Buddy(バディ)~『めい☆ぷる』より、まゆら・サイドストーリー(挿絵:TOMOKO)

自己二次創作
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拝啓 亮にい

お元気ですか? わたしは、おかげさまでとっても元気です!
フランスでの生活は大変だけど、お父さんや、涼ねえが色々助けてくれるから、嬉しいです。
でも、気がついたら、もう二年が経ってるんだよね。早いなあ。日本にいた頃は、三年生なんて、すごく先のことに思えたのにね。

亮にいは、ロボット技師を目指してるんだってね。梨乃さんとは、仲良くやってる?
ちゃんと、メンテナンスしてあげなきゃダメだよ。梨乃さんのきれいな心に何かあったら、わたしも、すごく嫌だから。そっちのお父さんみたいに立派な博士になって、しっかり、守ってあげてね!

直接会えるのは、いつになるか分からないけど、元気な二人の姿を想像して、わたしは、こっそりやきもちをやくことにします。なんてね。

それじゃあ、またお手紙します。返事、ちょうだいね!

美桜より

 追伸 『華宮』って、わたしのほんとの名字のはずなんだけど、これだけは、実はまだ慣れません。みんなには内緒だよ?

可愛らしいウサギの便せんにしたためられた楽しそうな文を読み、自然と、頬がゆるむ。
そして、いつも使う味気ない事務用ではなく、ほんの少ししゃれたレターセットを用意する。
「拝啓、親愛なる妹、美桜へ。手紙ありがとう……」
便せんの上を滑る手が、以前よりずいぶんましになった形で、文字を紡ぐ。
海の向こうの妹に伝えることは、俺以下、みんなが元気でやっているということ、あとは、たわいのないヨタ話だ。不安を感じさせる要素は、何一つ、織り込んでいない。
「――いつか、フランス語の手紙を受け取るのを、楽しみにしてるぞ。じゃあ、またな」
また少し自然とこぼれた笑みを、便せんの中へ、一緒に封じ込める。
「また、な……」
のり付けが終わると同時に、細く、長いため息をつく。
同時に、遠ざけていた緊張感が、様子をうかがうようにのしかかってくる。俺の顔から、笑みが、消える。

美桜が、実の父親……流浪の天才画家、東雲龍禅画伯こと、華宮耕太郎氏について、フランスへ旅立ってから二年。律儀な妹は、一ヶ月に一度、必ず、俺と父さんに宛てて、手紙をよこしてきた。文面からにじむ寂しさはじょじょに薄れ、今は、すっかり明るくなっていた。
つらかった。
会えないことが、じゃない。
俺は、美桜に、嘘をつき続けているんだ。「みんなが元気でやっている」という嘘を。
二年前のあの日、俺は、一人のメイドと、想いを遂げた。
梨乃。
完璧な家事の腕と、ほかの誰よりも優しい心を持ち、どこまでも美しく、可愛らしい彼女は、ロボットだった。
彼女自身がどう思おうとも、俺には関係がなかった。俺は、梨乃のすべてを受け止めてやりたかったし、梨乃も、精一杯俺に答えてくれた。間違いなく、俺は幸せだった。
しかし、蜜月を享受する俺達の前に、絶対的な宿命が立ちはだかった。
梨乃は、やはり精密機械だった。
膨らみすぎた気持ち――人よりも人らしい心が、彼女のメイドロボットとしての基本的な機能を阻害し始めたのだ。当人の主観的な価値基準がどうであれ、他人との関係を築いていく『人間らしさ』や、まして『恋心』など、『与えられた家事を、より効率的に行う』という機械としての至上命題の前には、排除されてしかるべき物だった。
結果、梨乃は、次第に俺とのことを忘れ始め……やがて、完全に、記憶を失った。起動したての、まっさらな、冷たい人形に戻ってしまったんだ。
絶望した。二人で大切に育ててきた想いが、あっけなく消え去ってしまったのだから。
「…………」
ふと、研究室の片隅を見る。

