聞こえる声 3

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3.探す声

 次の日。わたしは学校を休んで、部屋にこもっていた。
滅多に体調を崩さないわたしだから、母さんはとても心配して、「パートを休んで家にいようか?」と言ってくれた。でもわたしは、「そこまでしてもらわなくていいよ」と断って、母さんを追い出した。一人で、ゆっくり考えたかったのだ。

多少の嫌なことや思い通りに行かないことぐらい、わたしはすぐに忘れられる。それがわたしの特技であり、他人からもうらやましがられる性格だった。
でも昨日の『あれ』は、自然とか不自然とか言う物じゃない。明らかに『異常』だった。思い出すと、頭がフラフラして、痛くて、気分が悪かった。何もする気がしない。おとなしくしていようとベッドに潜り込めば、そこは『あれ』をした場所だし、暇つぶしにビデオを観ようとすれば、『あれ』に至った経緯を思い出すし……結局、ベッドの中でうずくまるしかなかった。

別にわたしは、オナニー自体に嫌悪感を持っているわけではない。アダルトビデオの話同様、クラスメイトとそういった話もする。当然、その先、セックスについても、男子が聞けば幻滅しそうな内容がごくあっさりと交わされる。
わたしに幸か不幸かセックスの経験はないけれど、オナニーならある。中学生の頃、友達に教えられて、興味本位でやってみたのだ。でも、感想は「こんなもんか」だった。確かに少しは気持ちよかったけれど、やっぱり「うーん……?」で、後が続かなかった。結局、オナニーという行為は、わたしの中では「ちょっと変わった、でも、あまり面白くない遊び」で終わってしまったのだった。友達には、「したくなるときって、ないの?」なんて訊かれたりもするけど、やっぱりわたしにはピンとこない。
そんなわたしだったから、昨日の『あれ』は、不思議だった。自分が理解できなかった。普通のオナニーだったら、こうも悩まない。
きっかけが、排泄姿を見られている女性の出てくるアダルトビデオで、
それを観て、いつの間にか、ドラマを忘れるほど熱中している自分がいて、
思い出して、何度も何度もオナニーをして……しかも、声を殺すためとは言え、自分のはいているショーツを口にくわえて、その臭いになぜかさらに興奮して……
正気の沙汰じゃないと思う。
わたしは、いつからそんな『変態』になってしまったんだろう? 一生懸命に自分の中から答えを探そうとしても、見つからない。浮かんでくるのは、何でもない日常だけ。学校に行って、授業を受けて、時々ホームルームで教壇に立ち、友達と談笑し、寄り道をして帰り……。
どれだけさかのぼってみても、いつも以上の事なんて思い当たらない。そりゃあ確かに、親や友達とケンカしたり、先生に怒られて腹を立てることもあったけど、それはそれ。『あれ』にはとうてい結びつきそうもない。

こち こち こち こち……

静かすぎる部屋に、音を立てて時間が過ぎる。
『何かの間違い』で済ませて、もう考えるのを止めてもいいはずだった。
でも、したくなかった。あそこまで『異常』なことは、何としても原因を突き止めたい……恨みにも似た気持ちが、わたしをさらに考えさせた。

こち こち こち こち……

時間はさらに過ぎる。お腹は空かない。その代わり、思考が奇妙に冴え渡っていた。今なら、いつも理解に苦しむ数学の公式さえ難なく憶えられそうな気がする。

「……そうだ……」
そんな中、わたしは一つの決心をした。
ショック療法というわけではないけれど、もう一度、あのテープを観てみよう。昨日はいきなりすぎて動揺していたのもあったんだろう。今なら……頭のすっきりしている今なら、冷静に観ることが出来るかも知れない。
……わたしは、兄の部屋へと向かった。

