聞こえる声 2

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2.機械からの声

 そんな『不自然』な一日も、いつのまにか、慌ただしい日常という『自然』に流れてしまう。思い出す暇も無く、まして、自分の中だけのことだから、他人に思い出させてもらうことも無く……わたしがわたしをいぶかしむ声は、ずっと遠くになっていった。

「お兄(にい)、いるー?」
ある日の夜のこと。わたしは、兄の部屋の前で、いつもの大声を張り上げていた。
「お兄ぃーってばぁー!」
隣近所のことを少し気にしながら、もう一つ。
「…………」
中からは何も聞こえてこない。どうやら、どこかへ出かけたまま、まだ帰っていないらしい。大学生とはそんなに気楽なものなのだろうか? わたしは「ま、いいや」とつぶやきながら、兄の部屋へ入った。

「えぇっと……どこだっけ……」
びっしりとビデオテープの入った棚を、わたしは目を皿のようにしてみつめていた。毎週欠かさず観ているテレビドラマが始まるまで、あと十数分しかない。録画しているテープを、兄に貸しっぱなしだったのだ。
「うーーん…………」
わたしは、途方に暮れ始めていた。
兄妹揃ってちょっと面倒くさがりなのは知っているけれど、こういうときには困る。
テープに、ラベルを貼り忘れていたのだ。
憶えているのは、テープのブランドと、二時間テープであることだけ。それでも、棚とデッキの近くに散乱しているものを合わせて、候補は十本近くある。最初まで巻き戻してある物を除外しても、五本ぐらいが残った。
「適当に使うわけにはいかないし……」
ドラマが始まるまで、あと五分ほど。
「えぇい! こうなりゃ、しらみつぶしだ!」
わたしは、その姿形がまるでそっくりな五人の容疑者を、かたっぱしからビデオデッキという名の取調室に放り込んでいった……。



「これも違うか……」
まったく、この取調室に入った容疑者は素直だ。シロかクロか、数秒で分かる。今までの三人は無罪放免。残りは二人。
しかし、その四人目の中身を観たとき、わたしは固まってしまった。

テレビいっぱいに映し出される肌色のうねり。
それが裸の女性と、同じく裸の数人の男性である事を理解するのには、数瞬かかった。
「……………」
目的のテープではないのだから、さっさと消してしまえば良かったのに、わたしの手は、それをしなかった。あまりの突然さに、動くことを忘れていたのだ。
「……………」
わたしの目が、映し出される映像を見る。
それは、大きく足を拡げられている女性が、男達になぶられ、歯をくいしばりながら悶えている姿だった。
卑わいな言葉を浴びせられ、唇を吸われ、胸を揉まれ、あらわになった性器を音を立てて触られ……女性は、男達の手から逃れようと必死にもがいているようだったが、まったく無駄なように思われた。
男達の責めは続く。女性は、半ば諦めたかのようにその身の抵抗に力を無くしている。そして……
『あっ……あぁんっ……で……出ちゃ……み……見ないでぇぇっ……!!』
しぼり出すように言ったかと思うと、画面の中の彼女は、股間から何かを激しくほとばしらせた。
『いや……いやぁぁっ…………』
しゅううう……ばたばたばた……と、音を立てるそれは、おしっこだった。
彼女は、男達の責めによって、たくさんの目の前で、おしっこを漏らしてしまったのだった。
恥ずかしさに、とろけるように顔を赤く染め、ポロポロと涙を流す女性。
そして、彼女にさらなる罵声を浴びせかける男達。
彼女を射抜くほどに見つめる目、目、目……。

いつしかわたしも、彼女を射抜く矢を自分の目から放っていた。

トン トン トン……

「はっ……!」
ドア越しに聞こえてくる音に、わたしはようやく我に返った。どうやら、兄が帰ってきたようだ。こんな物を観ていたと知れては後で何を言われるか分からない。わたしは慌ててビデオを止め、取りだしたテープをそこいらにほったらかし、残りの一本を持って部屋を飛び出した。
「あん? お前、俺の部屋で何やってたんだ?」
「まっ……前に貸したドラマ録りのテープ、お兄に貸しっぱなしだったでしょ? 今日の録画にいるから……」
「ああ、そうだったかな? しかし、もうとっくに始まってるぞ? 俺、お前の録ったのをアテにしてるんだが……」
「せ……先週の分をちょっと観直してたのよ! いっ……いいでしょ、別に……」
わたしは、つくろいもいいところ、といった口調で言い訳をまくし立て、自分の部屋に戻った。