 視線の先、透明なカプセルの中には、生まれたままの姿をした、美しい黒髪の少女がいる。主電源を落とし、静かに、眠りについている……梨乃だ。

二年前、記憶が消えた時から、彼女は、ずっとあのままだ。仲良くするどころか、口さえ聞けない状態だ。

俺以外誰もいない、深夜の研究室。ため息をついたところで、とがめられる物でもない。でも俺は、決して、そうはしなかった。弱気の虫は、見せていられなかった。

「亮、いるのか?」
不意にノックの音がして、父さんが入ってきた。
「あまり根を詰めるなよ。無理をすると、できることもできなくなる」
静かに俺のそばに歩み寄り、あまりよくない顔を見てか、気遣う言葉をくれる。
「大丈夫だよ」と苦笑いで答えると、父さんはそれ以上何も言わずに、一冊の本を差し出した。
「頼まれていた資料を、持ってきてやったぞ」
「あ、あったんだ。ありがとう」
「ああ」
お互い、短い言葉しか交わさなくても、それで十分だった。俺は本を受け取り、パラパラとめくる。これで、また少し近づけるだろうか? ほんの少しだけ、嬉しくなる。
もちろん、読みもしないで、あるいは読んだだけのことで、劇的に物事が進むわけでもない。でも、行き詰まりかけていたところでの助け船は、本当に嬉しかった。
「美桜への返事を書いていたのか?」
闘志をたぎらせる俺を少しいさめるように、机の上の封筒を見て、父さんが言う。
「明日はまた、調べ物のために、朝早く出る。ポストに入れておいてやろう」
「うん、お願い」
手紙を受け取った父さんは、最後に、薄暗い研究室全体を少し見渡して……必然的に視界に入る、片隅のカプセルを見ても特に何を言うでもなく、「頑張れよ」とだけつぶやいて、出ていった。
「さて……」
部屋に再び静寂が戻ってくるのに合わせて、俺は、本の山と格闘し始めた。
広げているのは、ロボット工学の本ばかりだ。
美桜からの手紙にもあったとおり、俺は今、父さんと同じロボット技師になるべく、寸暇を惜しんで勉強をしている。すべて――俺の愛する、梨乃のためだ。
彼女の記憶は、確かに消えた。だがそれは、見かけ上のことだった。梨乃自身も、自分の人工知能に異常を感じていたのだ。せっかく築き上げた思いを、喪いたくない。その思いは、同じだった。だから彼女は、データとして存在する『心』のすべてを、できる限り圧縮し、メモリの片隅、ほんの小さな隙間に閉じこめた。
時間との戦いの中で、よほど必死だったのだろう。そのデータの圧縮方法は、すさまじい効率の良さである代わりに、展開方法は、制作者である父さんにも分からないものだった。
このデータを解析し、それが許容できる新しい人工頭脳を開発した上で、解凍して、戻す。そして、元通りの梨乃を目覚めさせる。
それが、俺と父さん以下、森咲機械工学研究所々員全員が、現在取り組んでいるプロジェクトの最終目標だった。
もちろんと言うべきか、それまでロボット工学に縁のなかった――むしろ嫌っていた――俺は、全くゼロからのスタートだ。勉強を初めて二年たった今でもまだ、周りの話についていくことがやっとだった。父さんは、「二年でそこまで理解するとは、たいした物だ」と言ってくれるが、正直、もどかしかった。早く、もっと早く覚えて、梨乃のことをちゃんと考えてやりたい。俺は、どこか――それが、悪い方向にしか働かないと分かっていても――焦っていた。

もう一度、部屋の片隅を見る。静かに目を閉じている、梨乃。その顔が、気のせいに決まっているのに、かすかに微笑んだ気がした。
「ごめんな、梨乃…… ふがい……なくて……」
見つめるその姿が……不意に、ゆがみ始める。
一瞬の気のゆるみを、ここ二、三日こらえていた睡魔が見逃してくれるはずもなかった。
「待ってろ……よ…………」
俺は、気の抜けた笑顔のまま、意識を、遠のかせていった。