兄の部屋は、昨日と変わりない。デッキの前にほったらかしにした例のテープを探す。あった。周りにも同じブランドでラベルのない物があったけれど、間違いない。証拠はある。ラベルを張る場所の左下隅に、わずかにシールの跡が残っているからだ。昨日観たときに微かに心に引っかかっていた『犯人』の痕跡を、今の澄み渡ったわたしの思考は、見事に掘り起こしたというわけだ。……別に探偵ごっこは好きではないなんて言いながら、こういった細かなことには、我ながら良く気がつく。時々、嫌になるぐらいだ。
ともあれ、そのテープを持ち、わたしは自分の部屋に戻った。

デッキにテープを入れるポーズで、わたしはしばらく固まっていた。
自分で決めたことなのに、いざとなると踏ん切りがつかない。
あまりにも生々しかった『あれ』を思い出してしまい、頭に血が上る。恥ずかしい。だって……
だって……無我夢中だったけれど、『あれ』は、気持ちよかったから。そう、恐ろしいぐらいに。
虜になってしまうんじゃないだろうか、何か、取り返しのつかないことになるんじゃないだろうか、という不安と、なぜかを知りたい、という気持ち。そして……もう一つの思いが、三つどもえでわたしの中をグルグルと回る。でも……
「よおし……!」
わたしは、意を決して、テープをデッキに入れた。

部屋にあった場所からして、あれから兄は観ていないだろう。だったら、昨日わたしが観た十分ほどに少し加えた十五分を巻き戻して、再生してみることにした。

始まった。昨日のシーンとほぼ同じ、一人の女性が、数人の男性に責められているシーンだ。大きく足を拡げさせられ、性器と言わず胸と言わず、全身をくまなく触られ、揉まれ、舐められ……テレビの中の彼女は、絶え絶えの息で激しく悶えていた。
やがて……
『あっ……あぁんっ……で……出ちゃ……み……見ないでぇぇっ……!!』
昨日と同じ、絞り出すようような声と、股間から激しくほとばしる、おしっこ……。
『いや……いやぁぁっ…………』
その姿を一斉に見つめる男達の姿から、カメラは、子供のようにかぶりを振ってポロポロと泣く彼女の顔をアップにする。
「………………」
そして、シーンが変わった。
大きな、広い道の交差点。さっきの女性が、体の線を強調したような服を着て歩いている。
でも、その足取りはぎこちなく……太股をすり合わせるような、不器用な歩き方だった。
顔も焦りの色が濃く、視線は所在なげにフラフラしている。何かを探しているようだ。
このシーンについてはすぐに予想がついた。
彼女は、おしっこを我慢していて、トイレを探している。でも、なかなか見つからない……だ。カメラは、唇をかみしめ、必死で我慢する彼女の顔を、何度もアップにする。なるほど、こういう趣向か……でも、我慢をさせるだけさせて、土壇場で助かるんだろう。安直な展開だ。……と、頭の中でたかをくくっていたわたしは、直後、とんでもないシーンを観た。
横断歩道に着いた彼女。人通りは結構多い。信号の向こうには、公園が見える。きっとあそこには、公衆便所がある。そう思った彼女のしぐさは、いっそうせわしないものになる。今にも駆け出しそうなほどに足踏みをして、信号が変わるのを待つ。後何秒? と、顔に書いてある。
信号が変わった! 一目散に走る彼女。
しかし……
『あっ……?!』
ヒールを履いていたためだろう、彼女は、横断歩道のど真ん中で転んでしまった。そして……
『ぁっ……あはっ……はあぁあぁっ……』
彼女の下半身から、どんどん広がる水たまり。
一瞬足を止める人、何事かといぶかしむ人、軽蔑の目で見る人、人、人……
『くっ……うぅぅっ……うぐっ……うああっ…………』
下半身から、まだ広がっていく水たまり。
崩れ落ちたまま、わなわなと肩を震わせ、嗚咽を漏らし続ける彼女。
彼女をアップで捉え、画面には「END」の文字が出た……。

「……………」
わたしは、言葉が出なかった。こういうシーンに重点を置いたアダルトビデオがあるということ自体も驚きだったけど……何か他に……引っかかる物があった。気のせいかも知れないけれど……。

