お呪(まじな)い~コレクション・ハウスの夜3_5

5.イシの檻

 それから、何人もの『被告人』の『裁判』が『執行』された。
由佳も、何度か『執行人』になった。そのたびに、得も言われぬ『充実感』が彼女を支配した。『自分は、今、確実に人の役に立っている』

ここがどこだっていい。ずっと居たい。由佳は、心からそう願っていた。



 その高校での、生徒連続失踪事件は、もう何件目だろうか。登校途中、下校時、突然行方が解らなくなる。手がかりもない。家族や学校にも、思い当たる節が全くない。それが、この事件の共通点だった。
様々な憶測、推論、デマが飛び交ったが、事件はなおも拡大した。そのためか、奇妙であるにも関わらず、その事件は小さく扱われた。
ある雨の日、民家の庭で、女子高校生の死体が発見された。
奇妙な点は、それが『突然』現れたことだった。にもかかわらず、すでに腐乱しかけており、加えて運ばれた形跡もない。
しかし、事件は、死体があった場所の上が、その生徒の部屋だったことから、自殺と断定された。そして、死体遺棄の容疑で母親を事情聴取する、と記事は締めくくっていた。

だが、その死体が、腐乱しかかっているにも関わらず『笑っている』ように見えたことと、傍らに、本が落ちていたことは全く触れられていなかった。

立派な赤い装丁だっただろう……と、推察しかできない程に雨と泥にまみれ、朽ちかけたその本の傍らに、同じく赤い紙が落ちていた。

不思議なことに、雨にも形を崩さないその紙には、銀のインクでこう書かれていた。

『コレクション・ハウスへようこそ!』
-了

お呪(まじな)い~コレクション・ハウスの夜3_4

4.懲罰の部屋

「こちらです」
再び、黒い男が歩き出して程なく、大きな扉があった。闇に慣れた目に、古めかしい木の扉だと映った。
「さぁ、どうぞ」
“ぎぎぎぎぃぃ……”
見た目通りの重々しい音を立てながら、男がゆっくりと扉を開く。中は小さなホールのようになっていた。燭台が他より多くつけてあるが、煌々とした明るさではない。その光に照らされて、矩形に並ぶ十数個の椅子と、そこに座る男達が見える。

一見、ごく普通のスーツをきちんときた男達だ。ただ、目には皆、白い仮面―デスマスクを連想させるような―を着けていて、細かな顔立ちや表情までは解らない。
なにより奇妙だったのは、それだけの人数が居ながら、全くと言っていいほど男達に『気配』を感じないことだ。
もし、傍らの男に、『あれは人形です』と説明されたら、即納得しただろう。
しかし、そうは思えなかったのは、由佳が部屋に入った瞬間、人数分の『視線』を感じたからだった。

ただ、その多量の『視線』の質は、由佳が『慣れて』いる物とは少し、違っていた。
軽蔑でもない、哀れみでもない、好奇でもない……。でも、視線の密度に驚くだけで、そんなに悪くない。

なんだか照れるような気分を味わっていると、男が促した。
「あちらへどうぞ」
男の手が示す先、矩形の隅に、空いている椅子があった。質素ながらも、使い込まれた飴色が、ぼんやりとした光りによく映える。

「……」
促されるままにそこに腰を下ろす。
すぐ隣の席にも、仮面の男が座っている。軽く会釈をした由佳だったが、隣の男は微動だにしない。

「では、始めさせていただきます」

一際高らかな声が響きわたる。そして、天を衝くように掲げられた男の指が、

“パチン!!”

乾いた音を立てて鳴った。すると……

「ちょっとぉ! なにすンのよ! 離せ! 離せったらぁ!!」

男の後方から声がした。見ると、眼前の男と同じような出で立ちをした男が二人、少女の腕をつかんでこちらに歩いてくる。引きずられている少女は、あらん限りの力で抵抗しているように見える。が、両脇の男達は、特に力を込める風もなく、淡々としている。

由佳は、その少女に見覚えがあった。いや、よく知っている。『敬愛する者』の一人だ。
自然と、口元がつり上がる。ぞっとするほど、冷たい笑みが、まるで、何年も会えなかった親友に出会ったときのように。
ぶるぶると体が震える。なんだろう? 解らない。しかし、なんだか、たまらない。たまらない高揚感だ!