「……う……」
次の瞬間には、窓から、小鳥のさえずりが聞こえてきた。よほど深く眠っていたんだろう。
「あれ? 亮君じゃないか。おはよう」
ずいぶん早くに出勤してきた研究員の一人が、俺に気づいた。彼はもう一度「おはよう」とつぶやいて、自分の席に行こうとする。俺も、それ以上、特に話すことはなかった。
「――亮君、一度ベッドでちゃんと寝て、外へ散歩でも行って来たらどうだい? 今日は、日曜日だよ」
ぽつり、とした短い言葉が、少し重く感じる。俺は、ハッとなった。
みんな根を詰めているのは知っている。安易な励ましが通じない状況なのも知っている。だから……誰にも、脱落して欲しくない。『休めるときには、無理をしてでも休め。私たちこそ、機械ではない』……父さんはよく、そう言った。
「分かりました。じゃあ、そうさせて貰います」
「うん」
俺は、小さく会釈をして、家の方にある風呂場へと向かった。伸びをした身体からは、歓声にも聞こえる勢いで、ポキポキと骨が鳴った。

目覚めたときには、もう午後をずいぶん過ぎていた。確かに頭はかなりすっきりとして、体の節々に砂鉄のようにたまっていた疲れも取れて、気分が良かった。このまますぐに研究室に引き返したい気持ちもあったが、そうすると、朝に会った研究員の好意を無駄にしてしまう。俺は軽く身支度をすると、外の空気を吸いに出かけることにした。

「あら?」
何気なくやってきた公園で、覚えのある女の声を聞いた。
「森咲君、だよね?」
「あっ?」
振り向いて、驚いていた。
「彩蕗(あやぶき)……」
そこにいたのは、柊学園の同級生にして、俺の幼なじみである柚香の親友、彩蕗まゆらだった。
「久しぶりね。中退以来じゃない?」
「そう、なるかな?」
言われてから気づいて、少しうろたえた。確かにこいつの言うとおり、俺は、梨乃との一件があって学園中退の意志を伝えて以来、この彩蕗はもちろん、柚香や、恵介の顔すらまともに見ていない。
「かなり入れ込んでるみたいだね、彼女のこと」
「まあ、な」
もちろん、彩蕗にも、俺と梨乃の関係や、彼女が現在どういう状況にあるのかは教えてある。だが、この言い方だと、まるですぐ手の届くところに元気な梨乃がいるようで、俺は少し、言葉に詰まってしまった。
「緊張をほぐしたつもりだったんだけど、悪かった? だったらゴメンね。そんなつもりじゃなかったの」
いつもの調子で、さらっと謝る彩蕗。まったく、変わっていないようだった。俺はただ、「いや」とだけつぶやいて、小さくかぶりを振った。
「だめよ、森咲君。いくら大事な恋人のためとはいえ、根を詰めすぎると」
「同じ言葉を、研究員さんにも言われたよ。だから今日は、休むことにしたんだ」
「なるほど。今日は暇があるわけだ?」
「ま、な」
「じゃあ、ちょっと時間ちょうだいよ。森咲君に、言いたいこともあるしさ」
「俺に?」
「まーまー、二年で積もった話ってとこよ」
促されて、ベンチに座る。ケラケラと笑う彩蕗の目は、どこか、哀しそうだった。

座ったはいいが、何となく手持ちぶさたな俺は、「ジュースでも買ってくるか?」と言ったが、「いらない」とあっさり断られた。
「ところで、彩蕗は今、何してるんだ?」
「うん、フツーの女子大生よ。日々これ平穏ってとこね」
「柚香は? あいつ、ちょっと前まではちょくちょく電話くれてたんだが」
「その話も、したくてね」
ふふん、と鼻で笑うような顔をして、彩蕗は切り出した。
「森咲君がびっくりする話と、アタシがちょっと哀しい話、どっちがいい?」
「おまえが哀しいって?」
「やだ、そんな真剣な顔しないでよ。簡単な話だから」
「じゃあ、その『哀しい話』から聞くか」
「OK」
うなずいてから、特に溜めナシで告げられた話題は、かなり衝撃的だった。
「柚香に、彼氏ができたの」
「えぇっ!?」
俺は、声に出して驚いていた。あくまでさらっと言われたが……ことの規模はでかい。
「ちょっと待て彩蕗。そりゃどういう……」
「……っ……」
食ってかかかろうとして……、気づいた。
こいつ――彩蕗は、ことの善し悪しはさておくとして――柚香のことが、友達以上に好きだったんだ。学生時代、誰のことが好きなのかはっきりしなかった俺を、真剣に怒ってくれたのは、こいつだった。そしてその怒りは、自分自身の、柚香への好意からだった――。

