D's NEST

お呪(まじな)い~コレクション・ハウスの夜3_2

2.まじないの部屋

 そんなある日のことである。由佳は、いつも通り机に向かっていた。ただ、そこから聞こえてくるのは、ペンを走らせる音とは似て非なる音だった。

“カリカリ……ピチッ……プチッ……”

最初のうちは普通に勉強していたのだが、そのうち、指先の塞がりかけた皮が気になりはじめ、ペンの先でほじり出しているのだ。血が滲めばすすり、はがした皮をカリカリと噛む。没頭していれば、一、二時間はすぐに経つ。足下は、例によって、せわしなく揺れている。

そのときである。
『ドンッ!!』
「きゃっ!?」
突現の激しい縦揺れが家全体を襲った。体中の血液が心臓一点に集まるような感覚が彼女を包む。
『次もくるかな?!』
椅子から立ち上がり、暫く身構えていた由佳であったが、結局、それは杞憂に終わった。
『あぁ、びっくりした……』
再び椅子に座り直した時である。

『ゴツッ!!』

「いぃっ……!?」
椅子のすぐ後ろにある大きな本棚から、本が降ってきた。ご丁寧に角から落ちてきたそれは、彼女の頭に命中した。
「んーー……っ!んーー……っ!!」
瞼の裏に、忌々しい程美しい星空を潤んだ目で見ながら、歯を食いしばる。
「ふぅ……ふぅ……痛い……なぁ……もぉ……」
やっと出てきたその感覚を表す言葉を呟きながら、由佳はその『犯人』を見た。
重ねてご丁寧なことに、立派な装丁の本だ。しかも大きい。A5サイズの教科書より、横2倍ほど大きいだろうか……そう、A4サイズだ。こんな本が角からぶつかれば……と、ぶつかった所に手を遣る。やっぱり、コブができている。
「あぁもう! 腹の立つ!」
どこかに文句を言いたくても、自然現象が相手ではどうしようもない。
仕方がないので、捨てぜりふを宙に投げておく。

由佳がなおもぶつぶつ言いながら、本を元の場所に戻そうとしたときである。
一つにして、最大の疑問が浮かんだ。
「あたし、こんな本持ってたっけ?」
改めて、その本をまじまじと見る。えんじ色の立派な装丁で、辞典か、全集のようなサイズだ。ぺらぺらとめくってみると、カビ臭さとともに、米粒のような字がびっしりと書いてある。死んだ祖父の蔵書だろうか? いや、あれは物置の奥にしまってある。確かに親には読め読めと言われたが、出した覚えはない。
かといって、親がわざわざ出してきたとも思えない……。
少しカビで粘つく本をためつすがめつ、由佳は暫く考え込んでしまった。
と、そのとき、本の間に何かが挟まってることに気がついた。本の色とは違う、鮮やかな赤が目を引く。
「なんだろう……?」
そのページを開き、挟んである紙を見る。本より一回りほど小さい。B5サイズだろうか。装丁よりも一際鮮やかな赤いの紙には、銀のインクでこう書かれていた。

『コレクション・ハウスへようこそ!』
「……?」
ますます由佳は首をひねらざるを得なくなった。書いてある文言も変だが、なお不思議なのはその紙だ。しわ一つないそれは、どう見ても新しい。
本が古いし、まして自分が本棚に入れた覚えのない物に、どうしてこんな新しい物が挟まっているのか?いたずらにしては、手が込んでいるわりに、意味がわからなすぎる。「でもまぁ、誰かがここに挟んだんだから、しおり代わりかもしれないな」
考えても仕方ない。そう思ってひとりごちつつ、再び本をなおそうとした。
「でも、しおりを挟むぐらいの所って、どんなことが書いてあるんだろう?」
ふと、その内容が気になりだした。いったん気にし出すと、どうしても確かめたくなる。由佳は、机に座り直し、赤い紙の挟んである所を開いた。

そこには、やはり米粒のような字で、このように書かれていた……。

『……汝、罰を与えたき者在れば、かようにして、“道”を成せ。閉ざされし儀式の間にて、二つの写し身を対となし、間に立て。しかる後、あらん限りの怨嗟を以て、右の拳で天を衝くべし。』

「……なにこれ?! ひょっとして、呪いの本?!」
珍しさと可笑しさで、由佳は危うく吹き出しそうになった。なぜなら、かわいらしい雑誌の占い程度ならまだしも、こんな仰々しい『呪い』の類なんて、とうてい信じていないからだ。本屋に行っても、そんなコーナーを見つける度に馬鹿馬鹿しくていつも呆れている。
「あーあ、ちょっと期待したのになぁ」
拍子抜けして、また、由佳は再び机に戻った。

「………………・」
おかしい。集中できない。
『ぞくっ!!』
背筋を悪寒が走る。
「あれ……? カゼかな……?」
突然の悪寒に、そうつぶやいた瞬間。

「……ひっ!? ……グ……グあ……うぅ……!!」
心臓が、すさまじい軋みを立て始めた。まるで、細いピアノ線で、がんじがらめにされているようだ。
「うぅっっ! ギウっ! あああううっ!!!!」
たまらず椅子から転げ落ち、床をのたうつ。心臓に絡まる鋼線が、今にも獲物をバラバラにしそうだ。
左胸を、鷲掴みにする。乳房に、爪が食い込む。だが、心臓の痛みは紛れない。
“どくん、どくん……”
皮を剥ぎ尽くし、感覚を忘れたはずの指先が疼き始めた。まるで、十本の指先それぞれに、小さな心臓がついているようだ。そして、本物の心臓同様、ぎりぎりと痛い。
「ぎオ……ガ……んんんん……は……が……ゴ……」
やがて、にじみ出る脂汗とともに、声が聞こえてきた。

「……!!」
それは、嗤い声。自分が『尊敬』すべき、『彼ら』の声。いや、嗤い声だけではない。自分に『悪戯』をするときの『無邪気』な声、顔……・

全てが、火花のように現れ、消える。何度も、何度も……・。

「うぅうぅうぅうぅぅぅぅぅぅーーーっ!!」
頭に血が上っていく。バリバリと唸る音は、歯ぎしりだ。

これは、怒り? 『彼ら』への? そんな。だって、私は『彼ら』を『尊敬』しているもの。そんな感情、持ってない。痛い。違う。苦しい。だって。抑える。どうして。何を。誰に。恨む。まさか。讃える。違うよ。痛い。何が。怒る。誰が。わたしが。まさか。本当に。誰を。憎む。いけない。何故。尊敬。嘘だ。どうして。痛い。わからない。何故。わからない…………………………………………………………………………

そして由佳はのろのろと立ち上がった。部屋を閉め切り、卓上用の鏡を用意し、化粧台の椅子に乗せる。やがて、合わせ鏡が一本の無限の道を作り出す。その間に立つ。自分もまた、無限の存在となる。

「怒る。誰が。わたしが。まさか。本当に。誰を。憎む。いけない。何故。尊敬。嘘だ。どうして。痛い。わからない。何故。わからない……」
なおも呟きながら、ゆっくり、右の拳を握る。

『ぶんっ!!』
右腕よちぎれ飛べとばかりに、空へ突き出す。

…………

なにも、起きない。
「…………はぁっ……」
脱力してその場にへたり混む。そうだ。何を自分は馬鹿なことをしているのだ。あんなもの、どこかの妄想家が書いた大嘘ではないか。
「あはは……バカだなぁ、私。……下でコーヒーでも飲んでこよっと」
気分転換をしに下に降りようと、由佳は扉を開けて階段を踏み出そうとしたときだ。
「あれ……?」
由佳は、自分の目を疑った。