「さぁて……」
電車に揺られることしばらく、俺がやってきたのは、駅前のデパート。時々、ゆーきとも一緒に来るところだ。土曜日の昼時というのは、いつも異様な熱気がある。まあ、俺だって、子供の頃は楽しみだったけどな。珍しいいろんな商品と、何より、デパートの大食堂が好きだった。にぎやかな場所で珍しいごちそうが食べられる、ちょっと大げさかも知れないが、俺にとっちゃ、夢の国だった。ゆーきも、お子様ランチが好きなんだよな。ずいぶん大きなお子様だな……っと、そうだ。こんなところで、ノスタルジーに浸ってる場合じゃない。その、ゆーきのためだ。俺は、婦人服売り場へと向かった。
「あちゃ……」
婦人服売り場。俺は、いまさらながら、自分の行動のうかつさを呪った。
あたりまえだが、柄からデザインから、種類が多すぎる。それに、ゆーきの体の正確なサイズを、俺は知らない。色の好みは、なんとなく推測がつくが、それ意外となると……適当に選ぶには、リスクが大きすぎる。
どうしよう……やっぱり、本人を呼ばなきゃいけないのか……? でも、それだと、びっくりさせてやろうという計画からはずれてしまう。せめて、サイズがわかれば……。……顔をしかめながら、腕組みをして婦人服売り場を一人歩く男というのは、他の客からすればかなり不気味だろう。だが、俺は真剣だ。眉間のしわは、ますます深くなって行った。
「いらっしゃいませ」「何をお探しですか」……形式的な女子店員の声がする。
だが、今の俺には、愛想笑いで答える余裕さえ無い。ただ、じりじりとした気分で歩きつづける。
「いらっしゃ……あれ? ひょっとして、友部君?」
そんな中、ふと、名前を呼ばれた気がした。
「はぁ?」
いぶかしみながら顔を上げる。そこには、デパートの制服に身を包んだ女子店員がいるだけだ。だがコイツ、妙になれなれしく微笑んでいるな。
「誰……」
「でしたっけ?」と続けようとしたところ、その店員が胸に着けている名札に目が留まった。
「ねえ、友部君だよね?」
「岩城……! お前、岩城か! なにやってんだ、こんなとこで?」
「何って、このデパートの店員よ。それ以外に見える?」
「あ……そうか……」
「うふっ……変わって無いね、そのちょっとボケたところ」
「ちぇっ……ほっとけ……」
彼女の名前は、岩城 真由美(いわき まゆみ)。俺の大学時代のクラブの同期だ。大学卒業以来、就職を機に疎遠になっていたんだが……
「こんな所で会えるとはなあ……」
「ふふん、嬉しい?」
「……誰がだよ」
「そりゃあ、友部君が、ね」
「言ってろよ……」
からかうように笑う岩城。こいつとは、結構気が合って、いろいろ話し合ったもんだ。数少ない、気の置けない女友達だ。だから、久しぶりに会えて動揺しているのもある。照れ隠しに目をそむける俺に、岩城は、笑いながら返した。
「でも、私も驚いたわよ。普通、男の人が一人で婦人服売り場なんて来ないじゃない?」
「ちょっと、事情があってな。どうしようか途方に暮れてたところだ」
「何? ひょっとして、彼女にプレゼント?」
「『ひょっとして』は余計だ」
「だって……ねえ?」
違う意味を含んだ岩城の視線が、俺の目の奥に突き刺さる。
「……とにかくだ、ちょっと、相談にのってくれないか? 実は……」
俺は、その視線を無理矢理引き抜き、ここへ来た本来の目的を話した。
「……ははあ、なるほどね。友部君も結構、気の利いたところ、あるじゃない」
「お前なあ……」
「まあ、友部君らしいわよね。こうって決めたら、意地でもそれを実現しようとして、おまけに、なんでも一人で抱え込んじゃって……」
「……だから、思い出させるな!」
「あっ……ゴメンね。つい……」
俺は、反射的に怒ってしまっていたようだった。岩城の驚いた声で我に返り、小さく「スマン」とだけ謝った。目的を見失ってどうする……。
「それで? 何か良いアイデアはないか?」
「そうねえ……サイズが分かれば良いんだよね? うーん……やっぱり、本人を連れて来ないと……あっ! そうだ! いい方法があるわ!」
しばらく首をひねっていた岩城が、やおら、手をポン! と叩いた。
「なんだ?」
「カジュアル売り場にね、仲の良い同僚がいるの。彼女に伝えておくから、友部君、なんとかその娘をカジュアル売り場に連れて来れない?」
「まあ……できないことはないな。新しいジーパンを買ってやるとか言えばいいだろう」
まあ、実際そっちも、新しいサイズのが必要だろうしな。
「OK。そしたら、彼女に、詳しいサイズを測ってもらうわ。それを、私に伝えてもらうってことでどう?」
「なるほど……。で、その同僚の名前は?」
「藤田さんって言うの。藤田 明子さん。友部君の名前を言ったら通じるようにしておくわ。時間とか、予定立てられる?」