「じゃあ、結局、俺がびっくりする話、ってのも?」
「うん、おんなじ。ちょっとひねってみたかっただけ」
話す言葉は軽くても、俺という縁浅からぬ人間に言ったことで、ショックがぶり返してきたのだろう。彩蕗の顔は、少しこわばっていた。
「そう、か……」
震える視線から逃げるのも兼ねて、俺はうつむいて考えた。
なるほど、一年ほど前まではちょくちょくあった柚香からの電話が、ここ最近ないこともうなずけた。しかし、つきあいが長い幼なじみとしては――ついでに言えば、あいつの、自分への好意を少なからず感じていた身としては――全く驚かないわけにはいかない。
「まったく森咲君、もったいないことしたわよね。せっかく、幼なじみっていう、これ以上はないアドバンテージ持ってたのに」
ニヤリと口元をゆがめて、肘でつつくかのような言葉。俺は、少し困ってしまう。
「だからって……」
「そ、絶対にくっつかなきゃいけないって義務はないわ。お互いの自由だもの」
先読みして俺の台詞を盗る彩蕗の顔からは、あの張りつめるような緊張感はなくなっていた。「ただねぇ……」と、ため息の後に続く。
「アタシとしては、森咲君とくっついてくれた方が、後々ちょっかいをかけやすかったかな~って」
「あのなあ?」
それはそれで、あり得たことなのかも知れないが、今の俺には、どうしても、その三人の中に、もう一人、梨乃がいる。それしか、浮かばなかった。
「ごめんね、森咲君にも、ちゃんと大事な人がいるのに」
またもや、俺の思考を読んだかのように、彩蕗が言う。俺の方が少しあわてて、「いや、いいさ」と、言っていた。
「それより、彩蕗も、あいつのことを『人』って、言ってくれるか」
「まあね。柚香から、性格的なこともさんざん聞いたし、元々ロボット嫌いだったはずの森咲君が、ここまで惚れ込んでるんだもの。たぶん、人よりも人らしいんだろうなぁって、想像はつくわ」
「そう、だな」
人よりも人らしい、梨乃の心。そう言ってもらえると、少し、誇らしい気持ちになる。同時に、使命感も強くなる。
「それそれ。森咲君に、そういう顔させる娘なんでしょ? できれば、忘れちゃう前に、じっくり話しておきたかったな」
「いつになるかは分からないけど、治ったら、改めて紹介するよ」
引き締まる顔を見て愉快そうに言う彩蕗に、俺は、少しだけ自信をにじませた笑みで答えた。
「うん、楽しみにしてる」

