1.困惑
僕があの娘に会ったのは、学年が上がったクラス替えの時だ。
確かにその娘は可愛かったけど、その時は一目惚れとか、そんな感情は持たなかった。
僕自身特に取り柄のない人間だったし、それからも、アタックしてみようとか、全く思わなかった。
でも、なんだか僕にとって不思議な印象を持った娘だった。
僕にはそれが何か解らなかった。
そう、「あのこと」があるまでは……。
あれは、日差しが強くなり始め、そろそろ夏が来たんだな、と思わせる日だった。
その日、僕は朝から飲んだ牛乳のせいか、お腹の具合が悪かった。始業前にトイレに行っても収まらず、授業中もずっと腹痛を我慢していた。
やがて僕の我慢も限界になり、先生に頼んでトイレに行かせて貰ったのだ。
脂汗を浮かばせながら、トイレへ小刻みに急ぐ僕の視界に、一人の女の子が入った。
……それがあの娘だった。あの娘も授業中にトイレに立ったのだろうか。自分の便意を我慢するのに精いっぱいで、気づかなかったけれど。
彼女の足どりはおぼつかず、壁に手をつき、躯を預け、脚を引きずるように歩いていた。
僕には彼女がよほど具合が悪いように見え、自分の便意も一時忘れ、声を掛けようとした。『大丈夫?』と。
その時だった。僕は彼女の様子が少しおかしいことに気が付いた。
「くっ……はぁっ……ああっ……ん……っはっ……」
確かに苦しそうだが、何か違う。その声は……まるで……
『まさか……な』
クラスの悪友に見せて貰うような、下手なエロ本の記事まがいの妄想を慌てて打ち消し、自分も早くトイレに行こうと歩を進めるために、視界を廊下に移した時だった。
ふと、彼女の足下が目に入った。その足は……何かを消しながら歩いていた。
再び足元を良く見ると、彼女の脚には、きらきらと輝いて見える濡れた筋が幾本かと、スカートの中から、ぱたり……ぱたり……と、滴る雫。
そして、彼女は……その廊下に落ちた雫を、上履きで消しながら歩いていた。
『まさか、そんな!』
打ち消した妄想に近しい推測に呆然とする僕には初めから全く気づかず、彼女は女子トイレの中へ入っていった……。
その日は、それからずっと考え込んでしまった。
どうして彼女は、半分漏れるまで我慢していたんだろう。
いや、それよりも……
どうしてあんな、切なそうな顔をしていたんだろう?
そんなことが、ぐるぐると僕の頭の中を駆けめぐり、ふと、あのときの彼女の横顔が思い浮かんだ。苦しそうな、でも、我慢からの解放とは違う何かを待ち望んでいた様な、艶っぽい様な、でも、どこかに他人を受け入れない怖さがあるような……。
考えれば考えるほど、僕は、心臓の鼓動が早くなっていくのを感じた。
『どうしてこんな気持ちになるんだ?』
それすらも全く分からない。じりじりとした気持ちのまま……僕は、いつの間にか眠っていた。