D's NEST

お呪(まじな)い~コレクション・ハウスの夜3_3

3.合わせ鏡の部屋

 出てすぐのはずの敷居がない。改めて、前を見る。
「えぇっ?!」
自分の部屋だ。だが、自分は、今、その部屋から出てきたのだ。
後ろを見る。そこも確かにドアだ。目の前には、またドアがある。
「……?!」
再び、そのドアに飛びつき、開ける。
…………同じだ。また、目の前にドアがある。
もしも、部屋一杯の幅の鏡を、仕切りのように中央に置けば、こんな感じになるのだろう。だが、由佳にそんなことを考える心の余裕はなかった。何度も、何度も、ドアをくぐる。そのたびに見る、同じ風景。
合わせ鏡……さっき行った『まじない』が頭をよぎる。
そんな……そんな、そんなそんな!!
体中から冷や汗が吹き出し、思考がどんどん真っ白になっていく。

……そうしてしばらく経った。どっち向きに、何回ドアをくぐっただろう? わからない。いや、もう数の感覚すらもなくなってきた。パニック状態は徐々に収まり、冷や汗も引いてきた。ドアを開ける手にも、あきらめが混じり出す。
『そうそろそろ、覚悟を決めた方が良いのかなぁ』
自分でも何の『覚悟』を決めるのか、はっきりしていなかったが、由佳は漠然と冷めた感覚で、そう思い始めた。

ふぅ……。大きなため息をつき、これで最後にしよう、と、何百枚めかのドアを開けた。

「うわっ……?!」
由佳は思わず目を覆ってのけぞった。今までの部屋とは違う。だが、眼前に広がるのはまぶしい光ではない。闇である。
“むぅっ……”
なま暖かい空気が漂ってくる。少し埃臭い……だが、決して不快ではない。この感覚は……たとえるなら古寺だろうか?
“とんとん……”
片足を部屋に残し、もう片方の足のつま先で『闇』に入ってみる。床がある感覚だ。少なくとも、踏み出す先が奈落の底……ということはなさそうだ。
『よし……』
意を決して、由佳は『闇』に踏み出した。

“きし、きし、きし……”
板張りだろうか、歩く度に音が鳴る。靴下越しに感じるその感覚は……。そう、使い込まれた木のそれだ。なめらかで、心地よい。
周囲によく目を凝らすと、広めの廊下のようになっている。人二人分ほどだろうか?
壁の手触りは……レンガだろう。床共々、なんだか懐かしさを憶えるような感触だ。そしてその両壁には、洋風の燭台が、ロウソクの明かりをともしている。
先に目を遣る。燭台が等間隔で並んでいるらしいことは解るが、どれぐらいの長さなのかなどは、全く解らない。
その『廊下』を歩き始めてしばらく経った。由佳は不思議に思った。ずいぶん長い。結構歩いているのに、全く先が見えない。ふと後ろを振り返ると、入ってきた入り口の光が、遙かに小さくなっている。
と、その時
“ばたん……”
と、その扉が閉まってしまった。
「あ……!」
しかし、再び出られたところで、元に戻れるわけでもない。もういいや、行くところまで行こう。そう決意し、なおも進もうとしたときだ。

『ようこそ……・』
背中の方から男の声がした。小さいながら、不思議と、よく通る声だ。
「……?!」
突然の声に驚いてその方を向き、さらに驚いた。その男の姿である。
頭を覆う、とがった大きな黒頭巾。目の部分には穴が空いているが、そこから表情は解らない。そして、首から足下まで、すっぽり覆う、同じく黒いマ
ント……。正直、かなり怖い格好である。
「あ……あの……」
由佳が二の句を継げないでいると、マントの男は、ゆったりした声で言った。
「怖がらないでください、由佳さん。お待ちしていました。ようこそ。コレクション・ハウスへ」
相変わらず表情はわからないが、優しそうな声だ。少し、安心できる。

「コレクション・ハウス……?」
聞いたことのない言葉だ。が、どこかひっかかる。
……そうだ。『ここ』へ来るきっかけになったあの本。そこに挟まれていた赤い紙に書いてあった言葉だ。
「そうです。コレクション・ハウス。罪深き者のための、懲罰の館です」
目の前の男は、由佳の記憶の反芻を知っていたかのように、だが、変わらずゆったり、淡々とした声で返した。

