「いってきまーす」
小柄な体に、長いストレートの髪をなびかせ、溌剌とした声で家を出る。
いつもと同じように思える朝。しかし、今日の久美子は朝からひどい倦怠感に襲われていた。特に何か悩みがあるわけでもない。体の調子が悪いわけでもない。ただ、純粋に、日々の暮らし―即ち会社勤め―が嫌なのだ。こんな日は、思いきり怠惰に時間を過ごしたい気分になる。しかし、親と同居している手前、仮病を使って休むというのはそう使えない。ではどうするか。
それは、いつもと変わらないように朝出かけ、会社には行かずに、ひたすら街中をぶらぶらし、夕方に家に戻るのである。
喫茶店のはしごをするのも良いし、映画館で粘っても良い。思い切って少し遠出をしてみることもある。勿論、あらかじめ会社の方には家から電話で休む旨を伝えておく。そのままの声だとまずいので、出来るだけ病気らしい声で話す。
更に加えて念のために、自分の部屋から携帯電話で掛けるのだ。高校を卒業して四年、初めのうちは五月病で魔がさした程度だった。しかし、毎日の単調な作業に飽き飽きしている事と、翌日の同僚達の心配そうな顔と、何気ない気遣いが、久美子を病みつきにさせた。
今では、『あの子は体が丈夫じゃないから、無理強いはよそう』という雰囲気ができあがっている。
その、自分に向けられた空気を味わうことがまた、久美子にはたまらなく楽しかった。
しかしさすがに、そう頻繁に休むと不審に思われるので、せいぜい月に一度位しか出来ないのであるが。かくして、その日も『休日』にした久美子は、会社の人間に会うのを避けるため、いつもの通勤路から外れ、あてなくぶらぶらし始めた・・・・・・そして夕方、日も暮れかかる黄昏時。
勤めを終えたサラリーマンの波が、駅から押し寄せてくる。
その一様に疲れた顔を、流れの外から見て久美子はいつも、
『あーあ、可哀想に』
と、嘲笑混じりで見つめるのだ。
それは、傍目にとても残酷で、本人には、とても楽しい一時だった。
駅前では、相変わらず、何処から湧いて出たのか派手な色の髪をした若者が、テレクラのティッシュを配ったり、勤め帰りの一杯を当て込んで、居酒屋の店員が店のチラシを配ったりしている。
関係ないや、と素通りしようとしたときである。
「お嬢さん…」
と、後ろから声がした。
(勧誘ならお断りよ!)
そう態度で示し、久美子は歩を進めようとした。すると
「お嬢さん」
もう一度声がして、見ると、いつの間にか目の前に人が立っている。
「はぁ?!」
久美子は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。無理もない。彼女を呼び止め、今目の前に立っている男の出で立ちは…かなり大柄な身の丈を覆う黒いマントに、同じ色の、肩まで隠れるとがった頭巾…そう、工事現場に置いて有るコーンのような…あるいは、物語に見る、黒魔術を行う人間の被るような…そんな頭巾。目の部分は空いているが、そこから中の顔を伺うことは出来ない。
普通、こんな格好で街中を歩いていたら、間違いなく警官に職務質問されるだろう。しかし、警官はおろか、道行く人も全く気に留めていない。
久美子が呆気にとられてぽかんとしていると、三度男の声がした。
「お嬢さん、これをどうぞ…」
そう言って、おもむろに一枚のチラシを差し出した。
その手を無視する事もできたのだが、何故か素直に受け取ってしまった。
B5サイズの赤い紙には、銀のインクでこう書かれていた。
『罪深き貴女へ…コレクション・ハウスへようこそ!』
チラシには、その文字しかなかった。
他のチラシに見られるような要素は一切無く、ただ、その一言だけであった。
「なによこれ?!」
