「はぁ……はぁ……ふぅ……あれ?」
どのぐらい走っただろうか、もう走れない。しばらく歩こうとタダシが思ったときだ。いつものそよ風に乗って、人のざわめきが聞こえた気がした。
「人の声……まさか?」
それまでの疲れも忘れ、再び駆け出す。すると、そこには確かに街があった。
「街だ……。やっぱりあったんだ……」
『この辺りに街はないわよ』というクリープの言葉を思い出しながら、つぶやく。
入り口をくぐる。変にこぎれいな石造りの建物に、同じくキレイな石畳。人々の、こざっぱりした服装……。こんな物なのかも知れないが、周囲の土地の状況を考えると、不釣り合いな印象を与える。しかし、この際細かいことは考えないことにした。
やけに閑散とした街、というより村だな……と思いながらタダシが歩いていると、程なく、その理由が分かった。
村の中央には広場があった。見ると、そこに人だかりが出来ている。
気になって、人混みをかき分けて見てみると、何やら三人の人間が演説をしているようだった。
赤い鎧をまとった中年の戦士と、青い僧衣を着た女性、それに緑のローブを羽織った魔法使いらしき老人だ。
なぜ、三人がそれぞれ戦士、僧侶、魔法使いだと思ったのか? タダシも分からなかった。ただ、『そう言うことになっている』と言うことだけが分かった。
ともあれ、主にしゃべっている戦士の話を聞いてみることにした。
「皆さん! 我々は、この世界に住まう邪悪なる魔女を滅ぼすために旅をしている者でございます。しかし、目指す魔女の城まで後一歩と言うところで、路銀が尽きてしまいました。使命果たすを目前に、それが叶わぬとは何たる皮肉!そこで我々は、恥を忍び、皆様のお力をお借りしようとこの街へやってきたのでございます。……と、こう申しましても、果たして我々に、かの悪しき魔女を打ちたおすほどの技量があるのかどうか、信じていただけない方もいらっしゃるかと思います。そこで! ただ今より我々が、その力と技の一端をお見せいたします。ご覧になって、納得して戴き、こころざしをいただければ、幸いです。ではっ!」
そう言って、彼は背中に背負っていた盾を外し、腰の剣を抜いた。そして、皿回しの要領で剣の先で盾を回し始めた。
「はぁーーーっはいはいはいはいはいぃぃぃっ!」
やがて群衆から、感心半分、嘲笑半分のどよめきが起こり、パラパラと小銭が投げ込まれ始めた。
「ありがとうございます、ありがとうございます! はいっ! では次!」
回していた盾を、ひょいっと器用に受け取り、戦士は次を促した。前に出たのは若い女性の僧侶だった。
「皆さんに、神の奇跡をご覧にいれましょう……」
慈母のような微笑みをたたえ、静かにそう言ったかと思うと、おもむろに、傍らの戦士の剣を取った。そして……
「チェストォォォッ!」
戦士の雄叫びではない。女僧侶の、剣を振り下ろす声である。穏やかな顔が、一瞬、狂戦士のそれに変わる。
(ざぶっ!)
そんな音と共に、剣の切っ先が、戦士の背中を裂く。
「ぐぅっ?!」
シナリオに無い行動だったのか、群衆に向いた顔から、それまでの薄い笑いが消え、怒りが吹き出す。
「てっ……テメェ!! 何しやがる!!」
かみ殺さん程の形相で、戦士は後ろを振り返る。が、既に彼女は、先ほどの微笑みに戻っている。そして、さも哀しそうにこう言った。
「まぁ!! なんてひどい怪我! でも大丈夫よ。慈悲深き神の力を、貴方にも分けて差しあげましょう……」
傷口に手をかざし、何やらぶつぶつとつぶやき始める。すると、そこから淡い光が放たれ始めた。やがて、吹き出す血は完全に止まり、服をめくってみても、傷口はひっかき傷ほどの線になっていた。
「チッ……とんでもねぇアマだぜ……」
怒りが収まらないのか、戦士はブツブツとグチを言っている様子だったが、群衆からは一層のどよめきが起き、さらに多くのコインが飛び交った。
「ありがとうございます、本当にありがとうございます!」
ぎろり、と戦士を睨んだのは一瞬で、再び、満面の作り笑いと共に頭を下げる女僧侶。切り替えの速さも、馴れた様子だった。
「はい! では最後に控えし、この魔術師が、皆さんに万物の神秘をご覧に入れます!」
鬼のような形相だった戦士も、満面の作り笑いに戻っている。彼も、慣れたものだった。何事もなかったかのように、魔術師に場を譲る。
「ほっほっほ……お主等に、無から有を生ずる不思議をお目に掛けよう……」