「はあっ……はあっ……」
ただ一つ分かることは、自分が、びっしょりと汗をかいていることだった。
「とっ……とりあえず、汗……流さなきゃ……」
立ち上がると、ふうっ……とめまいがした。ぐんにゃりと見慣れた部屋の景色が歪み、歩数を数えるのもばからしいような距離にある扉が、やけに遠かった。
手すりに身体を預けるようにして、ずるずると浴室までの道。今、家に誰もいなくて良かった。こんな所を親にでも見られたら、何と思われるだろう。体調が悪いんじゃない。今こんな事になっている訳は……

浴室。べったりと汗に張り付くパジャマを脱ぎ、熱いお湯を浴びると、いくらか気分もスッキリするようだった。
「……っ……!」
シャワーの水流が股間に当たったとき、わたしは思いだした。あのビデオのこと、あのシーンのことを……。シャワーを止め、少し、指で中を探ってみる。
「ぅん……っ……」
ほんの少し、粘ついた音がする。濡れてるんだ。前に言ったとおり、わたしはオナニーにはあまり興味がない。数ヶ月に一度、どうしようもなく暇なときにするぐらいだ。でも今日は、ここに至るまでの経緯が違う。いつもは「不思議だな」で済むここの潤いが、今はやけに不気味だった。
「うっ……うぁあっ……ん……ぁんっ……!」
床に座り込んで、慣れない手つきで、自分の股間をまさぐるわたし。
「はぁっ……あっ! あぁんっ! んっ! ううぅ……んっ!」
怖いけど、気持ちよくなってきた。くねくねとひとりでに腰がうねり、割れ目はどんどん濡れてきてぐちゃぐちゃと音を立て、快感の声が出る。
でも……『あれ』はこんな程度だったろうか?
確かに気持ちいいとは思う。でも、まだそれを冷静に見つめられるわたしがいる。こんなのじゃ、ないはずだ。

わたしは、頭の中にビデオのあのシーン―男達に足を大きく拡げられ、女性がおしっこをするシーン―を再生してみた。ためしに、それをなぞってみよう。わたしは、画面通りのポーズになった。指で、膣口と尿道の辺りをぬるぬるとさする。
「あぁっ……あっ……あんっ…………ひっ……ひうっ……うぅっ…………」
快感の度合いが増してきた。ぞくぞくとした感覚が、下腹部で火花を散らす。
指が膣内に沈み、さらに上りつめる感情。中から響く卑わいな音……
「あはっ……んっ……ふううんっ……く……ううぅ……ん……」
そして、尿意が来た。
「あっ……あぁんっ……で……出ちゃ……み……見ないでぇぇっ……」

ぴしゅうぅうぅうぅ……

あえてセリフまでなぞりながら、わたしは、おしっこを吹き出させた。
激しい快感。たぶん、イッたのだと思う。
もしかして、これ……?

ちょろちょろちょろ……

「はぁっ……あっ……あはぁ……ん……」
おしっこが出尽くすとともに、余韻が襲ってくる。そして、急激に興奮が冷めていくのが分かった。熱いスープを、極寒の雪山の中へぶちまけたような……そんな気分だった。

「違う……」
わたしは呟いていた。そうだ、こんなのじゃない。確かに気持ちよかったけど、『あれ』には及ばない。あの比べ物にならない快感、達しても達しても尽きることのない衝動……
「……なんで……」
わたしは、おしっこの匂いがたちこめる浴室で、激しい自己嫌悪に陥っていた。あの、常軌を逸した昨日の快感を、原因の究明という名目でもう一度求めていたこと。そして、それを得るために学校を休んで、挙げ句にしたことが、こんな場所でおしっこを漏らしながらのオナニー。それでも結局分からなかった。情けない。悔しい。変態だ……色んな感情がごちゃ混ぜになって、わたしは、しばらくの間、うずくまって泣いた。

浴室はその声をよく反響させ、まるで、たくさんのわたしが、そこにいるようだった。

つづく

 

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