チラシに目を落としていた久美子だったが、男に投げかけた言葉は、結局宙に浮いたままになった。再び顔を上げたときには、その男の姿は無かったのである。
「もうっ! 訳わかんないなぁ!」
腹立ち紛れにそのチラシをくしゃくしゃと丸め、久美子はそれを、道ばたに思いきり投げつけた。
そろそろ家に帰るかと、道を急ぎ始めるうちに、久美子はチラシの事など忘れてしまっていた。しかし、家までもう少しという所で、ふと、何か道の風景が違っているかのような印象を受けた。
「…?」
殆ど同じ道だが…良く見ると、前はコイン駐車場があった場所に、建物が出来ている。
西洋の田舎風の一軒家を思わせる造りで、窓にはステンドグラスが飾られている。全体としては美しいのだが、自分が今立っている辺りには、そぐわない風貌である。
喫茶店か何かだろうと思って、前を通り過ぎようとしたときである。扉の上に掲げられた看板の文字が目に入った。
『Correction House』
その文字が視野に入った瞬間、久美子は、はたりと足を止めてしまった。
妙に気になって、ふらふらと扉の方に歩いていく。
…建物の前までやってくると、異様な圧迫感を感じた。しかし、何故か気になる。窓のステンドグラスから中を窺おうとしたが、何も見えない。
(ぎぎぃぃ…)
木で出来ているようで、やけに重い扉を開け、中をのぞき込む。…真っ暗だ。
良く見ると、階段が下の方に伸びている。ひゅぅっ…と、冷たい風が下から通ってくる。
「・・・・・・・・」
(こつっ…こつっ…こつっ…)
引き寄せられるように、久美子は階段を一歩踏み出した。
長い。降りても降りても下の階にたどり着かない。振り向くと、入ってきた入り口の扉も既に見えない。都会の真ん中にこんな地下が…?
そんな疑問も、やがてけし飛ぶほど、その階段は長かった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
どのぐらい降りたか解らないが、とうとう疲れはてて段の途中に座り込んでしまった。
額に滲む汗を手で拭い、ふと、前を見たときである。
目の前に、扉があった。
(ごくり)
意を決してドアの取っ手を引き、久美子は中に入っていった。
入り口の扉と同じく、重い扉が音を立てて開いた。
…ぬるり、とした温かい空気が充満している。壁はレンガ、床は板張りらしい。
歩く度にギシギシと音がする。壁には幾本ものロウソクがあり、仄かな明かりを供している。しかし、数歩先までしか見えず、部屋の全体がどうなっているのかは解らない。が、かなり広いようではある。
どうなってするのか訝しんでいると、不意に、あの声がした。
『ようこそ…』
驚いて前を見ると、駅前で会った、黒ずくめの男が立っていた。
「あ…」
久美子が二の句を継ぐ前に、黒い男は慇懃な声で続けた。
「ようこそ、コレクション・ハウスへ。お待ちしておりました。早速、始めさせていただきたいと思います」
不思議と体の隅々まで響く様な声に、「何を?」の言葉が出てこなかった。
「では…」
黒い男は、パチン!と指を鳴らした。
すると今まで真っ暗だった部屋が急に明るくなった。
自分の前には、2,30人の男達が椅子に座っている。皆、きっちりとしたスーツを着込んではいるが、顔に亡霊のような仮面を付けていて、どんな顔なのか解らない。しかし、何よりも空恐ろしかったのは、『視線』を感じないことだった。確かに男達はそこにいる。だが、傍目に見ると人形…いや、蜃気楼か幻のような印象なのだ。
「では、これより、被告人久美子の裁判を執り行います。被告人、前へ」
黒い男が前の男達に向かって、同じように異様に通る声で言った。
(裁判? 被告人? 何これ?)
