなったのだろう。生え際がくっきりとMの字に後退している。少し割れた顎には青々としたヒゲ、分厚い唇に、大きな目。一言で言えば『濃い』顔なのだが、満面の笑顔のため不思議と愛嬌がある。

「どぉお? マサちゃん。一緒にパスタでも食べに行かない? ちょっと良いお店ができたのよ」
その彼が、ごく自然にシナを作って、女言葉で話しかける。
「あー……そうですね。行きましょうか、課長」
それを全く気にする事も無い風に、眼前の彼……優人は、その小男……課長に着いてオフィスを出ようとした。
その時である。

「まいどーーっ! カフェ・ユーユーでーーっす!! ナポリタン大盛りと、ホット、お持ちしましたぁ!」
フロア中に響けとばかりに―実際、響きすぎて他の部署から苦情も来る―、元気な少女の声が飛び込んできた。
「わぁ!」
優人が声を上げるのと、大盛りナポリタンと、ホットコーヒーの乗ったお盆が、彼の机の上にでん! と置かれるまで、ほとんど数瞬だった。
「やっほー! マー君!!」
騒動の元の少女は、次の瞬間には、優人の手を握り、ぶんぶんと腕を振り回している。
「へへぇ……マー君、久しぶり!」
優人より頭一つ強ほど低い背丈、肩程までのそれを、後ろで無造作にくくった髪。真っ赤なシャツにオーバーオール。『快活』を絵に描いたような……いや、異様にハイ・テンションな少女だった。
「あの……しーちゃん? 手……離してくれませんか……? ご飯を食べる前に、酔っちゃいます……僕……」
ガクガクと揺さぶられながら、優人はかろうじて答えた。
「あー! また『しーちゃん』って呼ぶぅ! ちゃんと『静』って呼んでよぉ!」
その振る舞いとは全く正反対の名前である。
「13も年上の、三十路丁度の僕を『マー君』と呼ぶのも、同じじゃないんですか?」
やっと解放された手首をさすりながら、優人が返す。
「アタシはいいの! ……それよりも、ハイ!」
少しむくれて、静が手のひらを出す。
「……はい。僕の勝ちです」
おもむろに、優人がチョキを出す。
「ごまかそうったって、そうはいかないわよ。ナポリタン大盛りと、ホット。消費税込み900円!」
「後払いには……なりませんよね」
しぶしぶ、札入れから金を出す。
「『それとこれとは別』って、いつも言ってるでしょ?じゃ、またね。まいどありぃ!」
札をオーバーオールの前ポケットにねじ込み、釣り銭をピンと放り投げると、彼女は、風のように去っていった。

「なぁんだ。マサちゃん、お昼取ってたのぉ? がっくり……」
「…………」
「あら? どぉしたの? そこのパスタに、なんか付いてる?」
課長が、あからさまにすねてみせる。が、優人は、真剣な眼差しで机の上のパスタを見つめている。
「ねぇ、マサちゃん!」
じれたように、課長が言う。
「……は?! ……あぁ、そうでした。頼んでたの、忘れてました……」
居眠りから醒めたような声で返してしまう。
「それにしても、いつもながら、可愛い『お嫁さん』ね」
にんまりとした顔で、課長が冷やかす。
「違いますよ。彼女は小さい頃から知ってて、よく世話したり、遊んだ仲……それだけです」
優人は、毎度の茶々に、これまたいつものパターンで返す。
「けど、いい娘よねぇ。羨ましいほどエネルギッシュで、若さに溢れてるって感じだわぁ。なんだか嫉妬しちゃうなぁ」
口調は軽いが、親指の爪を少しかじりながら呟く課長の目は、半ば本気であった。
「ま、いいわ。あなたの『マー君』は、いずれ奪ってあげるから。オカマの嫉妬は怖いのよぉ……なんてね。じゃ、マサちゃん。また午後にね」
ひらひらと手を振り、課長は出ていった。
「えぇ。すいませんね、ご一緒できなくて……。また今度、必ずご一緒します」

「やれやれ……。2……いや、3週間ぶり、ですか……」
軽いため息とともに、優人はナポリタンをほおばり始めた。



キーーン・・コーーン……カー……ン……コー……ン……・

そして再び、定時を告げるチャイムが鳴り響く。
黙々としていた空気が、ふっと緩む。今日は週末と言うこともあり、周りでは何処の飲み屋に行こうか、等と言った会話が聞こえてくる。
「それじゃ、お先です」
ベージュのトレンチコートをぼそりと羽織り、オフィスを出る。
エレベーターのボタンを押し、来るのを待っているときだ。再び、背後から声がした。
「マーサちゃん。どう? これから一杯?」
予想通り、課長が満面の笑みでそこにいた。
「あぁ、お誘いは有り難いんですが、ちょっと用事がありまして……」
「なぁに? またあそこの喫茶店? 彼女に会いに?」
少し膨れてみせる課長。この顔でやられても、面白いが可愛くはない。
「……行き先は正解ですが、目的は違いますよ」
静の顔を思いだし、課長の顔と比べて少し笑いながら、優人が返す。
「なぁに?! まさか、マサちゃん、あそこのマスターみたいなのが好みなのぉ? 対抗して、私も鍛えちゃおうかしら……」
「誰もそんなこと言いませんよ……」
半ば呆れる優人。その顔を見て、課長がくすりと笑う。
「ばかねぇ。嘘よ。たまにはマサちゃんも、一人で飲みたいとき、あるんでしょうね。あぁ、バーのカウンターの片隅で、ウイスキーのグラスなんて傾けながら、一人物思いに耽る男……まさにハード・ボイルド。すてきだわ……」
視線を宙に泳がせ、うっとりとするスーツ姿の中年小男というのも、なかなか珍しい。
「僕がやっても、似合いませんって。それじゃ課長、お疲れさまでした。失礼します」
「今度、いいゲイバー紹介したげるわ。期待しててね」
そういって、課長はネオン街の方へ消えていった。
「やっぱり、こっそりバイトしてるって噂、ホントなんでしょうかねぇ……」
引きつった笑いを浮かべながら、優人は目的の道を急いだ。

つづく

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