『……! ……!!!』
眼前の『彼女』は、何かをわめいている。聞くに、はしたない悪口雑言だ。
“くすっ……”
改めて『確認』する、その『子供っぽさ』に、つい、吹き出してしまう。

「では、これより被告人の裁判を始めます」
再び、黒い男が高らかに言う。
裁判? 一瞬、由佳も訝しんだが、次の瞬間には、なぜか恐ろしいほど納得していた。
『そうか、ここは懲罰の部屋なのよ。“おいた”の過ぎる子供たちを、何が悪いのか教えてあげて、叱ってあげる所なんだ。ただ、普通に言っても解らないから、わざと仰々しくしてるのね。……あぁ、それにしても私、彼女に最高の“恩返し”ができるわ!』

それまでの自分に対する『おいた』を思い浮かべながら、由佳は満面の笑みを浮かべていた。疑問はいっさい消えていた。

「被告人の罪状は以下の通り。
一つ。学友に対する言われ無き暴力。
一つ。学業に対する意欲の著しい欠如。
一つ。教師に対する敬意の欠如。
……以上の罪より、平手による尻たたき五十回、パドルによる尻たたき五十回、杖(ケイン)による尻たたき五十回を言い渡す」

いつの間にか、男の手には古めかしい紙が握られていた。ゆっくりと開き、よどみなく読み上げる『罪状』は、そのような内容だった。

「それでは、この刑の執行人を募ります。最初の価値は、100とさせていただきます」

『罪状』を読み終えた正面の男が、視線を正面に戻し、言った。
「……150」
「180」
「200……」

由佳の周りに座っている男達から、次々と声が挙がる。どうやら、罪状の『懲罰』を行う権利を競り合っているようだ。ただ、言っている数字が金額なのかどうか解らない。
暫く静観していた由佳であったが、そのうち、再び、眼前の『彼女』が自分に対して行った『おいた』が、グルグルと回り始めた。
「うふ……うふふ……」
笑みがますます濃くなる。知らずに握りしめていた拳が震える。剥がれかけた爪がきしんで痛い。

「300」
「310」
男達はどんどん数字を上げている。由佳の心は、恐ろしく静かに澄み渡っていた。

「500」
はっきりと、大きくはないが、通る声で由佳は言った。
対抗する声は、ない。
「500。ほかに、ございませんか?」
驚きをはらんだような沈黙が暫く流れる。

「それでは、決定とさせていただきます。どうぞ」
正面の黒い男は、まるで予想していたような声で、由佳を前へ促した。

ゆっくりと、前へ進む。改めて『敬愛すべき彼女』に目を遣ると、なにやら器具に拘束されていた。いわゆる三角木馬…とは少し違う。体を「く」の字に曲げると、足首と手首がくるあたりに、それぞれ鎖がついている。
『彼女』はじたばたともがいているが、全くの無駄であることは、誰の目にも明らかだ。

「叩く度に、数を数えなさい。いきますよ」
幼い頃の自分に対する、母親の態度を、知らぬ間になぞりながら、由佳はゆったりと言った。
その声に、拘束されている彼女が反応する。
「その声……由佳?! アンタ! なんのつもりよ!! 何の恨みがあるか知らないケド、後でどうなるか、解ってンでしょうね……ッ!?」

肩越しに由佳を睨めつけ、噛みつかんほどの形相で言い放った言葉の最後は、尻すぼみになった。由佳の平手が、彼女の尻を打つ。
ばふっ、という気の抜けた音が響く。
「いっ……なにすンのよ!! ……ひっ!!」
抗議する声に、再び一発。
「数えなさい。でないと、ずっと一回目ですよ?」
満面の、こぼれんばかりの、そして、不気味な程に優しい笑みをたたえて、由佳は言った。その顔に、拘束されている彼女も、色をなくす。

『ばすっ』
「……!! ぃち……」
「……もっと大きく、聞こえるように。ね? 1」
『ばふっ!!』
「いっ……いち……」
「よくできました。じゃあ、2」
『ばんっ!!』
「……にぃ!」



「25」
「にじゅうご……」
そこではたと手を止める。
由佳は気づいた。『彼女』が、すさまじいまでの『敵意』を発していることに。反省の気持ちではない。この『理不尽』な状況を脱した後、どうしてやろうか? と言う気持ちだ。
由佳は、ふぅ、と小さくため息をつき、肩をすくめた。そして、次の瞬間、おもむろにスカートに手をかけ、一気にずりおろした。
薄紅に染まった、丸い尻が顔を見せる。
由佳は、それを見てさらににっこりと微笑み、一杯に指を広げた手のひらをうち下ろす。
『ぱん!!』
奇妙に澄んだ音が尾を引いて響きわたる。
「なぁっ!? ……ひぃ!!」
驚く間もなく、呼吸が止まったような悲鳴が上がる。
「どうしたの? 26でしょ? もう一回、はい、26」
『ぱぁん!!』
「ぎっ……にじゅうろく……」


