柔らかな殺意 8

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8.約束

 ……静は目を開けた。
打ちっ放しのコンクリート、チリチリと瞬く蛍光灯。パイプベッド、緩められた服……。そんなことは全く意に介さない。顔を巡らせる。―傍らに『彼』が座っている。さっき聞いた、『彼』の去り際の言葉が、頭にこだまする。何度も、何度も……。
「…………」
涙が、溢れる。哀しくて、哀しくて。
のろのろと起きあがり、辺りを探す。……羽織っていた上着がある。ポケットを探る。取り出したのは、アーミーナイフ。ぱちり……一番大きな刃を出す。
しっかりと握り、『彼』の元へ向かう。
「ウウッ……ウッ……ウッ……オイテカレル……クライナラ……」
背を丸めて眠る『彼』の背中に、刃を振りかぶる。……ぽつり、ぽつり……涙の雫が、彼のシャツに滴る。
「……ッ!!!」
一呼吸の後、その腕を振り下ろした。
……しかし、すんでの所で、それは止まった。いや、止められた。他ならぬ、『彼』によって。
「何するんだ!! 静!!」
驚きの表情の、『彼』。目が合う。……さっきの、嘲りに似た表情が、重なる。哀しくて、恐ろしくて……。
「うわぁぁぁぁー……ん……うわぁぁ……ん」
いっそう泣きじゃくりながら、ナイフを振り回す。
「うっ……うおわっ……?!」
押さえた腕をふりほどくほどの、信じられない力だ。
「静! しっかりしろ!! 静!!」
やはり、呼びかけは届かない。……しかし、暫くもみ合う内に、声が聞こえた。
「オイテカナイデ……マークン……オネガイ……キライニ……ナラナイデ……オネガイ……キライニナラナイデ……」
うわ言のような、声。
「……!!」
優人は、理解した。そして、捌いていた手を故意に緩め、脇腹辺りへ誘う。
「ふんっ!!」
“ずぶり……”一瞬の冷たい感覚の後、激しい熱さが、優人の体を駆けめぐる。
「ぐおっ……」
そのまま、脇腹に力を込め、刃が抜けないようにする。……見る見るうちに、卵色のシャツが紅く染まり、脂汗が滲む。
「あ……?」
両手から伝わる、ねっとりとした感触。……そして、暖かな、血。一瞬、その目に光が戻る。すかさず、抱き寄せられる。

「……何を、そんなに怖がってるんです? 静…………」
苦痛で震えてはいるが、優人は、ゆっくり、静の頭を撫でながら、優しく、語りかけた。
「……まーくん、あたしのおむこさんになってくれないの? あたしのこと、きらいなの?」
くぐもった涙声で、子供のように呟く静。
「どうして?」
「さっきね、まーくんがいったの。『しーちゃんはおおきなあかんぼだから、おむつがにあってるよ。ぼくは、おおきなあかんぼは、きらいだよ』っていったの」
優人の胸が、熱い、透明な雫で濡れる。
「……僕は、そんなことは言わないよ。絶対に、言わない」
ゆっくり、柔らかく、静の髪を撫でる。……しっとりと汗に濡れ、少し乱れている。整えるように、何度も、何度も撫でながら、しっかりと言った。
「……うそ……」
まだ、その肩は小さく震えている。
「嘘じゃない。……僕は、静が、大好きだ。誰よりも、誰よりも。絶対に、置いていったり、しない。ずっと、側に、いる」
抱いた腕に一層の力を込め、優人は、はっきりと言った。……初めて、口に出した。瞬間、時が、止まる。
ホコリ臭いはずの部屋が、暖かな空気に包まれた気がする。

どくり……どくり……

体中を巡る熱い鼓動は、出血のためだろうか?それとも、胸の高鳴りだろうか?
「ほんとに?」
「ほんとうだよ。……ね」
顔を見据える。涙で真っ赤な目、青ざめた顔、震える唇……
「んっ……」
優人は、冷たく震えるその唇を、自分の者で塞いだ。
自分の体温が移るまで、柔らかく、長く……
「……ね?」
ふっ……と唇を離し、もう一度、微笑んだ。

