雪の降る朝

男が一人、家の中で作業に没頭していた。
その家は、狭くはなかったが、中は、嵐にでも遭ったかのように散乱していた。
散らかっているものは、機械の部品、設計図、書物など。うず高く、という表現がよく似合い、その上には、うっすらとほこりまで被っていた。

男は、その部屋の中心で、ひたすら作業に没頭していた。伸び放題の髪をかきあげ、複雑な図面を引き、時に溶接の火花が散り、時に歯車のきしむ音が立ち、時に工具の起こす振動が本の山を崩し…
ふと、机の上、一冊の本が床に落ちかけた。
「おっと…!! あ…痛ッ!」
男は、机から落ちようとした本を受け止めようとして火花に手を突っ込み、悲鳴を上げた。だが、本は無事だったようだ。
「ふう…良かった…。この本が焦げたりしたら、大変だからな…。いててっ…!」
男は、安堵のため息と共にぽつりとひとりごち、額ににじんだ冷や汗を、今しがたできたやけどのある腕でぬぐってしまい、再び悲鳴を上げた。

「…ちょっと休憩するか。えーと、あれはどこだったかな…」
いじり回している機械から離れ、男は、目的の機械…軽い怪我なら瞬時に治してくれる、万能治療機を探した。散らかり放題の部屋で、目的の物は簡単には見つからなかった。
「…ああ、あった…っと…」
やけどに息を吹きかけながら引っかき回すことしばらく。ようやく、ペンライトのようなそれが見つかった。スイッチを入れ、赤くはれ上がった傷口に照射する。しばらくそのままでいると、やけどは、跡形もなくなっていた。
「…ふうっ………」
治療器の電源を切り、もとあった場所に戻すと、軽いため息が出た。「やれやれ…」という声をその息に乗せ、彼は、「椅子」とつぶやいた。すると、散乱する諸々を押しのけ、足下に椅子が現れた。どかり…と腰掛けると、椅子は、もっとも心地よい形に自分の尻を包み込み、自動的にマッサージを始めてくれる。
「コーヒー…いや、水でいい」
大きくもたれかけながら、天井に向かって呼びかける。すると、そこから、グラスに入った冷たい水が、トレイに乗って、静かなうなりと共に、目の前に現れた。
「ニュース」
彼はそれを口に含んでから、今度は前方の壁に向かって声をかけた。程なく、立体テレビの大画面が、ニュースを流し始めた。

「…………」
映し出されるニュースは、休憩時間にはふさわしくないものばかりだった。どこそこに強盗が入った、誰が殺された、だまされた、泣いた、怒った…およそ、気がめいる事ばかりだった。
『では、変わって行楽の話題を…』
ニュースキャスターも、そればかりでは悪いと思ったのか、天気や、今の季節に合った観光地の事を話し始めた。確かに、さっきの話題よりはいくらかマシだ。彼は、チカチカとまたたく画面を、ぼんやりと眺めていた。

『…春、夏、秋…三季を通じて、この植物園は…』
「…っ! …もういい…! 消えろ…!」
ニュースキャスターが、お決まりのものとしていった言葉に、彼はひどく腹を立て、いまいましげな声で、テレビを切った。

再び、部屋は静まり返った。
部屋の中には、彼一人。他に物音を立てるものもない。
「…………」
今しがた使った、万能治療器と、それで治した、さっきのやけど。
「…窓」
言葉に応じて天井の一部が開き、外に見えた青空。散らかる部屋、部屋の中央、作りかけの機械。火花から救った、古い本。肉のついていない、やせた自分の手のひら…。
それらを順番に眺め、男は、改めて、自らの使命を確認した。

この『機械』を作り初めて、もうどれぐらいになるんだろうか。寝食を忘れ、夜を昼にして、数え切れない試行錯誤を繰り返し…。
男は始め、『普通』に科学を志していた。いまや当たり前になった、人の暮らしを助ける便利な機械類。『おまえ程の天才なら、どこへ行っても通用する。きっとお前は、暮らしをもっと便利にする機械が作れるだろう。期待してるぞ』周りは言っていた。
だが、彼は思っていた。便利な機械、それに依存し、何不自由ない暮らしを謳歌する人たち。太古から夢見られてきた、理想のはずだ。でも、何かが違う。たとえばそれは、さっき見たニュースの中にも感じられる。
繰り返される犯罪、尽きる事のない、人々の悲しみ。技術が進歩すればするほど、どんどんひどくなっているようだ。
彼は思う。
『…外側は豊かになった。だが、人の中身は貧しくなったのではないか?』
あるいはその疑問も、新しい技術が出、時代が変わるたびに、太古から繰り返されてきたものだろう。しかし、その疑問が声高になる事は無かった。なぜなら、その言葉を口にする人間もまた、いつしか拒んでいたはずのモノになじみ、依存してしまっていたからだ。
彼もそうだった。どれほど同じ事を言っても、彼自身、身の回りにある技術に染まりきっていた。仮に、これらの機械類が無くなったら、生活など出来ないだろう。だから、本来なら、批判する資格など無いはずだった。