「はい、50」
「ごじゅう……」
重い声が返ってくる。由佳の眼下には、絵の具のついた手のひらで、画用紙を塗りつぶしたように、まだらに赤く染まった尻がある。
その『赤』の出来映えに不満があるように、由佳はまた、困った顔をしていた。『彼女』が、ずっとある『言葉』をつぶやいていたからだ。「由佳のクセに、由佳のクセに……」

数を数えている裏で、確かに聞こえた。
「まだそんなことを言うの……?」
再び、ふぅ、とため息をつく。
「じゃあ、次は……」
『罪状』では、「パドル」と言っていたが、何なのか解らずに、疑問の視線を両脇に立っている、黒い男に投げた。
「どうぞ……」
目が合うか早いか、片方の男が、なにやら木でできた板のような物を差し出す。
強いて言うならば、掬う部分が異様に長い、長方形のしゃもじ、と言った
ところだろうか? 厚みも、2センチほどある。
握りの部分を持つ。大きさの割に、ずっしりと重い。樫か何かだろうか。
だが、まるで由佳のために作られたかのように、手に馴染む。

そして、右手にしっかりパドルを握り、向き直る。
「由佳のクセに、由佳のクセに、由佳のクセに、由佳のクセ……にぃっ?!」
『ばしっ!!』
尻の肉が波打つ。衝撃が、腕を伝う。
「あら? 数が聞こえないわよ? さ、もう一回。1」

『ばしっ!!!』
「ほ……う……。いち……?!」
「はい。2」
『ばんっ!!!』
「……に……ぃ」



「49」
「いひっ……よ……ん……じゅう……」
「ほらまた聞こえない。49」
『ばんっ!!!』
「ごっ……よんじゅ……きゅう……」
「はぁい、50」
『ばんっ!!!』
「ご……じ……う……」『彼女』の尻は、既にでこぼこに変形している。まだらな赤だった表面は、そこから派生した、紫や青が混じっている。
「はぁ……はぁ……はぁ……あは……あはは……」
涎と涙が混じり、力のない笑いとともに、床に糸を引いて滴る。

「あはは……くふっ……うははは……っ!!」
由佳には、その笑い声も、言い訳にしか聞こえなかった。
「笑ってごまかしても、ダメですよ」
再び、男に渡して貰った『杖(ケイン)』を構えて言う。

ケイン。見た目は紳士用の杖のようだが、幾分細く、竹のような節がついている。端には、またよく馴染む握りがついていた。
『ぴゅうっ……ぴしっ!』
空を裂く音ともに、ケインが新たな朱一文字を描く。
「あはは……うははは……えは……!?」
笑いが一瞬止まり、息が止まるような声が上がる。
「さ、最後よ。数えなさい。1」
「うふ……うふふ……ひは……い……ち?」
「できるじゃない。じゃ、2」
『ぴしっ!』
腫れ上がった肉が裂け、一際鮮やかな一文字ができる。
「ぴっ! ……に……」
『ぴしっ!』
「……サン……」



「50」
『ぴしっ!』
「ゴジュウ」
機械のように、無機的になった声が聞こえる。
奇妙な笑い声は止み、不気味なほど淡々としている。だが、もう『生意気な』感情は感じない。やっと身にしみたようだ。『彼女』は、手足の拘束具を外されても、起きあがる様子すらない。すると、それまで 由佳に道具を渡す以外は微動だにしなかった、二人の黒い男が、再び脇を抱えてずるずると引っ張り、闇の中へ消えた。
それを『暖かな気持ちで』見届けてから、由佳は席に戻る。

「有り難うございました。では、次の被告人を……」

お呪(まじな)い~コレクション・ハウスの夜3_3

3.合わせ鏡の部屋

 出てすぐのはずの敷居がない。改めて、前を見る。
「えぇっ?!」
自分の部屋だ。だが、自分は、今、その部屋から出てきたのだ。
後ろを見る。そこも確かにドアだ。目の前には、またドアがある。
「……?!」
再び、そのドアに飛びつき、開ける。
…………同じだ。また、目の前にドアがある。
もしも、部屋一杯の幅の鏡を、仕切りのように中央に置けば、こんな感じになるのだろう。だが、由佳にそんなことを考える心の余裕はなかった。何度も、何度も、ドアをくぐる。そのたびに見る、同じ風景。
合わせ鏡……さっき行った『まじない』が頭をよぎる。
そんな……そんな、そんなそんな!!
体中から冷や汗が吹き出し、思考がどんどん真っ白になっていく。

