柔らかな殺意 3

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3.回想

 店のさらに地下。階段を下りきったところに、両側に鉄のドアが並ぶ通路がある。そのうちの一室の前で立ち止まり、持っている鍵でドアを開ける。
手探りで入れるスイッチ。素っ気ない蛍光灯が照らす室内。内装は皆無に等しい。打ちっ放しのコンクリートを白く塗っただけの壁。窓はない。代わりに、換気扇が一つ。床は薄い絨毯。後はベッドと、その側の椅子。壁際にクローゼット。そして、奥に扉がもう一つ。……強いて言えば、『上等な独房』だ。
「さて……と」
手に持ったコートを椅子にかけ、鞄もそこに置く。上着を脱いで、ネクタイを外し、共にクローゼットの中へ。カッターシャツの一番上と、裾のボタンを外し、ほんの少しの開放感を得る。眼鏡は外して、ベッドの枕元へ。そして、靴を脱いでベッドに倒れ込む。
「ん……?」
ベッドに埋めた鼻が、心地よい匂いを嗅いだ。
「干してくれたんですね……。ありがとう……」
静の顔を思い出しながら、ごろりと仰向けになる。
かすかなうなり声を上げる蛍光灯を見つめながら、優人の頭の中は、静の事を考えていた。静。上原静。この『Cafe U.U.』のマスター、ユニシス=上原の娘だ。だが、彼に妻はいない。未婚の父でもない。静は捨て子だった。17年前、春の訪れを聞き、トレンチコートが要らなくなった頃のある日。生まれて間もない彼女は教会の前に捨てられていた。『静』と記された紙と共に。

その頃、ユニシスは大きな『仕事』に失敗して、失意の果て、街を彷徨っていた。
体は殆ど無傷だったが、払った代償は大きかった。
『一生の全部の辛さとは言わねぇまでも、3分の1ぐらいはまとめて経験したな』
苦笑い混じりで話せるようになったのも、最近なんだ。と、彼は付け加えた。
自分が何処にいて、何をしているのかさえ解らない状態のその日。彼は、暖かな春の風に乗って、赤ん坊の声を聞いた。次第に惹かれゆき、彼はいつしか、声の主めがけて走っていた。見る物聞く物、全てが筒抜けになる中、セイレーンの歌声に惹かれる船乗りのように。
息を切らせてのぞき込んだ箱に、彼は確かに歌姫を見た。綿毛を包むように抱きかかえる。目が合う。喜び、笑う赤子の顔。土気色になりかけた彼の顔に、涙が溢れる。
「……お……おぉ…………」
彼は泣いた。赤子をその腕に柔らかく抱き、跪いて号泣した。
「ふぐ……う……お……うぉぉぉぉ……」
そして彼は決めた。目的ができた。俺はこの子のために、中途半端に死ぬことはできない。この子のために生きよう。
いわゆる『仕事』以外に職を持たなかった彼は、以来、その『稼業』を止めた。そして、それまでの蓄えで、店を構えた。それが『Cafe U.U.』だ。
しかし、『同業者』の間での彼の評判は高く、開店後も店に相談に来る者が多かった。無碍に断るわけにもいかないので、相談に乗っているうちに、噂を聞きつけた普通の人々からも、『依頼』が来るようになった。結果、彼の店は、現在のような、『斡旋・登録所』のような状態になった。
『あん時ゃぁコーヒー一つまともにいれられなかったからな。正直、そっちの収入が頼りだった。今はコーヒーの味にも料理にも自信があるが、普通の客が近寄りがたくなっちまったのが痛いなぁ……』
頭をかきながら笑う顔が浮かぶ。

優人自身は、3年ほど前、ここに登録した。もっとも、知らぬ仲でもないため、最初から登録されていて、部屋が割り振られたのがその頃……とも言える。

優人とユニシスは、直接に知り合ったわけではない。優人の父と、ユニシスが、『同業』仲間だったのだ。長年コンビを組んできた二人だったが、優人の父が結婚し、優人が生まれたのをきっかけに、優人の父はその世界から足を洗った。
しかし、二人の友情はその後も続き、優人は、ユニシスの冒険話を聞いて育った。そして、父もまた、自らの剣の腕を、息子に教える日々であった。
ユニシスが静を拾って以来は、それまで『戦場』しか知らず、子育ての方法など解らなかった彼が、優人の両親を頼って色々教えを請うていたという面も出てきたのだが。