ぽかんと口を開けている久美子の両脇に、いつの間にか黒い男が二人現れ、腕をつかんでずるずると前へ引っ張っていく。凄い力だ。
殆ど抵抗らしきこともできず、久美子は男達が座っている前…ちょうど小さなステージほどの空間の中央に立たされた。
「では、これより被告人の罪状を読み上げます」
黒い男が、ひときわ高らかな声でそう言った。良く見ると、手には筒状に丸められた紙がある。しかも、何故か古めかしい。その紙が、ゆっくりと、かすかな音を立てて開かれる。男が読み上げる内容は、以下の通りであった。
『被告人・久美子の罪は以下の通り。一つ。度重なる、正当な理由無き、虚偽の欠勤。一つ。それに伴う、家族への欺瞞。一つ。同じく働く者達への、言われ無き蔑視。一つ。紙屑の不法投棄。…以上の罪により、被告人には、平手による尻叩き50回、パドルによる尻叩き50回、杖(ケイン)による尻叩き50回を申しつける』
「どなたか、御異議のある方は…?」
男は、紙に落としていた目を、ふと、前に戻した。
「異議なし!」
一斉に声が挙がる。しかし、その声には抑揚や、感情らしきものが無いように思われた。
「ちっ…ちょっと! 何言ってるのよ! 冗談じゃないわ! いきなり訳わかんないこと言わないでよ!どうして私がお尻なんて叩かれなけりゃならないの?! アタシが 何したって言うのよ? ズル休みも、親に嘘つくのも、ゴミを道に捨てるのも、みんなやってることじゃない! おかしなカッコして! アンタ達、狂ってるわ! この変態!!」
ようやく我に返った久美子は一気にまくしたて、きびすを返してそこから出ようとした。その時、彼女は一つの変化に気づいた。
…出口が、無くなっていた。
「えっ…?」
出口があったはずの壁を呆然と見つめる久美子の背中に、声が多い被さる。
「罪が又二つ…」
「罪悪感の欠如…そして」
「我々への言われ無き侮蔑…」
「罰を与えて、しかるべき…」
「罰を与えて、しかるべき…」
「罰を与えて、しかるべき…」
全く抑揚のない、芯まで冷たい群唱が、氷の矢のように背中に突き刺さる。
久美子は、壁に映る自分の影を見ながら、額に多量の冷や汗を感じていた。
気が付くと、また両脇に別の黒い男が二人現れ、両腕を抱えて久美子を強引に元いた場所に引っ張っていった。
再び視線を正面に戻したとき、群唱はピタリと止んだ。
「それでは」
何事もなかったかのように、進行役の黒い男が言い始めた。
「この罰の執行人を募ります。私の提示する始めの価値は、50からにさせていただきます」
「60」
「100」
「150」
…男達は口々に数字を口走っていく。どうやら競りのようだ。しかし、その単位が金銭なのか何なのか、久美子に考えることはできなかった。
「…300」
やがて上がったその声の後に、対抗する者はなかった。
「300。他に、ございませんか?」
「・・・・」
「では、決定とさせていただきます。どうぞ・・・・」
男の群の中から、一人、足音も立てずに前にやってくる。
「ベント・オーバー(折り曲げ)か、オーバー・ザ・ニー(膝乗せ)、どちらがよろしいですか?」
「…オーバー・ザ・ニー」
黒い男の質問に、これも抑揚のない声でぽつりと言う。
「わかりました。では…」
パチン、とまた指を鳴らすと、傍らに椅子が現れた。そして、競り落とした男がそこに座る。
「来なさい」
冷たく、有無を言わさぬ声で、男が言った。怯えるように従う。
「私の膝に、うつ伏せになるように、身を屈めなさい」
おそるおそる言うとおりにする。
…冷たい。男の膝から太股にかけて、久美子の躯が触れているはずなのに、男の躯からは体温を感じなかった。石のような…いや、もっと、死人のような感触だ。背筋を、空恐ろしさが走る。
「では、行くぞ。叩く度に数を数えなさい」
自分がどうなるのか、不安と恐怖で久美子には男の声が聞こえなかった。
「返事は?」
体の芯に突き刺さる様な冷たい一言が後頭部越しに降り注ぐ。
「はい…」
ぶるぶると小刻みに震えながら、消え入りそうな声で呟く。
「行くぞ。…一つ」
(ばふっ)
「き・・・・っ」
服の上から故、音は鈍いが痛さは同等だ。
「ひ…とつ・・・・」
奥からこみ上げる痛さに耐え、声を絞り出す。
「二つ」
(ばんっ)
「・・・・っ・・・ふた…つ・・・・」
通る音ならまだしも、どこか間の抜けた音が、その音を立てている当の久美子には、いっそ情けなかった。
いや、今現在、『尻を叩かれている』この事実が許せなかった。
久美子は子供の頃からしっかりした子供だった。悪く言えば、ませていた。大人の小言も巧く言いくるめ、あるいは有無を言わさぬ反論で、我を通してきた。そのうち、久美子の行動に口を挟む者は誰も居なくなり、遠巻きに、薄い笑みで囲むようになった。その時久美子は『勝った』と思った。自分は誰にも邪魔されない、自分が正しい。怒られるのはバカだ。そうして育ってきた。
その自分が、全く見知らぬ人間に、しかも大勢の前で、こんな情けない音を何度も立てて、尻を叩かれている。『子供』だ。
情けない! 情けない!!