「そうだな、昼までには来る」
「うんうん。そしたら、昼前に、藤田さんにジーパン売場の辺りにいるように頼んどくわ」
「すまん。恩に着るぜ……」
「いいのよ。他ならぬ、友部君の頼みだもの」
そう言って、岩城は、にこっ……と微笑んだ。なんだか、懐かしい、胸にグッと来る笑顔だな……。
「あっ……あと、その娘の顔とか見たいな。そうすれば、似合いそうなのが見繕えると思うから」
「顔か……写真でもいいか?」
「ええ。いいわよ。全身が写ってると、嬉しいな。今は……持ってないわよね、さすがに」
「そうだな。定期入れには入れてない」
「あら、薄情さん」
「あのな……」
「うふふっ……冗談よ。で、受け渡し、どうしよう? 友部君、今どこに住んでるの?」
「この前の駅の沿線だ。三十分もかからない」
「へえ、じゃあ、結構近所なのね。私も、同じ沿線の社員寮なんだ」
詳しい駅名を訊くと、三つほどしか離れていない駅だった。……奇遇だ。
「何だったら、どっちかの駅で待ち合わせるか?」
「そうね。友部君が決めていいよ」
「よし。それじゃあ、俺の家のほうってことで。時間はどうする? 今日の勤務は、いつ終わるんだ?」
「うーん……ちょっとはっきりしないから、駅についたら、電話するわ。さっきの、藤田さんの事もあるしね。友部君の家の電話番号、教えてくれる? あ、友部君って携帯持ってたっけ?」
「ああ。ちょっと前から持ってるぜ。必要に迫られてな」
「なになに? 仕事中に、彼女にラブコールしてるの?」
「……お前、飛ばしてんなぁ……」
「あははっ! まーね。私も変わりないって事よ」
確かに、ケラケラと笑う岩城を見ていると、学生時代と少しも変わっていない。懐かしささえあるな。たかだか、卒業してから三年そこそこなのに。
「それより、番号、渡しとくぞ。無くすなよ」
「はーい。あ、住所も書いてくれたんだ。いいの?」
「荷物の発送先がいるだろうが」
「あ、私が忘れてちゃ、ダメだよね。はははっ! んじゃ、そういうことで。仕事の都合で、遅くなるかも知れないけど、いい?」
「ああ。かまわんさ。……長々と、悪かったな」
「ううん。思いがけない人に会えて、私は良かったよ。……また、今晩ね」
「人が聞いたら、誤解されそうな締め方だな……」
「えー? されようよ、誤解」
「冗談が過ぎるぞ、岩城」
「はいはい、ごちそうさま。もうっ……変なところで冗談が通じないのも、昔のまんまなんだから……」
「じゃあな」
「うん。またね」
「ふう……」
帰りの電車の中。休日の昼過ぎということもあって、家族連れが結構多い。ドアの際に立ちながら、流れる景色をぼんやり遠目に眺める。
やがて電車は、岩城が今住んでいるという社員寮のある駅に止まった。
パラパラと乗り降りする、数人の客。乗ってきたその中に、岩城の姿を探す。……当然、彼女は今、あのデパートで忙しい時間を過ごしてるんだ。いるはずはない。
ふと、客の中に、彼女と同じぐらいの背格好の、若い客を見つけた。
……顔は別に似ていない。共通点といえば、髪型ぐらいなもんだ。肩までぐらいの……あれは、ボブカットと言うんだろうか、そんな髪だ。
「……………………」
一瞬、その乗客に、彼女の姿を重ねてみる。ただ、さっき会った彼女ではなく、俺の知っている、学生時代の彼女を。
ひとしきりクラブではしゃいでから、よく一緒に帰った。他愛のない話をして、笑い合いながら、学校から、駅までの道。かといって、寄り道をしたりすることはほとんど無かった。せいぜい、試験前に学校近くの本屋に行って、一夜漬け用の参考書選びを一緒にやったぐらいだった。二人きりで喫茶店へ行くことも、映画へも、飲み屋へ行くこともなかった。まして、その後なんて。でも、俺は……
彼女をきっかけにして現れる、暗く、粘ついた記憶をたたえた、過去の想い出の沼。そこへ、どっぷりと浸ろうとする俺を、今の俺が、違う言葉の網を掛けて、すんでの所で引っ張り上げる。
「そう言えば、あん時に比べて、岩城の奴、なんとなく疲れてるように見えたなあ……」
確かに、彼女の明るさは、昔から変わっていないようだった。でも、何だか無理をしているような気がした。それが、勤めによる物なのか、何なのか、俺にはすぐに分からなかった。
「……考えない方がいいな」
人の沼に足を突っ込むのはもう止めたはずだろう? その沼の深さ、水の色、粘り、汚れ……それは、その人にしか分からないんだから。
……沼にはまった俺でもなく、俺を引き揚げる俺でもない声が、どこからか聞こえた気がした。
気がつくと、自分の降りるべき駅へ来ていた。ドアももう開いている。
慌てて降りながら、ふと、後ろを振り返る。
……俺が彼女のイメージを重ねた女性客は、いつの間にかいなくなっていた。