みしっ ~ザ・グレイト・スパンキング・ショウ

SF(少し・不条理)
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……私はいったい、どうしてしまったのだろうか。
……何の目的で、何の理由で、ここにこうしているのだろう。
……動けない。
……手も、足も、頭も、腰も、微動だにしない。
……力はこもる。でも、動けない。

……目の前に広がるのは、一面の闇。
……灯りを消したからとか、日が暮れたからという闇ではなかった。
……たとえるなら、一面のコールタール? 墨汁? 下水?
……いや、そんな人工的な黒ではない。もっと、『それが当たり前の黒』という色だった。

……何も見えない。そして、何も感じない。
……身体の前面……闇に露出している身体のどの部位にも、暑い寒いを感じない。カバンを握ったままの手にも、制服のスカートからのびる足の膝小僧にも、何より、混乱がすぎて無表情になってしまっている私の顔にも、何も感じない。まったく、奇妙な闇だった。

私は、その闇の向こうに視線を投げながら、こうなる以前……今朝からのことを思い出していた。

……とは言っても、そんなに特別なことはなかった。
いつもどおりに目が覚めて、いつもどおりに朝食をとり、いつもどおりに登校して……学校でも、同じだった。いつもどおりに授業を受けて、進み具合に関して特に気に病むこともなく、友達と特にいさかいを起こしたわけでもなく……普通に一日が過ぎていった。

どこだろう?
どこで、私の日常は狂ったのだろう?

……そうだ、あの曲がり角だった。

私は、それなりに疲れた身体を引き連れて、家までの道を歩いていた。
そして、いつもの曲がり道……通りなれすぎていて、特に前を見ることもないような細めの道……そこを曲がったところだった。

みしっ

何かに、音を立ててぶつかった。人でもなく車でもなく……中途半端な堅さを持った、大きな壁のような物だった。

そして、この状況に至るのだ。その、突如現れた巨大な壁に身体の前面だけ埋まってしまい、身動きがとれないという、不条理な状況に。

がやがやがやがや……
どよどよどよどよ……
ざわざわざわざわ……

後ろからは、相変わらず様々なざわめきが聞こえる。十や二十ではきかないだろうほどの、種々雑多な声。
そうだ。私がさっきからずっと違うことを考えようとしているのは、この背後にある気配たちのせいなのだ。

「イエーーイッ!! グッディーブニン、エッブリバディーーーッ!!」
「いえーーーーいっ!!」
そのざわめきの中から、マイク越しの声がした。続いて、それに呼応する群衆の声も。
「ンッンー! グレイトなテンションだぜブラザー!! OK! じゃあ今日も、スカッと行こうぜェッ! きょおーのスパンカーはぁーー……」

ざわざわざわ……!

「YOU!!」
「やったぁーーっ!!」
指名を受けたらしい若い男の嬉しそうな声がした。段を上がる足音と、嬉々とした気配がすぐ近くに来る。
「ヘーイ!!」
「ヘーイッ!!」
「YOYOブラザー! アピールはいいから、早くおっぱじめようぜ?」
「ああ、ゴメンゴメン。嬉しくってさあ!」
「分かるぜ分かるぜ。じっくり楽しんでくれ! 平手で50だぜ、OK?」
「OKOK!」
司会らしき陽気な男の声と、ステージに上がった男の声と、興奮にわく群衆の声が交錯する。

そして……
「いーちっ! にぃーいっ! さぁーんっ!!」

ひゅおっ……ずぱぁーーーーんっ!!

「ぎぃっ……!?」
『ダーーッ!』という雄叫びの代わりに聞こえてきたのは、風を切る音と、鈍い衝撃だった。闇の中、自分の目から火花が飛び散ったのを、私は確かに見た。
「あ……あぁっ……うっ……!」

ぶっ……ぱぁーーーんっ!!

「いひぃっ……!!」
衣服が包み込むそれとも、照りつける太陽とも違う熱さが、私の下半身を襲う。局地的でいながら、体中に染み渡る熱さ。何より、痛い。
「あぐっ……!」

私のお尻が、制服越しに叩かれている。
事実としてはそれだけだけれど、状況が変だ。
私は壁に半分埋まって、群衆に向かってお尻だけを突き出している。
そして、叩かれる姿を無数の目にさらしている。

こんな事があっていいのだろうか? いいやよくない。
「はぎっ……! あ……ううっ……!!」
考えている間にも、定間隔で来る衝撃。
私のうめきが、目の前の真っ暗な闇に吸い込まれていく。
「いや……いやぁあ……あひっ……!!」
どれだけ叫んでも、闇はその色を変えなかった。口から飛び散る唾のしぶきも、だだ流れるよだれも、照り返す光のない空間ではただの排泄物でしかなかった。

ずぱぁーん……! ぶぱぁーん……!