定間隔で襲い来る痛みに歯を食いしばり、痛さと同時に悔し涙が床に落ちた。
「25」
「にっ…じゅう…ご・・・・・」
ようやく半分。しかし、そこで男は、はたと手を止めた。
「・・・・・・?」
(もう終わり? 50って言うのは嘘?)
久美子の甘い考えは、急に感覚が変わった下半身によって、脆くも打ち砕かれた。男は、無造作に彼女の尻をむき出しにしたのだ。
丸く形のいい尻は、赤く染まっている。
「なっ、なにすんの…ぎゃあっ!!」
(ぱぁん!!)
抗議の声を上げる間もなく、鋭い痛みが襲ってくる。
「26。…どうした。答えんのならもう一度だ。26」
(ぱぁん!)
「うぅあっ! …くっ…にじゅう・・・・ろ・・・・く…」
抗議の言葉も今の一撃で火花と散った。再び、今度は妙に澄んだ音と、悲鳴が、広い部屋の中にこだまし始めた。
「…40」
「…よ…ん・・・・・じゅう・・・・・・」
後10回。後10回だ…。真っ白になっていく頭の中で、久美子は念仏のように「あとどれだけ」を数えていた。
その方が、いくらか耐えることが出来る。長距離を走るのと同じだ、と、場違いなことも考えていた。そう、その後の他の器具による『罰』の事も忘れて。
「50」
「ごじゅう!」
思い切りの良い声で久美子は応えた。
終わった。やっと終わった・・・・・・。
ほっと息を付いていると、不意に尻に冷たい物を感じた。冷やしてくれるのかな?そんな期待をしていた事を、彼女は数瞬後に悔やんだ。
「ーーーーーっ…ご・・・・は・・・・っ」
ひゅんっ! と風を切った様な音の後のそれは、重く、固く、面積の大きいパドルでの一撃だった。瞼の裏に火花が散る。胃の中の物も衝撃で逆流するかのようだ。すっかり混乱しているところへ、あの声と、二撃目が来た。
「数えろ。もう一度初めからだ。一つ」
(ぱんっ!)
重く、乾いた音が響く。
「ぎっ…ひっ…い…ち・・・・・」
今まで全く想像し得なかった痛みに、絞り出すように応える。
・
・
・
膝が震える。口はだらしなく開き、涎が幾筋も糸を引いて床に滴っている。
その奥で、歯ががちがちと痙攣している。歯の根が合わない。鼻からは、水ばなが垂れている。虚ろになった目からは、あらん限りの涙が溢れ、化粧も何もぐしゃぐしゃにしている。
今や赤紫に内出血している尻は、感覚がないと言っても良い。しかし、一方で、迫り来るパドルが裂く空気の流れさえ解るほど敏感になっている。そして、涎の奥から「サンジュウハチ…ヨンジュウ…」と、譫言のように数を呟いていた。
そして、何故か久美子は、そんな自分がなぜかおかしくてたまらなくなっていた。
「50」
「あはっ…こじゅうっ! …あはは…おわったぁのぉ! おわったぁ! たぁの!!」
膝からごろりと転げ落ち、久美子は床にのたうち回りながら、自分の流した涎と涙にまみれ、何かに憑かれたように笑い出した。とにかく、何がおかしいのか解らないが、笑いがこみ上げてきて仕方なかった。
「おわりぃ! おわりぃぃっ! くすっ…うふっ…くひゃはははっ!」
しかし、その久美子の狂態を上から見ていた男は、ぱちんっと指を鳴らした。
そして、二人の黒い男がまた、久美子をかつぎ上げ、今度は壁に向かって立たせた。
久美子がもがくので、ちょうどうつ伏せに磔にするように手首を壁に押しつける。
・・・・・そして
(ぴしっ!)