だから彼は、理由を別の所に求めようとした。人々の心がすさんでしまったのは、単純な機械の発達以外に、何かがきっとあるはずだ。そう思いこんだ。思えば思うほど、それは彼の中で『確信』になった。

そんなある日、彼は、一冊の古びた本…先刻、火花から救ったあの本を見つけた。
それは、彼の先祖が残したものだった。あちこちの字が消え、読めるところは少なかったが、何か惹かれるものがあり、彼はそれを読んでいった。
読後、彼は、衝撃のあまり、しばらく口がきけなかった。

『失われた季節と、作られた世界、人々の心について』

…今彼がいるこの世界は、実は巨大なドームであり、人工的に季節が作られている。いつも快適なのは、消し去られた季節があるからだ。忘れられた季節。それは『冬』と呼ばれる。『冬』は、寒く、冷たく、厳しいが故に、人々は忌み嫌った。だから、ドームにこもり、『冬』を消し去った。だがそのせいで、人の『気』はいつまでも冷やされる事なくよどみ、熱く悪しき『気』が満ちるだろう。そうなれば、世界は、きっと悪い方向に行く。人工的な冷気ではない、自然の冷気が、人々の心をもとに戻すだろう。『四季』を取り戻せ…。

その本の内容を表す、もっとも適切な一言がある。
『荒唐無稽』。彼の周りの人間が読めば、鼻で笑って済むだろう。
だが、彼は信じた。常に『理由』を求めていた彼の心に、その本の内容は、ごく自然に溶け込んでいったのだ。

彼は考えた。本の内容を証明する方法、実際に『四季』を取り戻す方法を。
…自分のいる世界がドームなら、外にはちゃんと『冬』があるはずだ。それなら、ドームを壊せばいい…。ドームを壊せるほどの機械を作ろう! …その結論に至ってから、研究室を兼ねたこの家にこもり、『機械』の製作に明け暮れる日々が始まった。

『使命』を見つけた彼は、嬉しくなって、その本の内容と、自分の計画を周囲に話して聞かせた。だが、人々は不審に思うだけだった。熱く語れば語るほど、彼は狂人として遠ざけられていったのだった。

しかし、彼はくじけなかった。
おれには、彼らを救う使命がある。おれがこの『機械』を完成させて、『冬』を取り戻せば、おれを遠ざけていた人々も、優しく、穏やかになるだろう。おれのことを、みんな分かってくれるはずだ。おれは、やり遂げなくてはいけないんだ…!
…その思いこみを糧に、彼は『機械』の製作を続けていた。




「…んっ…うーん…?」
そんなある日のこと。彼は、ブザーの音に、突っ伏していた顔を上げた。どうやら、作業中にまた眠ってしまっていたらしい。
「インターホン…。君かい?」
虚空に向かって命ずると、そこに、利発そうな若い女の顔が現れた。玄関の映像だ。
「こんにちは。どう? 調子は?」
「…順調だと思うよ」
「よかった! ねえ、入ってもいい?」
「ああ。相変わらずの部屋だけどね。…アンロック」
何日かぶりに見るその顔に、彼はちょっと疲れた、だが嬉しそうな笑顔で、部屋の鍵をはずした。
「おじゃましまーす」
「いらっしゃい」
部屋に入ってきたその女性は、慣れた動きで床のものをよけ、彼の隣にやってきた。

「外の様子はどうなってる?」
「…相変わらずね。街中がピリピリしてるわ。息が詰まりそうなのも、相変わらず…」
「…そうか…」
彼が出したコーヒーをすすりながら、彼女はうんざりとしたようにつぶやいた。

彼女と話すことは、いつもさほど変わらない。街がいかに不穏であるかということと、いつからこうなってしまったんだろうという愚痴、将来への不安、昔へのあこがれ、自分への励まし…その繰り返しだった。だが、それでも、彼には貴重な話し相手だ。