「うっ……うぅぅっ……うぐっ……!」
ざわめきはもう、聞こえない。いや、お尻に意識が集中されすぎて、分からなくなっているだけなのかもしれない。
「HOHOHO! ワァーッタ、セェクスィー、ヒィーーーップ……HEHE……」
ふるふるともがく私のお尻に、司会の、奇妙に粘ついたセリフが吐きかけられた。
「オウケェイ、ブラザー……? あと10だぜぇ?」
「ふっ……分かってるさ……」
「いくぞおぉぁあーーっ!」
振りかぶる気配。
後10回。後10回我慢すればいいの!?
私は、きつく目を閉じ呼吸を止めて、最後の屈辱を耐えようとした。
すると……

「ちょーーーっと待ったぁあーーーっ!!」
「ワァット!?」
「何だ!?」
若い女の声。こちらに向かって走ってくる。気配だけで分かるほどに、その勢いは強い。
「オラオラオラオラオラァァーーーッ!」
「ワ……ット……!?」
「ひっ……!?」
その女性は、舞台上に躍り出るや、うなる拳で司会と男をのしたらしい。

みしっ! みしっ!

……そんな、鼻の軟骨がつぶれる音が確かに聞こえたからだ。
……ところで、どうして私は『みしっ、という鼻の軟骨がつぶれる音』を知っているのだろう? 最近読んだ、格闘物の小説のせいだろうか?

「ふうぅー……」
荒ぶる女性の息吹と、静寂。
歩み寄ってくる、熱い気配。
しかし……

どわぁぁーーーっ!

不意に、舞台上の気配が増えた。
様々な声が聞こえる。

「乱入OKなら、俺にやらせろ!」
「いいや、ワシだ!」
「あたしに!」
「僕に!」
「ばぶうっ!!」
「※▼¶ΣΨρξωёж!!」

飛び交う怒号と共に、無数の手が私のお尻をなで回す。
節くれ立った男の手、
きめの細かな女の手、
しわがれた老人の手、
とても小さな、赤ん坊のような手?
なんだかぬめっとしたうろこのついた手……!?

痛い。
服の上からとは言え、あれだけ叩かれたのだ。スカートの下のお尻は、大きく腫れ上がっている。そんなピリピリとした肉を、布でこすられているのだ。痛くないはずはない。食いしばる私の歯の奥から、新たなよだれが闇の中に糸を引いた。

「やはりスパンキングは生尻に限る! そりゃっ!」
私のスカートとショーツをむしる手。外気が、熱い肌に浮き出た汗を冷たく拭う。
「何言ってるの! 衣服越しに奏でられる、はかなくも間抜けな音に醍醐味があるんじゃない!! こうよ!!」
と思ったら、別の声がスカートを元に戻した。
「ばぶっ!」
また脱がされ、
「こうじゃっ!」
またはかされ、
「ЖЗΠΨ!!」
脱がされ、
「貴様ッ!」
はかされ……
「……!!」
脱ぎ、はき、脱ぎ、はき、脱ぎ……

「だぁあぁーーーっ! いーかげんにしろぉぉーーーーっ!!」
闇に向かって叫びたかったセリフを、壁の向こうの乱入女性が怒鳴った。
顔も名前も知らないけれど、話したら結構気が合うかもしれない。
彼女が続ける。
「こうしてくれるッ!」

スタタタタタタタタッ!!

……と思うや、乾いた連射音が遠くに聞こえた。
……壁と私に隙間はないけれど、きっと外の空気は、火薬……硝煙の臭いがするのに違いなかった。

「ふうぃー……」
息をつく女性の声と、再びの沈黙。
そして、闇と、銃と、壁と、むき出しの腫れたお尻。
さぞかし奇妙な光景だろうと思う。
女性が近づいてくる。
「ごめんねぇ……」
鼻にかかった声で、細い手が私のお尻を何度もさする。ピリピリとした感覚が、背筋を何度も駆け抜けた。
「無粋な連中ばっかりで、いやでしょぉ……? 私が……」
慈しむようになで続けられ、それがなんだか気持ちよくなってきたところで、彼女の手が止まり……
「たっ……ぷりしてあげるッ!!」

ひゅんっ……ぱぁーーんっ!!

「ひきっ……」
どくん、と心臓が一瞬止まり……
「ーーッ、ーーッ、ーーーーーーッ!!!」
呼吸を忘れた口が、うめきと共にぱくぱく動き……
「ひゅおぉおぉおお…………」
ものすごい勢いで息を吸い込み……

「ああぁあぁぁぁぁーーーーーっ!!!!」
私は、絶叫した。さっき言った格闘小説の作者が書く『感動的な痛み』とは、こんなのを言うんじゃないだろうか。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!!!!

ばちぃいぃいーーーーんっ!!

「あがっ……!!」
思う間に、もう一撃。
痛い痛い!! 痛い痛い!! 痛い痛い!!