「…………う……ううっ……」
血塗れの手が、離れる。そして、優人の体に、絡まる。
永い間の捜し物を、やっと見つけたように、ゆっくり、しっかり。
「うわぁぁぁぁぁぁーーーーーーんっ!!!」
涙の雫は、流れとなり、優人の胸を止めどなく流れる。
「うれしい……うれしいよ……ありがとう……あり……がとう……あたしも……だいすき……まさと……」
彼女の胸の鼓動と、暖かさ、涙の熱さ……全てを慈しみながら、優人は、彼女の泣くに任せていた。
「うっ……ううっ……ひっく……ふぅっ……ふ……う……」
やがて、こわばっていた体から力が抜けていき、声は吐息となり、やがて、寝息となった。
「……ゆっくり、おやすみ。静……」
その体を、優しく、ベッドに横たえ直す。涙に濡れた顔と、と、自分の血に濡れた手を拭いてやる。そして……
「うぐっ……」
崩れるように、パイプ椅子に座り込む。出血で、頭がふらついている。
「つぅっ……」
突き刺さったままの、刃を抜く。見ると、脇腹から下、足首あたりまで、鈍い赤に染まっている。
備え付けの救急箱から取り出した消毒液をハンカチに染み込ませ、手早く傷を拭う。反応を起こして、ぶくぶくと泡が立つ。
「あたた……!!」
改めて認識させられる痛みに顔をしかめながら、包帯を巻き、なんとか、応急処置を済ませた。
「ふぅーー……」
溜め込んでいた息を、長く吐き出す。そのとき
『……ずいぶん、派手にやったな』
声がした。
「ははは……恥ずかしいところ、見られちゃいましたね……」
照れ隠しに笑いながら、『剣』に返す。
『傷、深そうだな』
心配と言うより、冷やかしに近い声だ。
「いえ、刺すときに、急所を外すようにして、筋肉を締めましたからね。それほど深く刺さってません。……つつっ……」
こわばった笑みを作る優人。
『もっと気の利いた台詞で決めればよかったのにな。ふふふ……』
優人のそんな顔を知ってか知らずか、変わらず、からかうように笑う『剣』。
「混ぜ返さないでくださいよ。恥ずかしい……。それに、人の恋路に難癖つけるなんて、ずいぶん野暮じゃないでしょうか?」
精一杯の反撃も、顔が引きつって決まらない。
『ふふふ……悪いな。ただ、ずいぶんと、年齢不相応だな……と思ってな』
「……いいでしょう、別に。僕は静しか……」
見てなかったんですから、と言いかけて、やめた。偽りのないこととはいえ、やはり恥ずかしい。
『ふふふ……まぁいいさ。それより、今度こそしばらく休んだらどうだ? 怪しい気配があったら、私が知らせてやる』
からかって楽しんでいるのか、本当に気遣ってくれているのか、どちらか判らない。が、ここは言葉に甘えて、一旦落ち着いた方がいいのは確かだ。
「……そうですね。そうさせて貰いますよ……」
言いながら、ゆっくりと蛇口まで行き、一口水をすする。乾いていた口の中が、少しましになる。そして、椅子へ戻り、スローモーションのように座る。 軽い貧血らしい。すこし、ふらつく。
暫く休めば、治るか……ふう、と再びため息を吐き、深呼吸をする。……緊張していた意識を、しばらく散らしてみる。

見るともなく景色を目に入れる。静は、安らかな顔で眠っている。……安心しきった、幼子のような寝顔だ。まどろみ半分でぼんやりと眺めながら、優人は、その想いを反芻せずにはいられなかった。

「大好きだよ……か……」
そうだ。自分は、この少女が好きだ。……赤ん坊の頃から知っている、父親の親友の娘。よく面倒を見てやった、妹のような娘。……そういう目で見ていることの方が多い。しかし、それだけじゃない。ずっと、思っていた。
『この子を守らなければ』と。
そうだ、自分の剣は、この娘のためにある。なぜか、それが当然だという意識があった。
義務感……といえるかも知れない。だが、そんな乾いた物よりも、ただ、彼女が愛おしかった。ありのままに振る舞う彼女が、弾ける笑顔が、元気な姿が。
だから思った。自分は、この剣で、守ってやらなくてはいけない。この笑顔を、この明るさを、……全てを。
それが『好きだ』という感情だと気づいたのは、随分前だった。けれど、まだ年端の行かない少女にうち明けたところで、意味も分からないだろうし、これから、色々な出会いがあるだろう。そう思って、ずっと、胸の奥にしまっていた。
が、ここ数年、彼女の自分に対する接し方が、心なしか変わってきたように思えてきた。自分の『仕事』にやけに興味を持ち出したり、異様に自分の体を心配してくれたりするようになった。『連れていってくれ』と頼まれたこともある。もちろん、危ないからダメ、と言うと、あからさまに落ち込んだりもした。
『どうして、そんなに着いて来たがるんです?危ないんですよ?!』
一度、強めに訊いてみたことがある。すると、
『……一緒に、居たい、から……』
しばらくの沈黙の後、滅多に見せない-いや、見たことがないほど-真っ赤な顔で、伏し目がちに、ぽそりと呟いた。
正直、胸が熱くなった。自分のことを、想ってくれているということが、本当に嬉しかった。
愛おしく思う気持ちは日々強くなっていった。やがてその気持ちは、違う方向へも膨らんでいった。

……その笑顔を、その明るさを、その全てを、自分だけのものにしたい。誰にも、渡したくない。……『全て』を手に入れたい。
そんな、自分自身『粘っこい』と思えるような、抑えがたい欲動だ。
日々成長していく体を見るにつけ、そのどろどろとしたものが渦巻いた。
『何を馬鹿なことを考えているんだ……』
そのたびに、頭を振って、うち消そうとする。
先刻、静の介抱をしているときもそうだった。ジーンズの下から現れたのは、柔らかに成長した太腿、ふっくらとした下半身、恥じらいを隠すようになった、茂み……全て、優人が知らない静だった。そこからは確かに、女性の匂いがした。
……怖かった。凄まじい勢いで渦巻く、どろどろとした衝動。きっと、もう一度でも触れれば、戻れない。『それから』を抑えることができないだろう。だから、空想であることを信じて恐怖小説を閉じるように、忌まわしいものを一刻も早く遠ざけるように、優人は、見ることをやめた。

とはいえ、異性を好きになる、愛するということは、詰まるところ、そういう、どろどろしたことを含めての事なのだろう。だが、自分が彼女を、そう言う気持ちで『欲しい』と思っていること、そして、彼女かそれを受け入れてくれるだろうと言うこと……それは、自分自身の勝手な思いこみかもしれないのだ。
自分が、彼女を、妹のようなものと思っていたように、彼女もまた、自分を、兄のようなものと思っているだけかもしれない。
だから、なおさら迷い、思いとどまった。
「……いや……」
違うな、と、嗤った。怖かったんだ。これまでの関係が崩れ、ギクシャクしたものになるかもしれない事が。自分の心を痛めずに、彼女から動いて貰うことを待っていたんだ。
……肝心なところで、卑怯な男だ、自分って奴は。

「ははは……やれやれ……」
優人は再び、ため息混じりで嗤った。その時だ。
『……優人! ……いるぞ……!』
『剣』の声がした。

つづく

 

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