「なあ、トミー。タバコくれ」
「あいよ」
かたわらからの声に応じて、俺はオイルライターと共にタバコの箱を、隣に座る奴……ウッチーに渡した。
「火」
「おまえなあ……」
いつものこととは言え、そしてそれが悪意などみじんもないのは分かってはいても、『いい身分だな、オイ』と言いたくなる。でももちろんそんなことは言わずに、俺は渡したライターを再び受け取り、ウッチーのタバコに火を点けてやった。オイルはまだたっぷり残っているらしく、大きな炎が揺らいだ。
「もらったタバコで、火を点けてもらうのがうまいんだよ」
そう言ってウッチーは、さもうまそうに細長い紫煙を吐いた。
「ふう……」
俺も、自分の分をくわえて火を点ける。はっきり目がさえているせいか、覚醒作用は余り感じず、ほのかに甘いなじみの味だけが、鼻に広がった。
二人してじっくりタバコを味わいながら、とりとめのない話を延々としていく。大学時代から数えて8年目のつきあいともなると、考え方や呼吸も分かっている。だから、話題は際限なく転がり、軽い話から重い話まで、様々に及んだ。
「それ、こないだ新聞……まあ、スポーツ新聞だが……でみたんだが、コギャルがインタビューに答えてたんだよ。『景気が悪いから、就職先が決まらないの~』って。んで、履歴書に話が及んでな。したら、『書くことないから、ほとんど空欄~』とか言うんだ。そりゃ、景気以前の問題だとおもわんか、ウッチー?」
「そうだなあ。俺が担当者なら、まず落とすな」
「まあ、昔の俺も、みっちり書いてはいたが、まず敬遠される内容だったけどな。……そういやあ、ちょっと前にゃあこんなことがあったよな」
と、話が当世若者気質―つまりは『最近の若いモンは~』という、少々年寄りじみた所へ来たときだ。話題は、最近起きた奇妙な事件へと及んだ。
奇妙、とは言っても、なにがしかのオカルティックなドラマが起きる類の物じゃない。少なくとも俺達の価値基準からすれば奇妙、という事件だった。
雨に増水したある河原に、若者のグループが取り残された。当然、救助隊が出動して彼らは救助されたわけだが……
「助けられた連中、報道陣や、救助隊にくってかかったんだとさ。『助けてくれと言った覚えはない』ってな。んで、暴行沙汰よ」
「バカだな」
「ああ、バカだ」
吐き捨てるような声が重なる。
まったく、信じられない事件だった。そんなところで気取ってどうする? 正義感から助けた救助隊員の気持ちは? これから続く命より、すぐに忘れるくだらない反骨が大切なのか? ……自分で振っておいてなんだが、胸がむかつく。
「そういう奴は、いっそ死んでくれと思うな」
俺の思っていることを、ウッチーの冷ややかな……つまり本気の……声が代弁してくれる。俺は、「ああ」とだけうなずいて、少し考え始めた。
「どうした?」
「うん。どうせ見殺しにするなら、シチュエーションに凝ってみようと思ってな」
「ほう、さすが作家」
「よせやい」
照れくささを苦笑いでごまかして、俺が考えたのはこんな感じだった……。
川岸を埋め尽くす、黒山の群衆。皆一様に、取り残された若者を見ている。
ただし、その目に感慨はない。路傍の石よりもっと何気ない目だ。
言葉もない。微動だにしない。街頭の前衛彫刻よりも、なお静かに。
セミの声も止まる。聞こえるのはただ、濁流の音だけ。
濁流はますます激しくなる。
若者に残された地面は、ますます小さくなっていく。
しかし、誰も動かない。ずいぶん長い時間が経っているのに、用を足しに行くことさえ忘れたかのように動かない、老若男女。
やがて、濁流に混じって、若者の声が聞こえる。子供じみた悪態だ。
群衆は動かない。さらに続く、貧困なボキャブラリーから来る悪口雑言。
群衆は答えない。ただ、見つめ続ける。いっさいの感情なしに。
さらに地面は狭まる。ついに、若者は哀願を始める。くだらない虚勢をわび、恐らくここ数年流したことのないだろう涙を見せて。
しかし群衆は答えない。隣の誰かと話すこともなく、一人でうなずくこともなく、ただ、そこにいる。
絶望と恐怖がにじむ、若者の声。轟音が、それをかき消していく。
濁流、悲鳴、轟音。
群衆、沈黙、傍観。
もがく手、浮かぶ頭、遠ざかる影。
追う目、無感動、静寂。
終焉、あるいは終演を告げる、間。
群衆は帰っていく。静寂のまま。
風に飛ばされた風船を追い疲れたときよりも、もっと淡々と。
そして、褐色の濁流だけが残る川辺に、思い出したようにセミのしぐれがよみがえる……。
「……で、幕。どうだ? こういう描写を思って胸がすくってのも、かなりイジワルかもしれんが」
「いや、怖くていい感じだったな……」
「……さんきゅ……。はあ……」
一席ぶち終わった後は、二人してため息になる。後味が悪いからじゃない。ウッチーがげんなりと言う。
「面白かったが、状況にマッチしすぎだな」
「……だな。悪い」
ぼそりとした俺のつぶやきが、近い轟音に消える。身体には、水しぶきがかかる。
……そう、実は、こうやって話している俺達自身が、今まさに、増水した河原に取り残されているんだ。
今し方話したシチュエーションなんて、無いのは分かってる。そして、携帯で救助を要請して、それを心待ちにしているという点も、くだんの若者とは違う。ただ、救助を待つまでの間、天気は晴れているにもかかわらず、どんどん水かさが増しているのが不安だった。
「間に合う……よな? ウッチー……」
「でなきゃ困る」
「はは……そうだよな……はははっ……」
「ハハハハッ……」
乾いた笑いで見上げた空からは、いっぱいのセミしぐれ。
いつもはうっとうしくて仕方ないその声も、今は奇妙にありがたかった。
おわり