べちぃぃいぃーーーっ!!

「ぎ……ひ……ぅ……!!」
定間隔を持って、さらに。
いたい、いたい、いたい、いたい、いたい……!
私はもう、『痛い』という一言しか言えない口を持った、お尻だけの存在になってしまったようだった。
大きく体を震わせて、痛みを紛らわせたい。もがいて抵抗したい。はってでも逃げたい。
でも、私を捕らえるこの不条理な壁は、私の力のことごとくを吸い尽くしてしまう。

ずぱぁーーん……!! ずぱぁーーーんっ!!

いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい。
イタイ痛いいたいいたいたいやいやあぁああやいためたいやぁ……

「うぅうぅぅぐふうぅうぐうえあぁあぁ…………」
汗、涙、よだれ、鼻水、涙、よだれ……
闇の中に、ただ無為にこぼれていく、顔からの排泄物。
私は、一つのことだけを思っていた。
「こんなの……嫌だ……!」
壁の向こうから声が聞こえる。
「んっふふう……ほんっと、叩きがいのあるお尻ねえ……。おっやぁーん? なーんか、お尻の割れ目が光ってるぞぉ!?」
「……!!」
細い指が、赤黒く形を変えているだろう尻の谷間に滑り込んでくる。熱く、粘ついた潤みをたたえているその部分が、「ぐちゃり……」と音を立てる。
「ンッンー……嬉しいわねえ……こぉーんなイケナイ子で……」

ぱぁーーーんっ……!!

私の股間と同じぐらい粘ついた声がして、また一撃。
私は思った。こんなのは嫌だ、と。

そう。こんなのは嫌だ。

今日は、お父さんにおしおきしてもらう日だったのに。

本当のお父さんじゃないけれど、私の大好きなお父さん。一度家に帰ってから、お父さんとホテルで待ち合わせして、お父さんのお膝の上で、ちゃんと叩いてもらいたかったのに。

ばしぃーーーんっ!!

お父さんなら、私が垂れ流したヨダレも涙も、ちゃんとキスで拭ってくれる。私があそこを濡らしても、イケナイ娘だと怒った後で、優しく触ってイかせてくれる。

びたぁーーーんっ! べちぃーーーんっ!

お父さんなら、お父さんなら、お父さんなら……!

「あっ…………」
それでもイッてしまったのか、それとも逃げたかっただけなのか、私は、周りの闇をいっぱいに吸い込んで、意識を遠のかせていった……。

・・・・・・・
・・・・・
・・・

ピピピピピ…… ピピピピピ……

「んっ……」
手探りで目覚まし時計を止め、私はのろのろと起きあがった。
いつも寝覚めはあまりよくない方だけど、今朝はとりわけ良くない気がする。一言で言ってしまえば、虫の居所が悪いのだ。
しかし、そんなことで学校を休むわけにはいかない。こんな日は、おとなしく一日を過ごして、帰りにどこかで気晴らしをすれば良いんだから。私は、そんなことを考えながら、身支度を済ませて家を出た。

「……ん?」
いつもの通学路を歩いていると、いつもと少し違うことに気付いた。
あちこちの駐車場に、今日はやけに宇宙船が多いのだ。これは、ひょっとして……? 私は、期待に胸を膨らませて歩を早めた。

「……やっぱり!」
大当たり、だ。
校門をくぐるまでもなく、グラウンドにはステージが現れていて、老若男女、異星や魔界も問わない大勢のギャラリーがいる。
ステージの上には壁が一つあり、そこから無作為に選ばれたヴィクティム(犠牲者)のお尻がぽこんと突き出ている。
「イエェーーーイッ! グンモーーーニン、エッブリバディーーーッ!」
「イエェーーーイッ!!」
「ンウゥーーン! ナイス! ナイスなテンションだぜブラザー!! オウケイ!! きょーーーのスパンカーはぁーーーっ……!」
「YOU!」
「イェヤッフーッ!!」
アフロにサングラスの司会が指さしたのは、一人の若い男性。正式に群衆に加わっていない私は、司会の気にもとまらなかったようだ。
でも、くやしい。今朝は、さっきも言ったとおり虫の居所が悪いのだ。
「よし……」
私は、カバンの中から愛用のメリケンサックを取り出すと、それを拳に装着した。
そして……走る!!
「ちょーーーっと待ったぁあーーーっ!! オラオラオラオラオラァァーーーッ!」
群衆の海をかき分け、一気に壇上へ躍り出る。
「ワ……ット……!?」
「ひっ……!?」
そして一瞬の隙をつき、うなる私の拳! 寸分の狂いもなく、男二人の顔面を捕らえる。クリーンヒットだ。

みしっ!!

……という、鼻の軟骨が砕ける音を、私は確かに聞いた。

―Now, It’s the Show-Time!?

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