それから、柚香の彼氏についての話を軽く聞いた。どうも、最近汐路町に引っ越してきた男で、たまたま穂々月神社へ参拝に来たところで、柚香に出会い、一目惚れしたらしい。以後、熱心にアタックをかけ、見事、恋は成就した、ということだった。
「落ち着いたら、会ってあげなよ。別にあの娘、アンタのこと怒ってるわけじゃないから」
少し砕けた彩蕗が、俺を「アンタ」呼ばわりするが、むしろその方がしっくり来る気がする。そして、ハキハキと話すその手には、細身のタバコが一本。不思議と、コイツにはサマになっていた。
「吸う? メンソールだけど」
視線の先を見たのか、彩蕗が勧めてきたが、俺は丁重に断った。行き詰まったときに吸ってみたくなるときもあるが、始めるとクセになりそうだ。
「それにしても、おかしな話だよな……」
俺は、空に向かって自嘲的な笑みを浮かべながら言った。
「梨乃に人らしさを取り戻すためなのに、俺の方が、研究以外での人との触れ合いが極端に少なくなってる。なんだか、あべこべだ」
「気づいただけでも、よしとしなきゃ」
「ま、な……」
彩蕗の言葉が、時折聞かされる父さんの言葉にかぶる。
「『私たちこそ、機械ではない』、か……」
「なあに? 根を詰めすぎてるって、お父さんに、そんな説教されてるの?」
「そんなとこかな。ははは」
コイツの鋭さについては、もういちいち驚くことはない。
「機械と言えば……」
そこで俺はふと、彼女にこれまで訊けなかったことがあったのを思い出した。
「彩蕗、そう言えば、お前は、ロボットについてどう思ってるんだ?」
「人型が普及してるってことについて?」
「ああ。俺のことは考えなくていい。どうなんだ?」
否定的な意見が出てくるかもしれないのはいい気分じゃないが、俺の考えと、彩蕗の考えは違って当然だ。少し、聞いてみたかった。静かに待つ。
「どうとも思ってないわよ」
「えっ?」
あまりに単純な答えに、俺は、思わず訊き返してしまった。しかし、彩蕗は同じ調子で続ける。
「正確には、好きか嫌いか、決められないでいるって所かな」
それから、詳しく聞いた。
確かに、需要があって発達した産業だし、それによって救えた人がたくさんいるのも知っている。
同時に、依存しすぎて、悪い意味で人らしさをなくしている者がいるのも知っている。
好きと言えば、負の現実から目をそらしているような気がする。
嫌いと言えば、仮に自分がロボットを必要とする境遇になったとき、心の整理をつけづらくなる。本当はもっと細かく話してくれたが、要約すると、こんな所だった。
ひとしきりを話し終え、ふう、とため息をついてから、彩蕗が言う。
「色々考えたけど、結局、ずるいのよね。アタシって。流されるままって感じだもの」
「いや……」
それは違う。むしろ、広い視野で物を見て、他人のことを考え、自分自身ともじっくり対話して、その後の言葉だ。
結論は、簡単に二分できない。はっきりしないのが問題な時もあるだろう。しかし、考えている。考えて考えて、『決められないという結論』にたどりついた。表層的で安易な、分かりやすい答えより、あるいは、考えることから逃げて『分からない』と答えるより、はるかに価値があるだろう。
「俺の質問の仕方が悪かった。すまん」
「ふふっ、そうみたいね」
勝ち誇った笑みを向ける彩蕗。俺は、苦笑いするしかない。
「やっぱり、お前にはかなわないな」
「ありがと♪」
「ははは……」
俺は、本当に久しぶりに笑った気がした。軽くはあるけれども、つきあいではない、きちんと感情が動かされての笑みだった。何かとささくれ立っていた心の中に、暖かい物が広がっていくのが分かった。
「ところで、いいの? アタシなんかと無駄話してて? 一日は短いのよ。息抜きするんなら、もっと実のあることしなきゃ」
新しいタバコに火をつけようとして、ふと、彩蕗が言った。
『無駄なんかじゃなかったさ』
そう言いたかったが、やめた。
「そうだな。じゃあ、これから久しぶりにゲーセンでも行って来るか」
コイツに限っては、こうやってあっさり接する方がいい。そういう確信があった。
「じゃ、またね」
すいっと立ち上がって、すたすたと歩き去る彩蕗。振り返ることもしない。
――ただ、少し背中が小さくなったところで立ち止まり、背中越しに、ヒラヒラと手を振った。照れくささじゃない。あくまで、忘れ物を思い出したような素振り。それが、一番似合う仕草だった。

「いない、か……」
それからちょうど一週間後の日曜日。俺はまた、同じぐらいの時間に、公園に来ていた。
しかし、目当ての人物はいない。当たり前だ。約束なんて、全くしていないんだから。
「待ったところで、来る保証なんてないよな……」
自嘲気味にひとりごちて、俺は、その日は他の所へ行くことにした。

