D's NEST

がちゃっ 2

「ちっくしょう……せっかくおいしい思いができると思ったのになあ……」
結局、さっきまでの生唾は、苦虫のエサにしかならなかった。僕は親の仇のようにその虫どもをかみ砕きながら、会社までの道を歩いていた。やれやれ、今日も無遅刻無欠勤記録更新だ……そう思った時だった。
「うん?」
前から、血相を変えた警官の一団が走ってきた。その緊迫感たるや、大量殺人犯でも追っているのかと思えるようだった。ご苦労さんだなあ……と思って見送ろうとしていると……

がちゃっ

「はあっ!?」
彼らは、一瞬にして僕を取り囲み、手首に、手錠を掛けた。そして、こう言った。
「公然ワイセツ拒否の容疑で、逮捕する!」
「…………え?」
普段聞き慣れてる罪名と、どこかが違う気がする。
きょとんとする僕に、警官は吐き捨てるように言った。
「公然ワイセツ拒否罪だ! この重罪を犯した自覚がないのか!? とにかく、事情は署で聞く! 来るんだ!」
「えっ?? えっ!? えぇーーーっ!!」
僕は無理矢理パトカーに乗せられ、連行されてしまった。
……かくして、僕の無遅刻無欠勤記録は、最悪の形で途切れてしまった。

ろくな取り調べもされないまま放り込まれた留置場の中。僕は何が何だか分からないままにうずくまっていた。
公然ワイセツ『拒否』。
そんな法律、いつ出来たんだ? 僕は毎日朝刊をチェックして、日々の出来事は、一通り知ってるつもりだぞ?
それから、通報したのは、今朝電車で見かけた、あの美人だったそうだ。それじゃあ何か? あの状態でセックスしろってのか? 抱き寄せるために歩み寄ることもできない、あのすし詰めの車内で! それとも、前に見たSMカップルみたいに、常に大人の玩具を携帯して、しかも念力か何かで飛ばせと言うのか? ムチャクチャにも程がある!
「僕だって、できるんだったらヤリたかったさぁぁーーーっ!」
あまりの理不尽さに、僕はコンクリートの壁に向かってゴンゴンと拳を叩き付けた。鍛えてるわけじゃないから、実は結構痛い。でも、納得のいかないいらだちが、僕になおもそうさせた。
「あっ……!」
僕は、慌てて姿勢を正した。警官が一人、廊下を歩いてきたからだ。
彼は、僕のいる独房の前で止まり……

がちゃっ

鍵を開けた。いったい、これから僕はどうなるんだろう……? ビクつく僕に、彼は帽子を取って言った。
「はあい、ボウヤ♪ 助けに来てあげたわよぉん☆」
「へ?」
見たところは、四十代半ばの青ヒゲの中年男性。でも、声やしぐさに妙なシナがある。いわゆる、オカマさんのようだった。オカマの警官が、僕を助けに来た? 僕はいっそうわけが分からずに、口をぽかんと開けていた。彼が言う。
「うぅんっ! ボンヤリしてる顔も可愛いんだからッ! ちょっといただいちゃおうかしら……」
「えっ……あ……うわあっ!?」
不意に、スーツのズボンに包まれた僕の尻が、もっこりと盛り上がった。中に感じるのは……ちょっと待って、これって……ペニス……!?!?
彼のガチガチに勃起した熱いペニスが、空間を超えて、僕の肛門に狙いを定め、今まさに進入しようとしている!
「まっ! まっ! ままままままままぁぁぁっ!!!!」
僕には、「待って!」という一言さえ言えなかった。
身体のパーツがどうして分離するのかという通常の疑問は、とりあえず吹っ飛んだ。貞操の危機。夜道で襲われる女性の気持ちが、垣間見えた気がした。
「な……ななな……ななななななななななななあぁぁ……」
もし、腰を抜かしてへたりこめば、その拍子にずぶっと入ってしまうかも知れない。もし、ズボンを脱いで確かめれば、彼は僕の股間にむしゃぶりつくかも知れない。どうすれば良いんだろう? 僕は、恥も外聞もない泣きべそ顔で、「何がどうなってるの?」というつもりの「な」を、限りなく繰り返していた。
「え……?」
ヤケクソで開き直ろうとしていたところに、尻の間のペニスが消えた。
「ふむ……やっぱりねえ……」
大きくうなずくオカマさん。一人で納得されても困る。僕は、回復しない言語機能の代わりに、きっ! と彼をにらんだ。
「ああ、ごめんなさいね。まさかとは思ってたんだけど、ほんとにいるとは思わなかったから……」
「だっ……だから、なにがどうなって……」
「詳しい話はとりあえず後ね。グズグズしてると、頭の固い方の警官が来ちゃうから。こっちへ来て」
「あたたっ……!?」
オカマさんは、僕の手を必要以上に強く握り、外へと引っ張っていった。