……そうしてしばらく経った。どっち向きに、何回ドアをくぐっただろう? わからない。いや、もう数の感覚すらもなくなってきた。パニック状態は徐々に収まり、冷や汗も引いてきた。ドアを開ける手にも、あきらめが混じり出す。
『そうそろそろ、覚悟を決めた方が良いのかなぁ』
自分でも何の『覚悟』を決めるのか、はっきりしていなかったが、由佳は漠然と冷めた感覚で、そう思い始めた。

ふぅ……。大きなため息をつき、これで最後にしよう、と、何百枚めかのドアを開けた。

「うわっ……?!」
由佳は思わず目を覆ってのけぞった。今までの部屋とは違う。だが、眼前に広がるのはまぶしい光ではない。闇である。
“むぅっ……”
なま暖かい空気が漂ってくる。少し埃臭い……だが、決して不快ではない。この感覚は……たとえるなら古寺だろうか?
“とんとん……”
片足を部屋に残し、もう片方の足のつま先で『闇』に入ってみる。床がある感覚だ。少なくとも、踏み出す先が奈落の底……ということはなさそうだ。
『よし……』
意を決して、由佳は『闇』に踏み出した。

“きし、きし、きし……”
板張りだろうか、歩く度に音が鳴る。靴下越しに感じるその感覚は……。そう、使い込まれた木のそれだ。なめらかで、心地よい。
周囲によく目を凝らすと、広めの廊下のようになっている。人二人分ほどだろうか?
壁の手触りは……レンガだろう。床共々、なんだか懐かしさを憶えるような感触だ。そしてその両壁には、洋風の燭台が、ロウソクの明かりをともしている。
先に目を遣る。燭台が等間隔で並んでいるらしいことは解るが、どれぐらいの長さなのかなどは、全く解らない。
その『廊下』を歩き始めてしばらく経った。由佳は不思議に思った。ずいぶん長い。結構歩いているのに、全く先が見えない。ふと後ろを振り返ると、入ってきた入り口の光が、遙かに小さくなっている。
と、その時
“ばたん……”
と、その扉が閉まってしまった。
「あ……!」
しかし、再び出られたところで、元に戻れるわけでもない。もういいや、行くところまで行こう。そう決意し、なおも進もうとしたときだ。

『ようこそ……・』
背中の方から男の声がした。小さいながら、不思議と、よく通る声だ。
「……?!」
突然の声に驚いてその方を向き、さらに驚いた。その男の姿である。
頭を覆う、とがった大きな黒頭巾。目の部分には穴が空いているが、そこから表情は解らない。そして、首から足下まで、すっぽり覆う、同じく黒いマ
ント……。正直、かなり怖い格好である。
「あ……あの……」
由佳が二の句を継げないでいると、マントの男は、ゆったりした声で言った。
「怖がらないでください、由佳さん。お待ちしていました。ようこそ。コレクション・ハウスへ」
相変わらず表情はわからないが、優しそうな声だ。少し、安心できる。

「コレクション・ハウス……?」
聞いたことのない言葉だ。が、どこかひっかかる。
……そうだ。『ここ』へ来るきっかけになったあの本。そこに挟まれていた赤い紙に書いてあった言葉だ。
「そうです。コレクション・ハウス。罪深き者のための、懲罰の館です」
目の前の男は、由佳の記憶の反芻を知っていたかのように、だが、変わらずゆったり、淡々とした声で返した。