「はあ……」
自分の部屋に戻り、わたしはベッドに倒れ込んだ。手には、これからすぐにでも録画を始めなければならないテープが一本。でも、わたしは動けなかった。
テープを握りしめたまま埋めた顔。そこから吐き出される少し荒くなった息が、熱い感触として感じられる。

なぜ、わたしはここまで動揺しているんだろう?
アダルトビデオを観るのなんて初めてじゃない。学校に行けば、友達の間で結構ひんぱんに貸し借りがある。わたしも興味本位で何回か借りた。この自分の部屋、部屋の片隅にあるビデオデッキで観た。観たいけど、家では観られないと言う友達を呼んで、ちょっとした上映会を開いたこともあった。
はっきり言って、いつ観ても、それはさほど面白い物ではなかった。興奮なんてしなかった。むしろわたしには、セックスに持って行くまでの取って付けたような演技が鼻について、腹立たしくさえあった。もっとも、慣れてくると、そのシチュエーションに対する奇妙なまでのこだわりが微笑ましく思えて、それはそれで楽しめるようになったのだけど。
どちらにしても、『本来』の目的とは違う楽しみ方だった。男子達のように『お気に入りのシーン』について話すなんて事も全くなく、「ああ、そんなものもあったっけ」の一言で済ませるような、その程度の物だった。
「うっ……うぅうっ……」
胸の鼓動は、まだ収まらない。手のひらには、汗までにじんできた。
どうにかそれを落ち着けようと、目を閉じ、深呼吸をしながら、胸に手を当てる。
「あ……?」
その時になって初めて、わたしは自分の身体の異変に気付いた。
胸の先端に感じる、硬い感触……
さっきから何度も吐いている、吐息の熱さの違い……
下半身を中心に広がる火照り……
わたしは興奮していた。
それに気付くと同時に、急に、恐ろしさがこみ上げてきた。
理由はよく分からない。でも、恐ろしくて、恐ろしくて、わたしは、掛け布団を頭まですっぽりとかぶってしまった。

「はあぁっ……はっ……あぁぁっ……」
自らが作り出した暗闇の中から、荒い息が聞こえる。
「んっ……んうっ…………! くっ……うふっ……!」
もそもそとわたしの身体をなで回す見えない手と、聞いたこともない声。そして、際限なく高ぶっていく鼓動……。
おかしい。わたしは心臓に手をやって気分を落ち着けようとしていたんじゃないの? どうして、どうしてこんなに……

くちゃ……ぴちゅ……

「んんうっ……!!」
指先に感じるとがった乳首の感触と、熱くぬるついた性器の感触。
それが快感だと認識するより先に、いっそううごめく手と、のけぞる身体。
「はっ……あはっ……っん……んんっ……!」
歯を食いしばっても食いしばっても、声が漏れそうになる。いけない、もっと声を殺さなくては……
「はぁっ……はあっ……そ……そうだ……」
わたしの脳裏に、いつだったかに観た刑事物のドラマのワンシーンが浮かんだ。
犯人の手で真っ暗な倉庫に監禁された人質。叫べないように、さるぐつわを噛まされて……
「よし……あ……んっ……く……」
わたしはパジャマのズボンを脱ぎ、続けてショーツも脱いだ。
「あぐっ……ん……」
そして、ぐちゃぐちゃに濡れたそれを丸め、自分の口の中へねじ込んだ。
朝からはいている物だから、当然、汚れている。しかも、今日はそれに加えて、生臭い粘液がこれでもか、と染みついている。その、普通なら指でつまんで洗濯槽に放り込みそうな物をほおばり、臭いを吸い込んだ瞬間……
「ふうぅぅ……ん……!!」
わたしは、頭がじんじんと痺れ、とてつもない浮遊感に包まれていた。
「んっ! うんっ! ぐ……うぅぅーーーっ!」
そして、口を塞いだという安心感が出てきたのだろうか、わたしは布団の闇の中、さっきよりも大きな声を出して悶えた。
「んぐっ! うぶっ! ふっ! んぐおぉぉ……んっ!」

ぬちゅ ぐちゅ ぴちゅ きちゅ……

もう、止まらなかった。
もぐもぐと口の中のショーツを噛み、あふれるよだれをじゅるじゅると飲み込み、何度も何度も頭の中に火花が散るような感触を味わい、わたしは、果てしなく、闇とたわむれた。



 がちゃんっ!

「……はっ?!」
何が何だか分からないような虚脱感の中、ふと、傍らで聞こえた物音に跳ね起きると、床に、ビデオテープが落ちていた。
その視線を壁沿いに上げて時計を見ると、観るはずだったドラマは、とっくに終わっている時間だった。

つづく

 

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