静に関する記憶は、どれも鮮明に憶えている。最初から、いや、最初が特にそうだ。初めて、家にやって来た時。赤銅色の大男に抱えられた、白い赤子は、まるで縫いぐるみか、磁器人形のようだった。
赤ん坊用のベッドに横たえ、父が事情を聞いている頃、優人もともに赤ん坊をのぞき込んでいた。その時、無邪気に笑っていた赤子の手が、不意に目的を持ち始めた。
『あー……あー……ぁえー……おー……』
変わらぬ笑みをたたえながら、しかし、その小さな両手は、優人へ差し伸べられていた。
『ん?』
優人は、より近くへ顔を近づけた。紅葉のような両の掌が、顔に触れる。そのとたん……
『ふ……ふえぇーーーん! あーーん! あーーん!!』
突然、彼女は泣き始めた。
『こら! 怖い顔を近づけるんじゃない!』
父が頭をはたく。
しかし、優人には不思議でならなかった。間近で目があった時、彼女が微笑んだように見えたのだ。普通の赤ん坊の、無条件の微笑みではない。『対象物』があるような気がした。そう、なんだか『嬉し泣き』に見えなくもない。
『まさか……。いつから僕は、そんな自惚れ屋になったんだ?』
そこまでませちゃいない……はずだ。と、優人は自分の頭を小突いた。

静は元気に育った。活発に動き回り、歩き出すのも早かった。母が
『なんだかこの子、いつも慌ててるみたい。そそっかしい子にならなきゃ良いけど』
と、笑いながら言った。
静は、人の後、特に優人の後に付いていくのが好きだった。と、ユニシスが言う。
静は腕白になった。名前とは裏腹の、騒々しいほどの少女になった。
物心が付いて、彼女は優人を『マー君』と呼ぶようになった。共に遊び、ケンカもするようになった。喧嘩の度に両親は
『堂に入った痴話喧嘩ね』
『良い夫婦になりそうだな。ハハハ……』
等と冷やかしたものだ。

お互い、真っ赤になって、特に静が、ポカポカと優人の胸を叩いたのを、よく憶えている。



「なんだか今晩は……変ですねぇ。あの娘の事ばかり思い出します……」
蛍光灯相手にひとりごちながら、優人はしばしの眠りに就いた。『ピピピ……』
目覚ましの電子音が鳴り響く。ゆっくり、目を開ける。素っ気ない、コンクリートの壁と目が合う。いつの間にか、横向きに寝ていたようだ。
むくりと起きあがり、眼鏡をかけ、上着を着る。貴重品類は、クローゼットの中の金庫に入れ、鍵をかける。
クローゼットの中には、剣が二振り。刃渡りのかなり長い日本刀と、きらびやかな装飾が施された、両手持ちの洋剣(バスター・ソード)。これが、彼の『商売道具』だ。
いつも通り、日本刀に手を掛けようとする。ふと、手が止まった。
「呼んでいる……?」
ような気がした。洋剣が、『私を持て』と言った気がした。
思い直して、それを握る。
宝剣『常世渡り(とこよわたり)』。現世にある物のみならず、その裏、異空間に潜む物までをも斬る。
優人の家の言い伝えでは、もう一本の宝剣と共に、一対の家宝だったそうだ。しかし、長い間のどさくさで、一本は紛失。残るこれを、彼は父から『自分はもう使わないから』と、譲り受けた。
その性質上、普段はもっぱら、退魔の剣として用いるときが多い。だがしかし、今日は違った。確かに剣が『呼んでいる』のだ。
「何かがある、と言うんですね。……わかりました」
トレンチコートを羽織り、コートのベルトを締める。そこに、革製のベルトに掛けた『常世渡り』を背負う。
「さて……。行きますか」

優人は、静かに、部屋の奥の扉を開けた。

つづく

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