D's NEST

聞こえる声 1

1. 張り上げる声

「はーい! それじゃあ、今からホームルームを始めまーす!」
わたしは、教壇の上で大きく声を張り上げた。自分で言うのもどうかと思うけど、教室中に思い切り響く声。そして何より叫んでいるわたしが、とても心地良い。体全部に響かせて、頭のてっぺんから、張り上げる声。言い終わると同時に、ざわついていたクラスの空気が、ふっ……と水を打ったような静寂になり、みんなの視線がわたしのほうへ向く。
「今日のテーマは……」
クラスのみんなに、ニコリと微笑みを一つ。わたしは委員長として、とどこおり無くホームルームを進行させていった。

「……では、以上でホームルームを終わります。先生」
予定の時間が来て、わたしは教壇から降りた。先生は、「よし、ご苦労」と満足げな顔で言って、終業前のシメを始める。
すがすがしい顔で自分の席に戻るわたしに、隣の級友が話しかけてきた。
「お疲れ。いつもすごいね、あの声……」
「へへ……そう?」
「うん。あれだけビシビシ通る声で言われたら、聞くしかないよ」
「そりゃ良かった。だって、聞いてもらうようにするのがわたしの役目だもの」
「アンタ、将来はアナウンサーかレポーターが向いてるかもね!」
「あははっ……! 考えとくわ」
ひょっとしたら同じことを何度か話して、そのたびにわたしは同じ受け答えをしているのかも知れない。でも、わたしはそれをくだらないとか、嫌だとは思わない。だって、何もないよりずっといいと思っているから。

終業後。わたしは一人、教室に残っていた。
別に忘れ物をしたとか、特別な理由は無い。いつも一緒に帰る友達にも、「用事があるから」と言って先に別れた。
一番近い理由は、『なんとなく』だと思う。……いや、それにしては、毎週といって良いほど……ホームルームがある日ほど、こうしているときが多い気がする。
「…………」
グラウンドから、運動部の練習する声が聞こえる。それを実際よりももっと遠くに思いながら、わたしはもう一度教壇に立ち、ふっ……と目を閉じ、開ける。

そこには、クラスの喧騒が再現されている。
教壇の上から眺めると、クラス内のグループというか、どのあたりがどうなのかが、いつも良く分かる。
たとえば、前のほうに座っている人は、わたしが壇上に上がったときからこちらのほうをじっと見ているし、真ん中あたりは、おしゃべりに興じているのと聞こうとするのと半々。後ろのほうに陣取っているちょっとがらの悪い一団は、我関せずという顔をしているし、隅っこにいる人は、なんだかいつもどんよりしているような気がする。

「はーい! それじゃあ、今からホームルームを始めまーす!」

その幻のクラスメイト達に向かって、わたしは声を張り上げた。
……もっとも、時間が時間だけに、すべて内にこもらせ、外へ出すのは消え入るほどにして。
どよめきがすっ……と消え、みんながいっせいにわたしのほうを向く、一瞬!
「あっ………」
教壇に上がっていただけでどこかしら高ぶっていた気持ちが、その視線でさらに上へと押し上げられる。この瞬間がいつもたまらないと思う。

最初、わたしが委員長になったのは、軽い気持ちだった。
何か役職を決める時にありがちな光景として、誰も立候補せずにダラダラと時間だけが過ぎ、業を煮やした先生が誰かを推薦するように言い、そこから泥沼が始まる……というのがある。あの時もそうだった。そんな中でふと、誰かがわたしを推薦したのだ。わたしは驚いたけれど、しばらく考えて、特に断ることもないか、このまま空転するよりましだ……そう思って、回ってきたたらいをそこで止めた。それぐらいの気持ちだった。
それから、いろいろな場面でクラス全体を仕切る事が多くなった。わたしは特に成績が良くて一目置かれているとか、リーダーシップに優れているとか言う事は無かったから、大きな声を出すことにした。怒鳴るだけでは、みんな耳をふさぐだろうから、通る声で、びしりとひとつ。……繰り返していくうちに、クラスがまとまるようになって来た。それが嬉しくて、楽しかった。

