昼ちょっと前までに、俺とゆーきは各一匹ずつ釣果を追加した。一匹目と同じく、俺はメバル、ゆーきはアイナメだった。諏訪さんはというと、カレイとキスを一匹ずつ。両方とも砂地の海底に住む代表的な魚だということらしい。この釣果が多いのか少ないのか、ビギナーの俺には見当もつかないが、今晩のおかずの確保、という所期の目的は達成されたな。
空はやや薄曇りになってきて、明度の落ちた海面はそれを見つめる者を眠りの世界に誘う。簡単に言えば俺の集中力が無くなってきたということだ。さっきから、やたらアクビが出る。お、ゆーきがこっちに歩いて来たぞ。
「どーした、ゆーき。飽きてきたのかぁ?」
質問の中に思いがけず、自分の本音が混ざってしまったことに苦笑しながら、俺は座ったままゆーきの顔を見上げた。しかしゆーきはすぐに答えず、俺の真横まで来るとわざわざ姿勢を低くして、俺の耳に口を近づけて小声で言った。
「潤一さん、あの……あのね、ボク、お手洗いに行きたくなっちゃった」
いつもならはっきり『おしっこ』っていうゆーきだが、さすがに聞こえない位置にいるとはいえ、諏訪さんの存在が気になるのだろう。横目でゆーきの表情を確かめると、照れと困惑と焦りがミックスされた顔になっている。妙に可愛いその表情に、不埒な気分になりそうなのを意志の力で押さえつけて、俺はゆーきに答えた。
「どうも見える範囲にトイレは無さそうだな。我慢できそうにない?」
「……うん、だいぶ前から我慢してたから、もう……」
どうやら本当に切羽詰まってるようだ。はっきりと顔に出ている。と言うか全身に出ていると言った方が正確だな。足が内股になってるし、腰も引けてる。両腿に置いた手にまで『我慢の限界』が滲み出ている。このまま放っておくわけにもいかないので、俺は行動を起こすことにした。と言っても、この場合取れる行動はひとつだけしかない。そう、諏訪さんに相談することだ。俺はゆーきにこの場で待つように言って、自分の竿のそばにいる諏訪さんに、最寄りのトイレの場所を聞きに行った。
一番近いのはこの島唯一の船着き場にある公衆トイレだということだった。俺の記憶が正しければ、徒歩で約10分かかった筈。果たして今のゆーきに耐えられる距離・時間であろうか。むう……。
「まあ、男ならあそこの松林で済ませるんだけどね」
諏訪さんが目で示した先、コンクリート敷きの海岸が切れたところに松林があった。距離は約80mってとこか。割と木が密生していて人に見られる危険性は少なそうだ。
よし、背に腹は代えられない。俺は諏訪さんに頭を下げるとゆーきのところへ走って戻った。
「……と言うわけなんだ。どーするゆーき、船着き場まで戻るか? それとも……」
俺の言葉を最後まで聞かず、ゆーきはふるふると首を振った。船着き場まではとても保たないという意志表示だ。
「……判った。じゃ急がなきゃな。独りで行けるか?」
「ううん、一緒に来て、潤一さん……」
溺れかけた一件以来、どうやら独りで海のそばにいるのは怖いらしい。目の届く範囲に俺が居る限り大丈夫、というのは俺を信頼してくれているということなのか。ちょっと嬉しいが今はそれどころじゃない。俺とゆーきは堤防づたいに松林へと急いだ。
缶ビールと潮風が生成した急激かつ強烈な尿意。歩くという動作が膀胱に与える振動。ゆーきの苦痛がその表情を見ているだけで、手に取るように判る。だからといって俺に出来ることは何も無い。せいぜい歩調を合わせて歩いてやるぐらいのことだ。一度だけ、
「大丈夫か? あとちょっとだからな」
と声を掛けてみたが、
「……うん」
そう小声で返事をするのも辛そうなゆーきを見て、話しかけることすらためらわれてしまった。松林までさえぎるものは何もない。つまり諏訪さんから俺達の歩いている姿が見えるということだ。ゆーきは意識して自然に見えるように歩いている。ほんとなら両手で股間を押さえてしまいたいのだろうけれど、恥じらいの気持ちがそれを許さない。実際、自然に歩くという演技も、すでに破綻しかけているように俺には見える。両手を拳の形に固く握りしめ、歩幅は妙に狭く、肩から背中にかけて異常に力が入っている。と言うより膀胱直下の括約筋に込められた全身の力が、行き場を失って背骨経由で肩胛骨から震えを伴って滲み出ている、そんな風に見えた。
「……ん、ふ……ぅう……ん……」
俺は僅かに前に出て先導するように歩いた。すぐ後ろからゆーきの苦しげな息づかいが聞こえる。苦しげだがやけに色っぽく聞こえる。
……あ、またしても不埒な気分になってきた。ゆーきが苦しんでいるってのになんて奴だ、俺は……。とは言え俺のスケベ心もこれ以上ヒートアップすることはなさそうだった。なぜならその時点で、俺の右足はすでに松林に入っていたのである。さらに10mほど奥に入って俺は振り向きながらゆーきに話しかけた。
「どこか、いい場所は……おわっ!?」