「懲罰…………」
あの本の内容が、フラッシュ・バックする。
「そうです。あなたがご自身でここへの道を作られたのです。由佳さん」
黒い男は、きっぱりと言った。

「そんな、私、誰にも懲罰なんて……」
与えたいと思ったことはない、と言おうとしたときだ。
「はたして、本当に、そうでしょうか?」
ゆっくり、噛み砕くような男の言葉が遮った。
その瞬間。
「…………!」
どくん、と、心臓が大きく脈打つ。そしてまた、聞こえてきた。『尊敬すべき』、『彼ら』の、嗤い声、『無邪気』な顔……・。
「ぐぅっ……」
まただ。また、あの感覚だ。たまらず、心臓を抱えて、その場にへたりこむ。
すると、すぐ耳元で声がした。
薄目でちろり、と見遣ると、黒い男がかがみ込んで自分をのぞき込んでいる。
「自分を騙すのは、もう止めましょう。ここは、その『敬意』をぶつける場なのです」
その言葉を聞いた瞬間、不思議なことに、由佳の心臓の痛みが、すうっと消えていった。
ゆらり、と再び立ち上がり、男と向き合う。
「でも、『懲罰』って……? 殺すの?」
上がりかけた息で、やっと紡いだ言葉が驚くほどに物騒で、慌てて口に手を遣る。
そんな由佳の様子が可笑しかったのか、男は少し笑ってから、それに答えた。
「フフッ……いいえ、そうではありません。由佳さん。貴女が、今のように節度ある女性に育ったのは、誰のおかげだと思いますか?」
「えっ? ……あ……母さん……かな?」
『節度ある女性』と言われて、少し照れながら、彼女は答えた。
「そうですね。では、思い出してください。貴女がまだ小さかった頃、貴女が悪戯をしたとき、母上は何をされましたか?」
「え……と……あ! そうだ! お尻を叩かれた!」
幼い頃の自分の姿と、やってしまった悪戯の数々、そして、母の顔とお尻の痛さを思い出し、由佳は、照れくさそうに答えた。今となっては、懐かしい想い出だ。
「お尻を叩かれている間、あなたはどんな気分でしたか?」
黒い男はなおも問うた。
「うーーん……。怖くて、みっともなくて、情けなくて……かな?」
「そうですね。だからこそ、同じ過ちは繰り返しません。……もっとも、違う過ちをしてしまう場合もありますが……。ともあれ、『節度』とは、そのように身に付く物です。決して、口先だけで解る物ではありません。……では、由佳さん。貴女が『敬愛する』、『彼ら』は、どう思いますか?」
講義をするように訥々と、よどみなく男は話し、ふと、話題を由佳に返した。
「えっ……」
ふたたび、『彼ら』の顔が脳裏をよぎる。言い様のない感情が、渦巻く。
「……きっと、『いい子』に育ちすぎたんだわ。周りが何も言わないから、『自分は何でもできる』っていう……幼児的万能感って言うのかしら?それを捨てきれないまま大きくなったのよ。体に教えて貰ったことなんて無いか、あっても理解できなかったのね」

由佳の言葉を聞いていた男は、胸の前で軽く手を叩き、言った。
「……見事な推察です。私たちも、そう思うのです。だからこそ、徹底して罰を与え直すのです。それこそが、この、コレクション・ハウスの目的なのです。……お解り、いただけましたか?」

「ええ」
由佳はにっこり―傍目には、ぬらり、という表現が似合う―と微笑んだ。

……もし、全く関係のない第三者がこのやり取りを聞いていたならば、ひどく偏狭な会話だと思うだろう。だが、由佳にとっては―そして、黒い男にとっても―至極まっとうな論理であり、『我が意を得たり』の感だったのだ。

「私たちの趣旨をご理解いただけたようですね。では、こちらへどうぞ……」
男は満足げにそういうと、ゆるりと背を向けてさらに奥へ歩き出した。
だが、由佳に残るわずかな『迷い』が、こうも問わせた。
歩きながら男の背中に投げかける。
「でも、この年……私と同じ、って意味だけど……で、お尻を叩くなんて、変な意味に取れないかしら?」
「性的サディズム、マゾヒズム……ですか?」
由佳の言葉が終わるか終わらないかのうちに、男が後を継ぐ。
心なしか、それまでの淡々とした口調とは、違うようだ。苛立ちとも、怒りとも思える空気が漂う。

「もし、神聖なる懲罰を、そのように受け取る輩がいた場合は……」
はたと歩みを止め、一瞬、由佳と向き合う。すさまじい気迫だ。
「永劫の闇の中へ。我々は、見捨てます」

“ぞんっ!”