やってきたのは、公園の一角。あたりはすっかり夜だった。
「むっふっふぅ~♪」
茂みの一角で、オカマさんは僕に怪しげな視線を向けて、口元を釣り上げる。
「うげっ…………」
全身の肌が粟立つ。周囲に人気はない。もしいたとしても、ここだと誰も気づきそうにない。しまった!
「やっぱりボウヤ可愛いわねえ……顔見てるだけで、オチンチンボッキしちゃうわぁ……むふふ……」
「ひああっ!?」
そしてまたぞろ、もりっとふくれる僕のズボン。感じたくはないけど、ガチガチにそそり立ったペニスの先端が、僕の肛門に……
「いっ……いやだぁぁ……」
僕は、今度こそ芝生にへたり込んだ。勢いでずぶっと入るか……と思ったときだった。

がちゃっ

「!?」
かたわらに、濃いピンクのドアが現れた。
「来たわね」
オカマさんは不意に真剣な顔つきになり、僕の尻からペニスを消した。
ドアから出てきたのは、僕より少し上に見えるぐらいの女性だった。整った顔立ちで、肩ぐらいに切った髪は、緩くウェーブがかかっている。美人であることもそうだけど、何か、張りつめている雰囲気がした。オカマさんが言う。
「時間通りね」
「当たり前よ。このドアを使って遅刻するのは、わざとじゃなくって?」
「それもそうね。ウフッ……」
「……??」
親しげに話す二人。僕はわけが分からずに、それぞれの顔をくるくると見比べていた。そして今度は、女性の方が、僕を見下ろして言う。
「これが、例の人? 結構可愛いわね」
「でしょでしょでしょぉ?」
弾む声でオカマさんが言い、こっそりと「……良かったわね」と付け加えた。
「……そうね……」
女性が、どこへ向けるでもない笑みで、夜空を仰いだ。
「あの……?」
それはそうと、話の輪には入れないままだ。僕はおずおずとオカマさんに言った。
「ああ、ごめんなさいねボウヤ。詳しい話は、アタシ達の家でするわ」
「ひっ……!」

がちゃっ

ちょっと待て! そんなに軽々しくドアに……!?
僕は、抗議をするより先に、ごつい手に再びめいっぱい引かれて、ドアをくぐった。

そこは、広々とした応接間だった。高級ホテルの部屋を思わせる設備。緊張してしまうほどの内装だった。どうやら、間違えずに着いたらしい。最近、妙なところでついているなあ……。
キョロキョロと部屋を見渡す僕をちらりと一瞥してから、女性の方は、『後、よろしくね』と言って部屋を出ていった。後には、僕とオカマさんだけが残った。
「ミネラルウォーターでいい?」
「あ、おかまいなく……」
変にかしこまりながらミネラルウォーターをもらい、それを少しずつ飲みながら、僕は、彼からにわかに信じがたい真相を聞いた。

ここでは、男のペニスは思念で自在に外せるのが当たり前だというのだ。そして、欲情すればどこであろうと好みの相手を誘っていい。いやむしろ、誘いに乗らないと罪になるという。
「つまり、それって……」
「そう。ボウヤは、『どこでもドア』を使った拍子に、ボウヤの世界と限りなく似て非なるアタシ達の世界―パラレルワールドに迷い込んでしまったというわけね。いらっしゃい☆」
いかつい顔と体つきでしなを作ってウィンクされても、嬉しくもなんともない。げんなりする僕なんてまるで気にせずに、彼は続けて、「ボウヤを見込んで、頼みがあるの」と言った。