驚いたことにゆーきはすでにスリムジーンズを膝の辺りまで下げ、下着の脇に指をかけて下ろそうとしている最中だった。一応林の中とはいえ、入り口のすぐそばの木もまばらな明るい空間の中で、大胆過ぎる行動をしているゆーき。とっさにゆーきの背後、諏訪さんのいる方向を見たが、どうやら見通すことはできないようだ。ほっとしてゆーきに目を戻すと、下着を膝まで下ろしたところだった。コットンのグレーとブルーのボーダーのスポーティーな印象のそれには、股布の部分にニワトリの卵ぐらいの大きさの染みが出来ていた。我慢の限界を超えてしまい、パンティを濡らしてしまったのを自覚して、あわててその場でジーンズと下着を下ろしたんだな、と理解した次の瞬間、ゆーきは立ったまま熱い液体を迸らせた。
(シュウウウウゥゥゥゥゥゥワワァァァァァーーーッッ……)
さすがに手慣れたもので、ゆーきの立ちションは見事なほどキマっていた。足を出来る限り開き、両肘でまくり上げたヨットパーカーがずり下がらないように押さえ、同時に指で自らの可憐な花びらを開きつつ少し引き上げ気味にしている。これにより素晴らしく美しい放物線が、ゆーきの股間からつま先の前方80cmぐらいのところへと弧を描いていた。
(パシャパシャパシャパシャ……)
地面の持つ吸収力を遙かに越す勢いで降り注いだために出来た池は驚くべきスピードで拡がっていった。水源となる滝の迸りはいよいよ勢いを増し、衰えることを知らないかのように見える。
「……ほうううぅぅぅぅ……」
微かな溜息に目を上げれば、そこには解放感に恍惚としたゆーきの表情。あまりに幸せそうな表情をしているので、見てる俺の方まで和やかな気分になってしまいそうだ。
だが、アクシデントは突然やって来た。
『ザ……ザアーッ……』
松林の葉が、枝が、音を立てて揺れる。海辺にはつき物の強い突風が吹き荒れた。埃と枯れ葉が巻き上げられ、俺は片手で目を覆った。
「きゃ、や、やだぁ、やぁーん!」
小さな悲鳴に細目を開けて見ると、ゆーきの足元から後光が射していた、と見えたのは一瞬で、すぐに何が起きたのか俺には理解できた。風で霧状になったおしっこに木漏れ日が乱反射していたのだ。黄色い霧はゆーきの下半身全体を包んでしまっている。すぐにしゃがんで姿勢を低くすれば被害を局限できたのだろうが、どうやらゆーきは慌てていたらしく中途半端に腰を引いてしまったままアタフタしている。と、風が止まった。
(……ジョボボボボボボボ……)
再び一本の筋に戻ったおしっこが、容赦なくゆーきの膝でブリッジのようになっているパンティとジーンズの内側へ注ぎ込まれた。みるみる色が変わっていくジーンズを、俺もゆーきも無言で眺めている。やがておしっこの勢いは弱まり、チョロチョロッと断続的になった後、止まった。
「………………」
「あーあ、やっちゃったな、ゆーき」
努めて明るい声で俺が話しかけると、ゆーきが顔を上げてこっちを見た。ちょっと目がウルウルしているようだ。
「うう……潤一さぁーん、どうしよぉ、これぇ……」
びっしょりと濡れたジーンズを指で引っ張りながら、途方に暮れたような声を出すゆーきに、俺も途方に暮れながら答えた。もちろん名案など無い。
「どうしようたって……どうしようも無いよなぁ。まあ、諏訪さんに相談するしかないだろ」
「うん……」
しょんぼりと頷いたゆーきだった。
諏訪さんに相談すると言っても、一部意図的に省略しなければならない。ゆーきが立ちションして、とは言えず、単に風が強くて服を汚してしまったとのみ、伝えた。結局、諏訪さんにも名案などあろう筈も無く、取り合えず汚した物だけ脱いで、あとはヨットパーカーの裾を目一杯下に伸ばすということにした。このパーカー、もともと俺のお下がりだから、伸ばせばゆーきの腿の半分くらいは隠せるだけの長さがある。さらに裾の部分のひもを引っ張れば風でまくれ上がる心配も無い。これをデザインした人間は天才だなと、俺は心の中で密かに感心してしまった。
ゆーきが諏訪さん持参のウェットティッシュで両脚を拭き、俺がビールのつまみが入っていたコンビニの空き袋にゆーきの汚れ物を押し込んでると、諏訪さんが釣り道具を片づけ始めた。
「す、済みません、ゆーきの粗相のせいで。気にしないで釣ってください」
「いや、そんなんじゃないんだ」
笑いながら諏訪さんが説明するところによると、今がちょうど潮の引ききった状態らしい。この潮が動かない状態は魚がほとんど活動しない、すなわちエサを喰わない状態なのだそうだ。1時間ぐらい待っても良いが、ある程度魚も釣れたので今日は終わりにするという。なるほど魚にも食事の時間が有るというわけか。
「それにね、夕方になると高速道路が混むから……」
竿を縮めながら諏訪さんが付け加える。
「……出来るだけ昼過ぎには帰るようにしているんだ。そうすれば晩飯に魚が間に合うだろ?」
「……完璧なプランニングですね」
そんなわけで俺たち3人は引き上げることにした。諏訪さんは両手に竿と道具箱(タックルボックスというらしい)、俺はクーラーボックスと口を固く結んだコンビニ袋を持って船着き場へと歩き出した。ゆーきは両手でヨットパーカーの前を下へ引っ張りながら歩いている。その耳元へ口を近づけて俺は囁いた。
「あんまり前を引っ張るとお尻が丸見えになるぞ。もっと自然に歩けば大丈夫、誰にも気付かれないさ」
「……あうぅぅ……」
耳まで真っ赤になってゆーきは小さく頷いた。その表情と動作がやけに可愛くて、またもや不埒な気分が湧き起こるのを俺は押さえられなかった。もちろん諏訪さんもいることだし、なんの行動も起こしはしなかったが。