「……!!」
氷の刃のようなその言葉が、由佳の胸に突き刺さる。その衝撃に、一瞬後ずさる。
……が、やがてその氷は、徐々に溶け、由佳の体の隅々を巡りはじめた。

ぞくぞくする。
恐怖?
いや。
喜び?
違う。
解らない。
が、今までにない『素敵』な感覚が、彼女を満たした。そして、

「そうよね。そうするべきよね」
にっこりと―やはり傍目にはぬらりと―微笑む由佳が居た。

お呪(まじな)い~コレクション・ハウスの夜3_2

2.まじないの部屋

 そんなある日のことである。由佳は、いつも通り机に向かっていた。ただ、そこから聞こえてくるのは、ペンを走らせる音とは似て非なる音だった。

“カリカリ……ピチッ……プチッ……”

最初のうちは普通に勉強していたのだが、そのうち、指先の塞がりかけた皮が気になりはじめ、ペンの先でほじり出しているのだ。血が滲めばすすり、はがした皮をカリカリと噛む。没頭していれば、一、二時間はすぐに経つ。足下は、例によって、せわしなく揺れている。

そのときである。
『ドンッ!!』
「きゃっ!?」
突現の激しい縦揺れが家全体を襲った。体中の血液が心臓一点に集まるような感覚が彼女を包む。
『次もくるかな?!』
椅子から立ち上がり、暫く身構えていた由佳であったが、結局、それは杞憂に終わった。
『あぁ、びっくりした……』
再び椅子に座り直した時である。

『ゴツッ!!』

「いぃっ……!?」
椅子のすぐ後ろにある大きな本棚から、本が降ってきた。ご丁寧に角から落ちてきたそれは、彼女の頭に命中した。
「んーー……っ!んーー……っ!!」
瞼の裏に、忌々しい程美しい星空を潤んだ目で見ながら、歯を食いしばる。
「ふぅ……ふぅ……痛い……なぁ……もぉ……」
やっと出てきたその感覚を表す言葉を呟きながら、由佳はその『犯人』を見た。
重ねてご丁寧なことに、立派な装丁の本だ。しかも大きい。A5サイズの教科書より、横2倍ほど大きいだろうか……そう、A4サイズだ。こんな本が角からぶつかれば……と、ぶつかった所に手を遣る。やっぱり、コブができている。
「あぁもう! 腹の立つ!」
どこかに文句を言いたくても、自然現象が相手ではどうしようもない。
仕方がないので、捨てぜりふを宙に投げておく。

由佳がなおもぶつぶつ言いながら、本を元の場所に戻そうとしたときである。
一つにして、最大の疑問が浮かんだ。
「あたし、こんな本持ってたっけ?」
改めて、その本をまじまじと見る。えんじ色の立派な装丁で、辞典か、全集のようなサイズだ。ぺらぺらとめくってみると、カビ臭さとともに、米粒のような字がびっしりと書いてある。死んだ祖父の蔵書だろうか? いや、あれは物置の奥にしまってある。確かに親には読め読めと言われたが、出した覚えはない。
かといって、親がわざわざ出してきたとも思えない……。
少しカビで粘つく本をためつすがめつ、由佳は暫く考え込んでしまった。
と、そのとき、本の間に何かが挟まってることに気がついた。本の色とは違う、鮮やかな赤が目を引く。
「なんだろう……?」
そのページを開き、挟んである紙を見る。本より一回りほど小さい。B5サイズだろうか。装丁よりも一際鮮やかな赤いの紙には、銀のインクでこう書かれていた。

『コレクション・ハウスへようこそ!』
「……?」
ますます由佳は首をひねらざるを得なくなった。書いてある文言も変だが、なお不思議なのはその紙だ。しわ一つないそれは、どう見ても新しい。
本が古いし、まして自分が本棚に入れた覚えのない物に、どうしてこんな新しい物が挟まっているのか?いたずらにしては、手が込んでいるわりに、意味がわからなすぎる。「でもまぁ、誰かがここに挟んだんだから、しおり代わりかもしれないな」
考えても仕方ない。そう思ってひとりごちつつ、再び本をなおそうとした。
「でも、しおりを挟むぐらいの所って、どんなことが書いてあるんだろう?」
ふと、その内容が気になりだした。いったん気にし出すと、どうしても確かめたくなる。由佳は、机に座り直し、赤い紙の挟んである所を開いた。

そこには、やはり米粒のような字で、このように書かれていた……。

『……汝、罰を与えたき者在れば、かようにして、“道”を成せ。閉ざされし儀式の間にて、二つの写し身を対となし、間に立て。しかる後、あらん限りの怨嗟を以て、右の拳で天を衝くべし。』

