柔らかな殺意 4

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4.遭遇

“コツ……コツ……コツ……”

1メートルほど下の段差には、真っ黒な排水が流れている。ごぅっ……と言う音とともに、強烈な臭いがたち込める。優人は、コートの裾や、袖口を少し気にしながら、足下をペンライトで照らしつつ、そのコンクリートの『通路』を歩いていた。
それぞれの部屋のドアからは、この下水道に出られるようになっている。下水道は街の縦横を駆けめぐっており、そこかしこの『出口』―つまりはマンホールだ―には、番号が採番してある。
もし、各々が『商売道具』を剥き身で持っていると、一般人に怪しまれ、騒ぎになることは確実だ。そこで、身を隠しながら、移動、潜入ができる通路が必要になった。結果、強い要望を受け、この通路が『整備』された。
「(この臭いだけは、慣れないんですがね……。)」
苦笑いをしながら、目指す出口『43番』へと向かう。
曲がり角のあちこちには、ご丁寧なことに、道標や地図がある。しかし、大方の主要な道は、もう憶えている。いわんや、街一番の豪邸ならば、なおさらだ。

「ここですね。……本当だ」
目の前には、地上へ出る為の、円筒状の縦穴がある。眼前の壁に、小さく【43】のプレート。普段はここで行き止まりだ。が、今回はその側に、大きな穴があった。優人ほどの背丈でも、少し身をかがめるだけで、難なく通ることができる。穴をのぞき込む。結構な長さがあるようだ。内側は……きちんとコンクリートまで打ってある。
「いてて……」
壁を触る手がチクチクする。ご丁寧に、モルタルまで混ぜてあった。
「ま、正規のトンネルじゃないんですから、凝る必要はないと言えばそうなんですが……」
優人は、コートを引っかけないかどうか、細心の注意を払いながら、その横穴を通った。

30mほど行っただろうか、行き止まりの壁に、これまた急ごしらえのステップがある。その上が縦穴だ。ライトで上を照らす。内側に取っ手の着いた、真新しい鉄の蓋が見える。
「さて……」
息を短く吐いた後、優人はステップに手を掛けた。

“キィ……”
頭半分ほど、蓋を開ける。視線を巡らせる。……何も見えない。しかし、庭の位置関係は、頭に入っている。
「……よし」
そろりそろりと残りの蓋を開け、地上に出る。と、その時。

「動くな……」
背後から、押し殺した声がする。背後には、堅い金属の感触が一点。
「(ずいぶん早く、ゲーム・オーバーを迎えてしまいましたね……)」
もとよりこの仕事、危ないのは百も承知。足掻いても仕方がない、覚悟は早く決めろ……父から何度も教わった。
「抵抗はしません。……お好きにどうぞ」
背後に向けて、静かに言う。
「そうか……ならば……」
背中に当たる鉄の感覚が強くなる。そして
「えいっ!」

“ガクッ”

「うわぁっ?!」
不意に、両膝の感覚が途切れる。たまらず、膝を着く。
「へへぇ……ひっかかった!」
クスクスと笑う声。聞き間違えようもない。この声は……
ゆっくり後ろを振り返る。果たしてそこには、静が居た。昼間のオーバーオールではなく、ジーパンに、同じくジーンズのジャンパーという出で立ちだ。顔には赤外線ゴーグルを着けている。
「全く……どういうことですか?」
困り果てた顔で訊ねてみる。
「マー君一人じゃ、心配だもんね」
ゴーグルを外して、微笑む。
「姿が見えないと思ったら……自分が今、何処にいるか、解ってるんですか?!」
心配と苛立ち紛れに、視線と言葉を地に投げ捨てる。
視線を戻した優人が見たのは、自分の顔に向けられた消音器付きの銃口。
「……連続失踪事件の首謀者、黒澤翁の屋敷の中。目的は、失踪者の捜索。……あるいは、黒澤翁の抹殺……」
機械のように淀みない声が返ってくる。
「…………」
闇の中、じっと見つめる瞳は、真剣……というより、悲壮感が漂う。
触れれば、涙のダムが内側から決壊して、崩れるのではないだろうか?
もし、自分が拒めば、彼女は、その銃口を己のこめかみに向けて、引き金を引くのではないか? ……そんな気分にさえさせる。
正直、そんな静の顔など見たことがない。驚き、戸惑うより、真綿で心臓を締め付けられるような気分だ。
互いの、かすかな呼吸さえ聞こえる。絵画になりそうな、数瞬が過ぎる。
「……解りました。もう何も言いません。後方援護、頼みますよ」
こわばった瞳から、目尻にこぼれかけた雫を、指で拭ってやる。
「……了解!」
少し鼻をすすり、静は敬礼のポーズで答えた。

改めて、茂みに身をかがめる。
「さて。目的の隠し扉までは、100m程あります。こういうときの『お約束』は、何でしょう?」
クイズでも出すように、訊ねてみる優人。
「監視カメラがびっしり……でしょ?」
当たり前のことを聞かれて、むくれた声が返ってくる。
「正解です。では、その位置関係を述べなさい」
今度は、試験問題のように聞いてみる。
「……解りません」
授業中、不意に当てられた学生のような声が返ってくる。
「正直でよろしい。……僕の後を着いて来るんですよ」
一転して真剣な声に戻り、身を屈めたまま。一点に向かって走る。
「うん……」

ダミー映像の流れるカメラの点を、寸分の狂いもなくなぞっていく、二つの影。やがて、屋敷の壁まで、直線にして50m程に位置する茂みの陰にたどり着く。

「なるほど。こりゃ解りやすい……」
「ほんと。素直ねぇ……」
お互い、呆れた声しか出てこない。なぜなら、そこの芝生が、1.5m四方ほど、色が違うのだ。きちんと取っ手までついている。
「よっ……」

“キィ……”

声を掛けた割には、あっさり開く。蓋の材質が軽いのか、潤滑油でも塗ってあるのか定かではないが……。

「ねぇ、マー君。この風……なんか……」
「ええ。臭いますね。埃と……何か薬品……でしょうか、刺激臭がします」
空洞から吹き上がる風は、冷たく、強くはないが異様な臭気を放っていた。
「…………」
鼻に神経を集中させながら、優人は嫌な予感を抱き始めていた。こういうとき、何か一つのきっかけがあれば、そこから色々な事柄を想像してしまう。
「(この臭い……防腐剤ですね。防腐剤、失踪事件……女性……)」
繋がってはいけないことが、一瞬、繋がってしまった。考えたくはない。そしてまた、そういう思考をしてしまう自分が恐ろしい。うち消すために、頭を少し振る。
「……マー君、マー君!!」
視線を戻すと、そこには、ひらひらと踊る白い手。静が不思議そうな顔でのぞき込む。
「どうしたの? ぼーっとして。あっ! ひょっとして、怖いんだ!?」
にんまりと笑う静。
「……何を言ってるんですか。ここまで来て、それはないですよ。さ、行きましょう」
「……うん」
苦笑いを残して、二人は眼下に続く階段を下り始めた。

つづく

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