…この娘がここへ来るようになって、どのぐらいになるだろう? 研究を始めた最初からいる気もするし、最近知り合った気もする。だが、ひとつ言えるのは、彼女は自分と同じ、と言う事だ。彼女は、自分と同じ悩みを持っている。今の世の中をおかしいと思っている。狂人扱いされている自分の話に真剣に耳を傾け、信じてくれる、たった一人の女性だ。その思いは、彼女も同じだった。そして、何度も話をし、思いを共有するうちに、二人の間には、愛情にも似たものが芽生えていた。ただ、それをかなえるのは、『機械』ができてから…と、お互い決めていた。取り戻した『冬』の中、清らかな心で、思いを遂げよう、と。

彼女と話すと、勇気付けられる。おれは、彼女のためにも、この『機械』を一刻も早く完成させなくてはいけない…。彼女の屈託のない笑顔を見るにつけ、彼は、その思いを強くするのだった。

「じゃあ、またね。…早くできると良いね」
「ああ。ありがとう」
ひとしきり話した後、いつもの別れの台詞と共に、彼女は帰っていった。

「さて…」
再び、誰もいなくなった部屋。彼は、軽くつぶやいてから、作業を再開した。




それから、さらに月日は過ぎ…。
部屋の中央には、天に向かって尖塔がそびえていた。
これが、『冬』を呼び、人々を救う『機械』。
すべてを注ぎ込んだ、彼そのもの。
「でき…た…ぞ…! つい…に…!」
彼は、やつれきった顔でうめいた。
後は、動かすだけだ。
動かすタイミングは、まさに今。秋から春に変わる、この時期。
スイッチを押せば、おれのすべてが報われる。
おれが、人々を救うんだ…!

だが、今の彼に、そのスイッチは遠かった。
気力だけでもっているに等しい体は、思い通りに動いてはくれない。
歯ぎしりしながら、震える手を伸ばそうとする。
それでも、遠い。
なんてこった。せっかく作ったのに、動かせないのか…?
その時、玄関のブザーの音がした。
「…ア…ア……ン………ロッ……ク……」
彼は、かろうじて絞り出した声で、玄関のドアをはずした。もう、ろくにしゃべる事もできそうに無かった。
「きゃっ…! だっ…大丈夫?! なんか、胸騒ぎがして、慌てて来てみたんだけど…!」
「…………」
色をなくす彼女に、彼は、部屋の中央を見るように、目で言った。
「…あれは…! できたのね?! ついに完成したのね!!」
「…………」
「…私に、動かしてくれって…?」
「…………」
「…分かったわ。でも、いっしょに押そう? ね?」
そして彼女は、彼の手を取り、スイッチへと導いた。
…彼の手は、生気を失いかけていた。

「押すよ…」
「……………………」

・ ・ ・

その日の朝、一筋の閃光が、空へと伸びた。
その光は虚空へ吸い込まれることなく、天に、大きな穴を穿った。

ごうっ…!

そこから、人々の知らない空気…『冬』の大気が、真っ白な雪と共に、勢い良くなだれ込んできた。

その空気を吸った人は、確かに、清らかな気持ちになった。
体にたまった、熱くよどんだ空気が、一気に冷えて無くなったような気分を味わった。
そして、安らかな気分のまま、だれかれ構わず、その場で、眠りについた。
ばたり、ばたり…と、目覚めることのない眠りへ…。

彼の先祖も、彼と同じだった。この世をおかしいと思っていた。
ただ、『機械』を作った彼が、人々を救おうとしたのに対し、本を書いた彼は、この世を憎んでいた。その理由はもう分からないが、彼は世界を滅ぼそうとした。そして、研究の末、彼の心を表す季節…冬の寒さで大繁殖し、ひと吸いすれば死に至るような強力な毒の菌を作り、外の空気にばら撒いた。
狙いどおり、彼もろとも、多くの人々が死んだ。だが、辛うじて生き残ったわずかな人々は、巨大なドームを作り、忌まわしい『冬』を思い出さぬよう、その季節を無かったものとして、再び暮らし始めた。

彼は、冬が無くなることによって、本当に人々の心がすさむとは知らなかったが、ドームは計算に入れていた。だから、子孫の誰かがドームを壊すように、思わせぶりな言葉で本を書いたのだった。彼の遺志を継ぎ、すべてを根絶やしにしてくれるように…。

冬の空気が、ドームを満たす。
動くものは、もはや何もない。
その上を、雪が、覆っていく。

閃光が伸びた元、屋根の壊れた家の中では、
若い男女が死んでいた。
その手は、しっかりと重なり合い、
部屋の中央、天に向かって尖る、大きな機械のスイッチを押していた。

雪は、その二人の死体にも、はらり…はらり…と降り積もっていく。
誰よりも、満ち足りた笑顔を浮かべている、二人の上へ…。

-完-