ニコニコとした、人の良い老人の目で進み出る。そして、最前列にいた若い少女の前に来ると、なにやら手で空気をこねるような仕草をした。
《安らぎとは即ち、空気よ、汝が持てる、そもそもの力なり……》
そんな言葉を呟いた後、こねていた空気を、眼前の少女に投げる仕草をした。
すると……
「う……うーーん……」
くたり、と、少女は崩れ落ち、すうすうと寝息を立て始めた。
「ほっほっほ……これぞ『眠りの雲』の術なり……」
白い眉と髭の中で、もごもごと笑う魔術師。一番のどよめきと共に、いっそうの小銭が舞う。
「さぁ、起こしてやらねばならんの……」
だが、次の瞬間には、やはり顔が変わっている。ゆっくり抱き起こしているようで、少女の体を必要以上に触っているのだ。元々垂れた目尻は極限まで下がり、鼻の下が伸びきっている。いわゆる、典型的な『スケベ面』だ。きっと、衆人環視の状況でなければ、行くところまで行っているはずだ。いや、彼はどこだろうと構わないのかも知れない。息が荒くなって来たところを、群衆に見えない角度から、戦士が拳で制した。
「ほ!! ……ほうほう……こりゃいかん、ワシとしたことが……」
伸ばしきっただらしない顔を、今度は集中させ過ぎた醜い顔にして一瞬、後ろの戦士を睨む。
幸か不幸か、群衆は最後まで気づかずじまいだった。それぞれに安堵の薄笑いを浮かべ、戦士が締めくくった。
「ありがとうございます! ありがとうございます!! 皆様に頂いたおこころざしに誓い、きっと悪しき魔女めをこらしめて参ります! 本当に、ありがとうございました!!」
パラパラとした拍手の中、三人は不必要なほどに、何度も何度も深くお辞儀をする。
やがて、群衆も徐々に散り始め、広場には三人だけになった。
「ふぅぅぅー……」
作り笑いの下に必死で押し込めていた、苦虫をまとめて噛みつぶしたような顔で、戦士がため息を付いた。
「ひぃ……ふぅ……みぃ……オラ!! ボサッと見てねぇで、テメェ等も手伝え!」
いらだたしさに舌打ちを絶え間なくしながら、地面に落ちた小銭を拾い、振り向きざまに怒鳴る。
「何よ偉そうに……」
「屈むと、腰が痛むんじゃがのぉ……」
二人は、不満むき出しの顔で、わざとゆっくり拾っていった。
「チッ! たかがこれだけかよ……こんなんじゃ、安物の薬草がいくつ買えるか……」
いまいましげに地面に唾をし、戦士は吐き捨てるように言った。
「フン、アンタの大道芸じゃ、それでも上等だわ」
「んだとテメェ! 誰のためにこんな事やってると思ってんだ?! そもそもは、テメェが『新しい服が欲しい』だの、『うまい飯が喰いたい』だので、せっかく稼いだ金を使い散らすからだろうが!!」
「あら! ちょぉっと使っただけで、『この剣は俺に合わない』だの、『この鎧は体に馴染まない』だの言っては、武器や鎧を取っ替え引っ替えしてたのは、ドコのどなたかしら?!」
ののしりあう二人に、魔法使いが割って入る。
「まぁまぁ、ケンカは良くないぞよ……」
優しさゆえの忠告と言うよりは、暗に……いや露骨に、『みっともなくてしょうがない。同類と思われるのは嫌だから、静かにしてくれ』と、顔に出ている。
即座に本音を見抜いた二人は、矛先を彼にも向けた。
「オメーも悪いぞ! 行く先々で『カワイコちゃんと、イイコトができる宿屋はないかのぉ……』って、そればっかりじゃねぇか! 挙げ句に、ぼったくられたのも、一度や二度じゃねぇだろう!」
「なんと!!」
心外そうな顔をして見せるが、図星ゆえ、言い返せない。
「テメエらの欲の皮は、どこまで突っ張ってやがんだか……」
「あら! それなら、アンタのそのミエは、どこまで広がるのかしら?!」
「醜いのぉ、ほんに、醜いのぉ……」
言い争いを始める三人。それぞれ、身勝手極まりない。
しかし、一つ誉められる点があるとするならば、これまでのやり取り全て、声のトーンを落として、小声でやっていたことだ。おかげで、周囲の人間には会話の内容が聞こえていない。そのあたりのつくろい方は、見事である。
少し離れて聞いていたタダシも、同じだった。『何か話しているが、きっと、これからの対策か何かだろう』と思った。
「悪しき魔女……やっぱり、アイツのことだよな」
クリープの、にんまりとした顔が脳裏をよぎり、ぶるりと震えが来る。
「こらしめる……たおすんだよな、やっぱり。そうだ! 散々ヒドい目に遭わされてきたんだ。こりゃいい! ……それに、アイツをたおせば、元の世界に戻れるかも知れない!」
口元を吊り上げ、タダシは戦士達に近づいていった。