「懲罰…………」
あの本の内容が、フラッシュ・バックする。
「そうです。あなたがご自身でここへの道を作られたのです。由佳さん」
黒い男は、きっぱりと言った。

「そんな、私、誰にも懲罰なんて……」
与えたいと思ったことはない、と言おうとしたときだ。
「はたして、本当に、そうでしょうか?」
ゆっくり、噛み砕くような男の言葉が遮った。
その瞬間。
「…………!」
どくん、と、心臓が大きく脈打つ。そしてまた、聞こえてきた。『尊敬すべき』、『彼ら』の、嗤い声、『無邪気』な顔……・。
「ぐぅっ……」
まただ。また、あの感覚だ。たまらず、心臓を抱えて、その場にへたりこむ。
すると、すぐ耳元で声がした。
薄目でちろり、と見遣ると、黒い男がかがみ込んで自分をのぞき込んでいる。
「自分を騙すのは、もう止めましょう。ここは、その『敬意』をぶつける場なのです」
その言葉を聞いた瞬間、不思議なことに、由佳の心臓の痛みが、すうっと消えていった。
ゆらり、と再び立ち上がり、男と向き合う。
「でも、『懲罰』って……? 殺すの?」
上がりかけた息で、やっと紡いだ言葉が驚くほどに物騒で、慌てて口に手を遣る。
そんな由佳の様子が可笑しかったのか、男は少し笑ってから、それに答えた。
「フフッ……いいえ、そうではありません。由佳さん。貴女が、今のように節度ある女性に育ったのは、誰のおかげだと思いますか?」
「えっ? ……あ……母さん……かな?」
『節度ある女性』と言われて、少し照れながら、彼女は答えた。
「そうですね。では、思い出してください。貴女がまだ小さかった頃、貴女が悪戯をしたとき、母上は何をされましたか?」
「え……と……あ! そうだ! お尻を叩かれた!」
幼い頃の自分の姿と、やってしまった悪戯の数々、そして、母の顔とお尻の痛さを思い出し、由佳は、照れくさそうに答えた。今となっては、懐かしい想い出だ。
「お尻を叩かれている間、あなたはどんな気分でしたか?」
黒い男はなおも問うた。
「うーーん……。怖くて、みっともなくて、情けなくて……かな?」
「そうですね。だからこそ、同じ過ちは繰り返しません。……もっとも、違う過ちをしてしまう場合もありますが……。ともあれ、『節度』とは、そのように身に付く物です。決して、口先だけで解る物ではありません。……では、由佳さん。貴女が『敬愛する』、『彼ら』は、どう思いますか?」
講義をするように訥々と、よどみなく男は話し、ふと、話題を由佳に返した。
「えっ……」
ふたたび、『彼ら』の顔が脳裏をよぎる。言い様のない感情が、渦巻く。
「……きっと、『いい子』に育ちすぎたんだわ。周りが何も言わないから、『自分は何でもできる』っていう……幼児的万能感って言うのかしら?それを捨てきれないまま大きくなったのよ。体に教えて貰ったことなんて無いか、あっても理解できなかったのね」

由佳の言葉を聞いていた男は、胸の前で軽く手を叩き、言った。
「……見事な推察です。私たちも、そう思うのです。だからこそ、徹底して罰を与え直すのです。それこそが、この、コレクション・ハウスの目的なのです。……お解り、いただけましたか?」

「ええ」
由佳はにっこり―傍目には、ぬらり、という表現が似合う―と微笑んだ。

……もし、全く関係のない第三者がこのやり取りを聞いていたならば、ひどく偏狭な会話だと思うだろう。だが、由佳にとっては―そして、黒い男にとっても―至極まっとうな論理であり、『我が意を得たり』の感だったのだ。

「私たちの趣旨をご理解いただけたようですね。では、こちらへどうぞ……」
男は満足げにそういうと、ゆるりと背を向けてさらに奥へ歩き出した。
だが、由佳に残るわずかな『迷い』が、こうも問わせた。
歩きながら男の背中に投げかける。
「でも、この年……私と同じ、って意味だけど……で、お尻を叩くなんて、変な意味に取れないかしら?」
「性的サディズム、マゾヒズム……ですか?」
由佳の言葉が終わるか終わらないかのうちに、男が後を継ぐ。
心なしか、それまでの淡々とした口調とは、違うようだ。苛立ちとも、怒りとも思える空気が漂う。

「もし、神聖なる懲罰を、そのように受け取る輩がいた場合は……」
はたと歩みを止め、一瞬、由佳と向き合う。すさまじい気迫だ。
「永劫の闇の中へ。我々は、見捨てます」

“ぞんっ!”

「……!!」
氷の刃のようなその言葉が、由佳の胸に突き刺さる。その衝撃に、一瞬後ずさる。
……が、やがてその氷は、徐々に溶け、由佳の体の隅々を巡りはじめた。

ぞくぞくする。
恐怖?
いや。
喜び?
違う。
解らない。
が、今までにない『素敵』な感覚が、彼女を満たした。そして、

「そうよね。そうするべきよね」
にっこりと―やはり傍目にはぬらりと―微笑む由佳が居た。