「……なにこれ?! ひょっとして、呪いの本?!」
珍しさと可笑しさで、由佳は危うく吹き出しそうになった。なぜなら、かわいらしい雑誌の占い程度ならまだしも、こんな仰々しい『呪い』の類なんて、とうてい信じていないからだ。本屋に行っても、そんなコーナーを見つける度に馬鹿馬鹿しくていつも呆れている。
「あーあ、ちょっと期待したのになぁ」
拍子抜けして、また、由佳は再び机に戻った。

「………………・」
おかしい。集中できない。
『ぞくっ!!』
背筋を悪寒が走る。
「あれ……? カゼかな……?」
突然の悪寒に、そうつぶやいた瞬間。

「……ひっ!? ……グ……グあ……うぅ……!!」
心臓が、すさまじい軋みを立て始めた。まるで、細いピアノ線で、がんじがらめにされているようだ。
「うぅっっ! ギウっ! あああううっ!!!!」
たまらず椅子から転げ落ち、床をのたうつ。心臓に絡まる鋼線が、今にも獲物をバラバラにしそうだ。
左胸を、鷲掴みにする。乳房に、爪が食い込む。だが、心臓の痛みは紛れない。
“どくん、どくん……”
皮を剥ぎ尽くし、感覚を忘れたはずの指先が疼き始めた。まるで、十本の指先それぞれに、小さな心臓がついているようだ。そして、本物の心臓同様、ぎりぎりと痛い。
「ぎオ……ガ……んんんん……は……が……ゴ……」
やがて、にじみ出る脂汗とともに、声が聞こえてきた。

「……!!」
それは、嗤い声。自分が『尊敬』すべき、『彼ら』の声。いや、嗤い声だけではない。自分に『悪戯』をするときの『無邪気』な声、顔……・

全てが、火花のように現れ、消える。何度も、何度も……・。

「うぅうぅうぅうぅぅぅぅぅぅーーーっ!!」
頭に血が上っていく。バリバリと唸る音は、歯ぎしりだ。

これは、怒り? 『彼ら』への? そんな。だって、私は『彼ら』を『尊敬』しているもの。そんな感情、持ってない。痛い。違う。苦しい。だって。抑える。どうして。何を。誰に。恨む。まさか。讃える。違うよ。痛い。何が。怒る。誰が。わたしが。まさか。本当に。誰を。憎む。いけない。何故。尊敬。嘘だ。どうして。痛い。わからない。何故。わからない…………………………………………………………………………

そして由佳はのろのろと立ち上がった。部屋を閉め切り、卓上用の鏡を用意し、化粧台の椅子に乗せる。やがて、合わせ鏡が一本の無限の道を作り出す。その間に立つ。自分もまた、無限の存在となる。

「怒る。誰が。わたしが。まさか。本当に。誰を。憎む。いけない。何故。尊敬。嘘だ。どうして。痛い。わからない。何故。わからない……」
なおも呟きながら、ゆっくり、右の拳を握る。

『ぶんっ!!』
右腕よちぎれ飛べとばかりに、空へ突き出す。

…………

なにも、起きない。
「…………はぁっ……」
脱力してその場にへたり混む。そうだ。何を自分は馬鹿なことをしているのだ。あんなもの、どこかの妄想家が書いた大嘘ではないか。
「あはは……バカだなぁ、私。……下でコーヒーでも飲んでこよっと」
気分転換をしに下に降りようと、由佳は扉を開けて階段を踏み出そうとしたときだ。
「あれ……?」
由佳は、自分の目を疑った。

お呪(まじな)い~コレクション・ハウスの夜3_1

1.イシの部屋

 教科書の落書き。無くなる小物。椅子の上の画鋲。飛んでくる輪ゴム。繰り返される悪口。根も葉もない噂。デジタルで流れる個人情報、淫らな嘘。意味のない電話。嗤い声。扉に挟まれた黒板消し、バケツ。身勝手な因縁。
……『いつものこと』だった。眉一つ動かさない。こんな風に、嫌がる素振りを見せなくなったのはいつからだろう? ……その疑問さえ、既に過去の物のようだ。
由佳は、いつも無表情だった。放って置けばいい。下手に反応すると、それで相手はつけあがるのだから。放って置けばいい……。だが、その、ささやかで、大量のいたぶりは、止まなかった。周りは、知っているのだ。その態度が、強がりである事を。