「ぎゃんっ!!」
犬のような悲鳴を上げ、粘液まみれの狂った笑いが凍り付く。
音こそしないが、細いだけに衝撃が集中する器具、ケイン(杖)である。
「最後だ。数えろ。ひとつ」
(ぴしっ)
「ぎいっ! …いち・・・・」
痛さに身をよじっても、床にへたりこみたくても、壁に手首を固定されているためにそれもままならない。
(ぴしっ)
「ぐぅおろっ…に・・・・・」
喉の奥に溜まった涎が、奇妙な音を立てる。
(ぴしっ…ぴしっ…ぴしっ…)
内出血を起こした皮膚が裂け、血が滲み始めている。もう何も考えられない。
まるで魂が遊離して、自分を上から見ているようだ。なんて滑稽なんだろう。
なんて、おかしいんだろう・・・・・。
「30」
「いぎっ…ひはっ・・・・・さん…じゅう…うふ…うふふっ・・・・・きひっ! きひぃやはははっ!! あはっ! あばばぁーーーっ」
『何か』がはじけ飛び、久美子は束縛を振りほどかんばかりの力でもがき、前にも増して大声で笑い出した。
もう痛くない。だって、こんな汚い躯、私の物じゃないもの。そうよ、これは違う人の躯なのよ。
だから、痛く、ない。こんなの、私の、躯じゃ、ない。
信じられない力で暴れる久美子を、黒い男がそれ以上の力で壁に押しつける。
そして再び、(ぴしっ…ぴしっ…)と尻を打ち据える音に
「さはんじゅういちぃひひひっ・・・・にぃぃぃぃ…うぶふふふっっ…」
気が狂れたように、身をよじりながら応える女の姿があった。
・
・
遠くで聞こえた声。そして、
(びしっ!!)
最後の渾身の一撃が、稲妻のように久美子の躯を突き抜けた。
「ぴ・・・・・・・・・・」
白目を剥き、びくり、と躯が硬直する。
「懲罰終了」
耳の奥で聞こえた声と共に、手首の戒めはなくなり、久美子は糸の切れた操り人形のように、ぐしゃり…と崩れ落ちた。
・
・
完全に虚脱し、誰も居なくなった暗闇で一人『嗤う』久美子。
そして、虚ろな視界に、入ったときに通った階段と、その先の光が入った。出口?
「あ…あうあ・・・・」
力の入らない四肢を引きずり、彼女はずるずると這って階段を上り始めた。
「はぁ…はぁ…あ…あう・・・・?」
しかし、幾ら上っても光は近づいてこない。いや、むしろ遠ざかっている。
「あう! あうぐぉ!! えぐごぉぉぉっ!!」
どうして?! もう力が出ない。哀しみの涙を流し、彼女は叫んだ。そして、
暗闇から「あの声」が降り注ぐ。
「懲罰だ…」
「懲罰だ…」
「懲罰だ…」
流れた汗も、一気に引いて行くほどの恐怖。一番考えたくない『もしかして』が心に浮かぶ。
「あ…あ…あぁーーーーーーーっ!!」
恐怖と絶望の叫びが、暗闇にこだました……
・
・
「あぁーーーーーっ!」
目を開ける。自分の部屋。外を見る。
朝だ。・・・・・・夢?
涙でぐしゃぐしゃになった顔を手で拭い、起きあがろうとしたときだ。
「ぎひっ!」
尻に鋭い痛みが走った。
・・・・・・・・・・・・まさか・・・・
おそるおそる起きあがり、寝間着の尻をめくって、化粧台の鏡で見てみる。
「ひ・・・・・っ!!」
確かにそこには、赤黒い内出血と、ミミズ腫れの、自分の尻があった。それからの久美子が真面目になったかというと、そうでもない。あの建物があった道は、避けて通るようになった。そして、そこでの夜のことは、時と共に記憶の奥底に埋もれ、思い出すことも少なくなった。いや、自らが埋もれさせたのかも知れない。
相変わらずズル休みはするが、頻度は少なくなった。しかし、時々耳の奥でこんな声が聞こえるときがある。そんなときは、たとえ一時でも、真面目になろう、と自分に言い聞かせるのだ。
『コレクション・ハウスへようこそ!』