教会はおろか、島影さえすでに無い。晩夏の海を、斬るような速さで陸への船は行く。
乗客も二人きりだから、かなり気楽だ。暇つぶしの本でも読んで黙々と過ごすのも手だけど、やっぱりいろんな事があったから、自然とそっちの話題で話が弾んだ。かたわらからの声。
「それにしても、ほんとにホッとしましたよ!」
「何がだい?」
「先生が、誰とも結ばれなくて、です」
驚く僕を、めぐみ君は、安堵の笑みに、ちょっぴりまた嫉妬を混じらせた顔で見つめる。
「ま、まあ確かに、シスターとは何度か寝たし、真琴ちゃん達からも、何か好意を受けてるなって感じはしたけど……」
「先生……やっぱりシスターとしたんですか!?」
「あっ……!」
めぐみ君の気迫に押されて、僕は思っていたことをしゃべっていたようだった。いまさら口を押さえても、もう遅い。
「ま、まあ、場の雰囲気として……さ? あはは……」
情けなさ全開の引きつり笑いをするところに来た言葉は、思わぬ物だった。
「違います! したくなったんだったら、どうしてわたしに言ってくれなかったんですかぁ!」
「はい?」
「シスターとしたことなんて、気にしませんよ。わたしだってしましたし。それより、待ってたんですよ。なのにちっともなんですもの……」
大げさに膨れてみせるめぐみ君。とがらせた唇から、なおも続ける。
「おかげで、不安だったんですよぉ……ひょっとして、誰かといい仲になってるんじゃないのかなって……」
言い終わって、一瞬伏せてから僕を見上げた目は、初めて島に来た日の、突然僕の部屋に押し掛けてきて身体を重ねた時のそれと、よく似ていた。
いや、事件が解決して、また二人に戻ったからこそ、瞳に込めた想いはより強くなったようだった。僕は、彼女をそっと抱き寄せながら言った。
「島に来た初日に、君の体当たりの告白を受けて、おいそれと真琴ちゃん達には手を出せないよ。そうだろ? めぐみ?」
「あ……」
「むしろ、僕もホッとしたよ。そうじゃないのかなとは思ってたけど、こっちから訊いて違ってたら、こんなに間抜けなことはないからね。はははっ!」
「ぷっ……変なことを気にするクセ、相変わらずですね、裕輔さん!」
どこまでもさりげない風を装って、僕は彼女を呼び捨てにして、彼女は僕を名前で呼ぶ。そして改めて間近に見つめた互いの笑みが、ありきたりの言葉以上に気持ちを伝えた。めぐみを、いっそう強く抱きながら、言う。
「他の娘がいるところで一緒に過ごしてみて、君の良さがよく分かったよ。遅くなってごめんな、めぐみ」
「……いいえ、いいですよ。これで、やっと始まりましたから……」
しゃくり上げる声と共に、顔の埋まる胸元が、熱い物で濡れる。僕は、黙って彼女の亜麻色の髪をなで続けた。やがて、なぜか再びむくれた声で、めぐみは僕を見上げて言った。
「でも裕輔さん! あれ、あんまりですよぉ!」
「あれって?」
「裕輔さんとのファーストキス! 忘れたとは言わせませんよぉ!」
「あ、そう言えば……」
僕の部屋へ来た初日の夜、不安を訴えるめぐみの口を、僕はウィスキーの口移しでふさいだんだった。思い起こせば、あれが彼女との初めてのキスだった……
「ま、まあ、行きがかり上……な?」
「そうですけど……」
「これから何百回でも何千回でもするからってので、許してくれないかな?」
「うふっ……わかりました♪」
「そんじゃ、カウントし直しの一回目って事で……」
「裕輔さん……」
回数としてはそうでなくても、本当に気持ちの通じ合った物という意味じゃ初めてのキスを、僕たちはたっぷりと堪能した。
そして僕は、再び涙に濡れ始めた目の前の顔を包み込んで言った。
「改めて、これからもよろしく、めぐみ。頼りにしてるよ」
いくつか言葉を作ろうとして、出来なかったらしい。めぐみは、少し口ごもった後、短く、でも力強く言った。
「はい! わたしこそ、よろしくお願いします!!」
おしまい