そして、月日が流れた。クリープはタダシを、奴隷のようにこき使った……かというと、そうでもない。掃除洗濯などの雑用はさせたが、どちらかというと、遊び相手、そして夜伽―変な意味はなく、文字どおり、寝床での話し相手、そして添い寝である―の方が主であった。料理はクリープが作るのだが、その姿は嬉々としており、まるで新婚家庭の新妻のようであった。
「おっまたせー!」
満面の笑みをたたえ、食卓の準備をするクリープ。そこへ、げんなりとしたタダシが就く。
「今日のメニューはぁ、タランチュラの姿焼きにぃ、コブラの蒸しもの、つけあわせに、蛇の目玉のマリネ。そしてデザートは、猿の脳味噌のシャーベット!」
「うっ……うぶっ……」
テーブルに並べられた料理に、食べる前から吐き気をもよおすタダシ。目を閉じても、異様な臭いが鼻を突く。
「はいっ! あーーーんっ」
こんがり焼けたタランチュラをフォークに刺し、タダシの口に運ぼうとするクリープ。
「あーーーんっ!」
仕方なく、ぶるぶると震えながら口を開く。
「ぐっ……うえっ……」
……タランチュラの毛が、毛ガニを思わせてうまい……わけはない。息を止めながら、もぐもぐとかみ砕いていく。
「おいしい?」
半ベソでもぐもぐやっているタダシに、無邪気な声が掛かる。
しかし、必死になって食べているタダシには、聞こえない。
「おいしい??」
再び、顔をのぞき込んで、声が掛かる。
「う……うん……」
青ざめた顔で、かろうじてうなずく。
「よかったぁ! たっくさん食べてね! あ! そうだ。ドクミミズのスープ、お鍋に掛けてたの忘れてた! 持ってくるから、待っててね!」
まだあるのか? と、目をむくタダシには全く構わず、
「まっ・て・て・ねっ」
と、頬を指でつついたりなどして、クリープは、ぱたぱたと台所へ去っていった。
タダシは、クリープが視界から消えたのを確認してから
「うっ……げぇぇぇ……」
窓の外に向かって、こらえていた吐き気を解放した。
口の中に溜め込んでいた『料理』が、胃液と共に落ちていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……くっそぉ……」
疲れ切った顔に、若干の恨みを混じらせ、つぶやく。
「もう……限界だ。何もかも! 決めた! こんなところ、出ていってやる!!」
タダシは、意を決して窓を乗り越えた。
タダシの術は随分前に効果が切れていた。ある朝それに気がついたのだが、それがばれると、また何をされるか分からなかったし、あの術をかけられるときの、何とも言えない気持ち悪さは、そうそう味わいたくない。
何より、当のクリープの顔が、あまりに嬉しそうで、言うに言えなかったのだ。
だが、その我慢も限界だった。遊び相手と言っても、面白半分に魔法の実験台にされたり、モンスターがうようよいる地下迷宮でのかけっこやかくれんぼ等、あまり微笑ましくない物ばかりだ。加えて、出される料理は―術が解ける前は、アレを胃袋に収めていたのかと思うとぞっとする―得体の知れない物ばかりだ。
もうだめだ。ここは心を鬼にしよう。そう決心した。『この辺りに街はないわよ』とクリープから聞いたが、そんなことはどうでも良い。ここから逃げ出せれば……!
タダシは、そんなことを考えながら、城から一直線に伸びる道をひた走った。追ってくることはない。以前、クリープと共に外に出ようともしたのだが、彼女だけ見えない壁に阻まれているようで、出られなかったのだ。
―彼女は、この城から出てはいけない。そういう『決まり』なのだ。
「ごめぇん! スープが煮詰まっちゃってて、味を調えるのに時間が掛かっちゃったのぉ」
再び城の中。名前通り、毒々しい色の細長い物体がたっぷり入ったスープ鍋を念力で浮かせながら、クリープが戻ってきた。が、そこにタダシの姿はない。
「あれぇ?」
ひとまず鍋をテーブルに置き、部屋を見渡す。
「ドコ行ったのぉ? ……あ! 分かった! 食後のお遊びはかくれんぼだ? よーし!!」
嬉しそうに、あちこちの部屋を探す。
「おーーーいっ」
返事はない。
「おーーいっっ!!」
色々な物陰も見てみる。が、いない。
「ねぇ……どこぉ……」
笑顔がだんだん消えていく。
「どこ……いったの……? ねぇ……」
最後にたどり着いた、誰も居ない大広間の真ん中で、ぼう然とつぶやく。その声も、豪華な部屋の装飾品に吸い込まれるばかりだ。
「また……アタシ……ひとり……ぼっち?」
クリープは、その場にへたり……と崩れ落ちた。
いつもは穏やかな空気も、
着慣れているはずのこの服も、
この城の広さも、
全てが、寒い。
細い肩が、小さく震える。
今まで感じたことのない、冷たい風が、音を立てて、その体を、通り抜けていった。