せわしなく噛む爪。爪の周りの肉は、10本全て赤く腫れ上がり、血が滲んでいる。それでも由佳は、その傷がふさがるたびに、前歯でかじり取る。
シャープペン等で皮をほじり出す。またバイ菌が入り、化膿し、腫れる。指先は、既に感覚が無くなっている。肉は根本までめくれて、爪がぐらついている。今にも落ちそうだ。そのかろうじて指の肉に張り付いている爪は、異様に波打ち、歪んでいる。それがなければ、その下に続く手は、しなやかで美しい、という形容ができるだろう。

知らずに何本も抜いている前髪。前髪は、一部が薄くなっている。退屈だと思うとき、つい、手が伸びる。後ろできちんと束ねた髪の、おでこのあたりではねた部分。始めは指でもてあそび、やがて一本、二本……毛根の透明な脂、あるいは血とともに、ぷちり、ぷちりと抜けていく。気がつけば、数十本が机に散乱している。その、抜いていく感覚が、痛がゆい様でおもしろく、つい、繰り返す。何故かだんだん可笑しくなってきて、クスクスと笑いながら。

カタカタと揺する足。短くすることなど考えたこともないスカートから伸びる足。前時代的、と言う言葉すら当てはまるような、白にささやかなワンポイントのソックスに包まれている。一時流行ったルーズソックスも、穿いたことがない。見た目の印象が悪いし、第一、『ルーズ=だらしない』という名前自体が気に入らない。
静かにしていれば、今時希有なその足も、何かにせかされるような足の揺れ―有り体に言えば、貧乏ゆすり―が、台無しにしている。

別段、由佳は学校側にとって都合のいい『模範生』になろう等とは考えていないし、先生に媚を売っているわけでもない。校則が理不尽なのは百も承知。厳密に見れば、由佳も校則違反―たとえば、寄り道や、学校への私物持ち込み等―を何度もしている。服装にしても、洒落っ気に全く無頓着というわけでは決してない。ただ、自分の求める美的感覚と、現在の流行がかけ離れている。それだけのことだった。しかし何より、どんな決まり事でも、そしてたとえ完璧でなくとも、その共同体にいる限り『ルールに従うこと、節度を保つこと』が必要であり、ここはその訓練だと割り切っているからだ。

肩で風を切り、異様に大きな歩幅で颯爽と―周りには、逃げ回っているようにしか見えない―歩きながら、そう心につぶやく。

始めのうちこそ、どうして自分だけが、と思った。しかし、誰に相談したところで周囲は変わらない。そして、ある一点を超えたとき、由佳は―見かけ上―冷静になった。そして、逆に周りを観察するようになった。
『どうして彼ら、彼女らはこんなことをするのだろう?』
自分の理解とはかけ離れた行動をとる周囲に対して、彼女の偏りかけた思考が答えを出すのには、暫くかかった。

『彼らは偉い。』

これが、彼女の出した答えだった。
彼ら、彼女らは全くの子供であり、満足に通常のコミュニケーションもとれないのだ。注意をされても言語を解さず、善悪の区別も付かない。この年齢になって、そんな精神レベルの人間が、仮にも義務教育を離れた選択制の教育課程である『高等』学校に、こんなにも多くいるなんて。これは凄いことだ。尊敬に値する!

人間の、理解できない物に対する逃避の方法にはいくつかある。
一つは、無条件に礼賛すること。
一つは、忌み嫌い、徹底して遠ざけること。
一つは、強引な理由を付けてでも、無理矢理受け入れることである。
……彼女がとったのは、三つ目だった。

しかし、たとえ彼女が『理解』したとは言え、普段の仕草は変わらない。
それに対し、周囲は『よい反応あり』と受け取り、手を緩めなかった。そしてそれは、彼女が帰宅して眠りにつくまで続くのだった。

由佳にとって、教室は『イシの部屋』だった。いつ終わるとも知れない、緩やかで冷たい拷問が続く『石の部屋』。そして、冷たい石のように固い心を持たなければいけない『意志の部屋』。

お呪(まじな)い~コレクション・ハウスの夜3_0

0.或る本の一節

 『敬意という物は不思議な物だ。範とすべき者等へは勿論だが、例えば、“今この瞬間、こいつがこの世から消滅してくれれば、どんなに素晴らしいことか!”といった呪詛の言葉が、唱え続けている内に、それが、ある種の非常に逆説的な敬意―こんな奴がこの世の中に存在している。そいつは私の理解できないところにいる。なんと忌々しくも、凄いことだろうか! といった、いささか狭量な感情―に変わっていたことなどだ。その、“負の敬意”とも言うべき物は、非常な苦痛でありながらまた、得も言えぬ快楽にもなる。』