一瞬とは言え、数十人の注目を集める、この場所、この時。はつらつとした笑顔の裏で、体の奥がしびれるような気持ちを味わっていることに、みんなは気づいていないだろう。

「はーい! それじゃあ、今からホームルームを始めまーす!」

もう一度、幻のクラスの状態を無秩序なざわめきに巻き戻し、わたしは声を張り上げた。しん……と空気が落ち着き、みんなの視線が……
「……?」
ふと、わたしは集まる視線の中、ごくわずかな違いに気づいた。
ほんの少し空気を巻き戻して、もう一度確かめてみる。
……それは、窓際後方に座る女子生徒だった。
誰かなんて思うまでもない。クラスみんなが知っている彼女は、一番の優等生。彼女こそ、『一目置かれている』という言葉があてはまる。その彼女が……それまで誰かと楽しげに話し合っていた彼女が、わたしの声に振り向き、一瞬、微笑んだかのように思えたのだ。
……わたしの知る限り、彼女は、頭が良い代わりというわけでもないのだろうが、冷たい感じのする……近寄りがたい雰囲気があった。まして、誰かと楽しそうに笑ったり、微笑むなんて……。
「(別にいいか……)」
そう。別に『彼女』が微笑んだからといって、おかしくはない。『彼女』だって人間なんだから。

「でも、そういえば……」
わたしは、彼女について一つのことを思い出した。
あれはいつだったろうか、体育の授業中だった。
その時の授業は、馬跳び競争。体を動かすのが好きなわたしは、結構楽しんで授業を受けていた。
その中で、ひときわ遅れていたチームがあった。遠目に眺めていたけれど、『彼女』は、そこにいたはずだった。誰かが跳びそこなって、馬役の彼女が崩れて……しばらくの間。それから彼女は、跳びそこなった子をおぶって、保健室へ行った……。

あの『間』は、何だったんだろうか? どうして、跳びそこなったあの娘は、すぐにどかなかったんだろう? どうして彼女は、それを怒らなかったんだろう?

「ぷっ……」
考えていておかしくなってきた。わたしは、何を一生懸命になっているんだろう? いつから、探偵ごっこが好きになったんだろう? しかもそれは、『事件』とすら呼べないものなのに。
「……もう帰ろ」
教室の窓から差し込む傾きかけた夕日の中、わたしは、小さく頭を振って『彼女』の顔を脳裏から消し、家へと帰ることにした。

そして、どうということもない日々が過ぎ、一週間。
また、わたしが教壇の上で声を張り上げられる日が来た。
「はーい! 静かにしてくださーい!! ホームルームを始めまーす!!」
いつもの、ささやかな至福の一瞬。みんなを見渡して……
「………!」
『彼女』と目があった。
やっぱりそうだ。
わたしの方を見て……にこっ……と微笑んだ。
でもなぜ? なぜ……クラスの中のたった一人が自分に笑っただけで、こうも気になるんだろう? ただ単に、いつも張り切っているわたしのことを、あきれ混じりで笑っているだけかも知れないのに。……わからない。

その日のホームルームは、なんだか調子が出なかった。先生にも、「今日はちょっと歯切れが悪かったな。具合でも悪いのか?」と訊かれた。具合は悪くない。『彼女』の顔が、変に頭にこびりついて離れなかった……そんなことは言えるはずもなく、わたしは「いえ……」と言葉を濁すだけだった。

終業後、わたしは真っ直ぐに家に帰った。いつもの『空気の反すう』をすることなく。
そしてそのまま、家に帰って食事を済ませると、テレビも見ずにさっさと布団にもぐりこんでしまった。

今まで欠かしたことの無い、寝る前に飲むホットミルクと、ストレッチさえ忘れて……。