「うっ……うーー……ん……」
頬がチクチクする。それに、ホコリ臭い。うっすらと目を開けた。薄紫のジュウタンに頬ずりしている。耳を澄ます。ぶぅぅ……ん、という、端末の駆動音。まさか……
がばり、と跳ね起きる。間違いない。会社の開発ルームだ。
「元に……戻った……?」
手のひらを見る。何もついていない。
夢だったんだろうか? いや……
「痛てっ……?!」
見ると、腕に大きめのひっかき傷ができている。
……そうだ、あの時、戦士の足にしがみついたときに、鎧の一部で切れたんだ……夢じゃ、なかった……。
少し痛む頭で、改めて辺りを見渡す。自分の端末が、静かな唸りを上げている。そこには……
「あ……っ」
ゲームのエンディングが流れていた。
『悪しき魔女はたおされ、世界に平和が戻った……』
「できてる……」
それを見た途端に、胸がズキズキと痛む。
そうだ。もう、彼女は……
がっくりと肩を落とし、涙を堪えながら、うつむいた。その時……
「おはよう!! タダシ君!! どうだね、具合は?」
戦士の声……ではない。いつもの調子の部長だ。
「あーっ! できてる!! できてますよ! 社長!!」
「何、本当かね?!」
いつの間に来たのだろう、リンコと社長が画面をのぞき込んでいる。
「良くやってくれた、タダシ君!! これで我が社も救われた!!」
「がんばったわね、おめでとう。差し入れしたかいがあったってものだわ!」
「はぁ、どうも……」
背中をバンバンと叩かれ、どんなにねぎらわれても、タダシは上の空だった。
「よぉし! 今日は仕事なんかやめじゃ!! パーッっと騒ぐぞい!! 社長権限じゃ!!」
「賛成!!」
「よおし! タダシ君! 行こうか!! 経費で何でも好きなものを食べさせてあげるわよ!!」
大いに盛り上がる三人に、タダシは抑揚に欠けた声で返した。
「先……行ってていただけますか。後から、行きますから……」
「あ? そうか? わかった。じゃ、先に行ってるぞ!!」
そう言って、三人はあれこれ騒ぎながら、去っていった。
そして再び、タダシは一人きりになった。流れる音は、端末の唸りと、ゲームのエンディングテーマだけだ。
「………………」
エンディングが終わり、スタッフロールが流れていた。ぼんやりと、それを眺める。
……やがて、自分の名前が流れた。
「…………っ!!」
たまらなくなって、目を伏せた。すると……
(ぱちっ……さーっ…………)
電気の針が、頭を駆け抜けるような感覚がした。何事かと思って、顔を上げる。
そこには……
「……ク……クリー……プ……?」
一面、砂の嵐になったモニターの中に、微かに、あの少女の顔があった。
むっつりと、怒ったような顔をしている。
その目を見つめて、タダシは言った。
「怒ってるかな……怒ってるよね。たくさん、ひどいことしちゃったもの、当然だよね。……謝って許してもらえるとは思ってないけど、言い訳にしかならないこともよく分かってるけど、でもやっぱり、僕に、謝らせてくれないかな。……ありすぎて、どれからにしようか、迷っちゃうけど……。そうだ、最初からいくよ。最初に君の所へ飛ばされたとき、頭からぶつかっちゃって、水と一緒に降ってきて……オマケに、君にとっても恥ずかしい思いをさせちゃったね。ごめん。もっと、まともな飛ばされ方があったら良かったのにね。ハハハ……。それから、君は僕に、色々世話を焼いてくれたね。『奴隷として飼う』とか言ってても、とてもそうは思えないほど、いろいろしてくれた。あの料理も……君なりに一生懸命に作ったんだよね。精一杯の、もてなしだったんだよね。でも僕は、あんまり食べなかった。それで、君に寂しい思いをさせちゃったね。ごめん。薬のことも、モンスターのことも……。
でも、一番、謝っても謝りきれないことは……僕が、君を、好きになってた……ってことに、気づくのが遅れちゃったって事だね。
本当はね、最初にかけられた術、一週間ほどで解けてたんだ。でも僕はそれを言わなかった。……それを知ったら、君に何をされるか分からなくて怖かった……それもあった。けどね、気づいたんだ。相変わらずちょっかいをかける君。最初は本当に嫌がってた。でも、その奥の君の顔に……寂しそうな、すがるような、泣き出しそうな、そんな顔があったんだ。それに気づいた。だから、ずっといることができたんだ。辛いと思ったことも多かったけど、やっぱり僕は楽しかったんだよ。突っ張ってる君が、喜んだときに見せる顔が、何よりも好きだった。ずっとその顔を見ていたいと思った。そのために、側にいて上げたい。そう思ってたんだ。けれど……僕の体は……嫌だったのかな。いや、体のせいなんて言い訳にならないね。ただ、『辛いな』って気持ちがしばらく勝ってた時があったんだ。それで……僕は逃げてしまった。そして……あの三人を手引きして……君を……。
君がやられそうになったところを見て、やっと気づいたんだ。自分が何をしたか。最低だよね。そんな時まで気づかないなんて。罪悪感でいっぱいで……どうして良いか分からなくて……僕は、泣きながら、君を抱きしめるしかできなかったんだ。
許して貰おうなんて、思わないよ。でも、僕にはこれしかできないんだ。情けないけど、謝ることしかできないんだ!
……最後に、はっきり言うよ。僕は、君が、大好きだった!
そして……本当に……心の底から……ごめん!!」
タダシは、モニターに向かって、深く頭を下げた。ぽつり……ぽつり……と、涙の雫がジュウタンにこぼれていく。
「……バイバイ……」
ノイズの中の少女は、そう言って、小さく微笑んだ。
「……えっ?!」
驚いて、顔を上げる。しかし、既にモニターの中に少女の姿はなく、ノイズも切れ、『ファイナル・クエスト』のタイトル画面があるのみだ。
「許して……くれたのかな……」
チカチカと忙しく点滅するモニターを呆然と眺め、タダシは泣き笑いを浮かべた。
(ピリリリリッ……ピリリリリッ……)
そこへ、机の上の携帯電話が割って入った。
「はい……」
「おーい、何やってんの?! 主賓が居ないと、始まんないよぉ!」
泣き声が少し残る声で応じてしまうタダシに、既にできあがっている部長の声がする。
「早くおいでよ。そこの中華料理屋だからさ!」
「……はいっ!!」
ごしごしと涙を拭い、タダシは、思い切り明るい声で応えた。