「……お」
「偶然ね、何やってんの?」
そしてまた次の週。やっぱりいないかな、と思って、それでも気まぐれで少し待っていると、彩蕗がやってきた。
「誰かと待ち合わせ?」
「あ、いや」
お前を待っていた、とは、なかなか言えない。彩蕗の方も、特にそれ以上つっこんでは来なかった。ごまかしついでに、振ってみる。
「お前こそ、誰か待ち合わせをするような奴はいないのかよ?」
「いてほしいなあ、とは、人並みには思うけどね。まだよ」
ケラケラと笑う顔。たぶんコイツは、何でもこうやって流せるんだろう。お調子者じゃない。ほんとに頭がよくて、強いんだ。学生時代のあれこれを思い出して、考える。
「どう? 研究の方は」
「まあ、あれから二週間だしな。そう、劇的には進まないさ」
「やっぱりね。――気をつけなさいよ。ここでの息抜きさえも、ルーチンワークになっちゃうかもしれないから」
不意に真面目な顔で、彩蕗が言う。十分な説得力をたたえた顔だった。
「ああ、ありがとう。注意しとくよ」
「そう言いながら、ずるずる行ったりしてね? うふふっ」
「ははは、怖いな?」

――それから、本当になんということのないヨタ話が続いた。彩蕗は、大学のこと。俺は、学園時代の思い出話や、今の状況、研究についてなど。今度は缶コーヒーを二人で飲みながら、色々に話は転がった。

「あ、結構話し込んじゃったわね?」
「だな。日が傾いてる」
「結構面白かったわ。専門外のことで、分かんないことの方が多かったけど」
彩蕗はそう言うが、彼女の類推力、理解力の鋭さは、やはりすごかった。本格的にロボット工学を勉強すれば、俺より飲み込みが早いかも知れなかった。
「じゃ……また、偶然があったら」
「そうだな」
そして俺達はまた、あっさりと別れた。

その後、偶然は何度も起きた。繰り返すようだが、直接の約束は、一度たりともしていない。でも、二週間に一度の日曜日、昼下がりの公園。そこに行けば、ほぼ必ず、彼女はいた。しかし、あくまで『ほぼ』だ。来ないときもあった。会うのはあくまで『偶然』なんだ。怒るのは、筋が違う。
会うたびに俺達は、どうでもいい話を延々とした。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと……それまであったことを、色々話した。互いに喜び、時には反発しあい……そのたびに、俺は、心底から感情を動かすことができた。研究で心がすさんで、まずいな……と思ったときは、いつも日曜日だった。

「なあ、まゆら。今日は寒いから、喫茶店でも行かないか?」
「あら、ホットの缶コーヒーじゃ不満?」
「正直な。なんか、わびしいぜ」
「亮のオゴリなら、行かないわよ」
「分かってるって」
何ヶ月かが経って、『偶然』が十回を超えた頃。俺達は、お互いを名前で呼び合っていた。「まゆら」という呼び名が、気負う事もなく、時が来た、とばかりに自然に出てきた。少し、楽になった。
俺達のしゃべりあう場所は、公園と、喫茶店になった。
まゆらは、決して俺におごられようとしなかった。甘えるつもりは、全くないようだった。そして、その後もない。断じて、デートじゃなかった。
確かに俺は、まゆらに会うのが楽しみになっていた。でもこれは、恋愛のような気持ちとは違う。それは、まゆらも知っている。コイツとの間には、俺と梨乃のような、『人とロボット』という絶対的な物よりも、もっとずっと簡単で、その気になれば、いつでも越えられる――だが、断じて越えてはいけない『線』があった。
もし、その『線』を越えてしまえば……単なる浮気と言うだけでは済まない。ある意味では、愛情よりも大切な物を喪ってしまいそうだった。
「…………」
「どしたの、亮? アタシの顔、じっと見て? なんかついてる?」
向かい合って座る喫茶店の席で、二人してブラックのコーヒーをすすりながらの時間。まゆらが、不思議そうに聞いてきた。俺は、そのきょとんとした顔をしばらく楽しんでから、あきれたような口調で言った。
「ほんっと、お前っていい女だよ……」
「なんだ、今頃気づいたの?」
ひどいなあ、と言わんばかりに、口をとがらせるまゆら。半分以上、本気で思ってる。でもそれは、魅力にこそなりはすれ、決して、イヤミにはならなかった。まったく、頭がよくて、程良くドライで、かっこいい女だった。

――『偶然』は、なおも続いた。
一年続き、二年が過ぎ……いつしか、俺にとって、まゆらとの会話は、心の支えになっていた。そのおかげか、研究の方もかなり順調で、後一年もすれば、すべてのケリがつきそうな予感がしていた。

「おかげさまで、大学も卒業できたわ。やっぱ、嬉しいもんね~」
ある春の日。まゆらの顔は、いつになく晴れやかだった。
「そいつはめでたいな。しかし、それだけにしちゃ、ずいぶんな喜び方だな?」
なんだかんだで、俺も、まゆらの心情を推し量るのが、結構うまくなっていた。
「そ。ある意味で卒業よりも嬉しいことがあったからね」
「というと?」
「彼氏ができたの」
「おお!」
驚いた。そういえばこの二年間、まゆら自身の恋愛については、理屈は聞いても、実際のことは聞かなかった。
「良かったな、おい!」
「ありがと、亮。柚香に遅れること二年! 長かったわぁ~!」
俺は、素直に祝福していた。我が事のように嬉しかった。
確かに、今やまゆらは、俺にとって大切な人の一人だ。
だが、断じて恋愛関係じゃない。
適度な距離を互いに保ち、いつも、平穏な状態で会える関係。ある意味では恋人以上に互いを知る、親しき友。そうだ、今更だけど、コイツは俺の親友なんだ。
満面の笑みで、俺は言う。
「それにしても、お前みたいな変わり者とつきあおうって言うのは、どんな奴だ?」
「んふふ…… 案外、亮の知ってる人かもよ?」
「え? 誰だ?」
「恵介君」
「嘘だろ!?」
「嘘よ」
人を思いっきり驚かして、ストン、と落とす。いつものやりくちに、またまんまとはめられてしまった。でも、楽しかった。「まいったな」と言う俺に、「大学で会ったんだから、亮の全然知らない人よ」と、まゆらは付け加えた。
「そういえば、恵介は、柊学園卒業と同時に就職したんだよな。お前は、どうするんだ?」
「んー、彼とは結婚を前提につきあってるけど、おとなしく専業主婦や普通のOLするのはシャクだしなあ…… やっぱ、手に技術でも持とうかしら?」
「お前なら、何でもできるよ。なんなら、ウチに研究員見習いで来るか?」
「あははっ! 考えとく♪」
「はははっ、頼むぜ? 人手が足りないんだから」
「給料次第かな? ふふふっ」

それからしばらく、二人で含み笑いが続いた。
含み笑いは声になり、声は、次第に大きくなる。
俺達は、思いっきり大笑いしていた。不安なことは、何一つ入る余地はなかった。

「あ、ごめん、亮。実はアタシ、これからデートなんだ。だから、今日はもう行くわね」
「ああ、頑張ってこいよ」
「うわ、なんか深読みさせる言い方~♪」
「子供じゃないし、な」
「ま、ね。じゃっ!」

軽やかな足取りで、まゆらが去っていく。
いつものように、途中で背中越しに手を振るかと思ったら……その日だけは、立ち止まって、くるりと振り返った。大きな声。
「亮! アタシ、これからもアンタに電話やメールはしないからねーっ!」

 俺は、黙ってぐっ、と親指を突き上げる。それをニヤリと見届けて、まゆらは同じポーズを返す。そして再び歩き出し……やがて、見えなくなった。

それでいいんだ。
俺達は、恋人じゃない。
無言の信頼で結ばれている、親友(Buddy)だから。

また、『偶然』会おうぜ、まゆら。

――終わり

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