カタブツ女教師と、侠気(おとこぎ)番長

お題でGO!
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ここは、ある高校の、二年D組のクラス内。
教室内には、ざっくりと四十人ほどの男女の生徒がいるのですが、四時間目を前に、どの生徒も揃って、とても憂鬱な顔をしていました。

「はぁっ……」
男子の誰かが、重い溜息を付きました。それはあっという間にクラス中に伝染し、ため息の混声合唱になりました。

「吉川(きっかわ)の授業だよ……。一番腹が減って、集中できねえ時に……」
また別の男子が、それはもう恨みがましそうに言いました。濁った目で壁の時間割を見ます。そこには、どこをどう見ても、次の四時間目に『英語』の文字があります。その男子が、再度ため息をつきます。

と、このように、あたかもこの世の終わりのような雰囲気に包まれている教室内ですが、まさか時間が止まるわけもありません。十分の休憩はすぐに終わり、問答無用でチャイムが鳴りました。

「さあ、授業を始めますよ!」
チャイムが鳴り終わるのと全く同じタイミングで、威勢よく教室の引き戸が開き、一人の女性教師が入ってきました。

見た目の年代は、二十代半ばほど。当然、本当の歳は、みんな知りません。身長は、平均的な女子よりちょっと高いぐらい。158~160センチあたりでしょう。

髪型は、やけに艶のある黒いセミロング。ビシバシに隙のない、体のラインが強調された服装。スカートなんか、どんな突風が吹いても絶対めくれないようなタイプの、鮮やかな真紅。体つきはメリハリがあって、特に貧相という印象はありません。スタイル面だけ見れば、セクシーと言えなくもないどころか、むしろそうです。

しかし、それら全ての長所らしきところをことごとく台無しにしているのが、その顔でした。

別に、ブスじゃないんです。目鼻口ともにお行儀のいい形で整っていて、むしろ、『黙っていれば』十分美人にカテゴライズされる面立ちです。でも、その女教師は、つねに何かに苛立っているような、あるいは怒っているような顔をしていて、トドメに、吊り目がちのフレームのメガネが、なおのこと目つきに迫力を加えていました。

彼女が入ってくるや、教室内に緊張が走ります。ほぼ全員が、息を殺して、ただ黙って、教科書とノートを広げ、彼女に意識を集中させます。

「教科書、77ページを開いて。今日は、5W1Hについて話します」
授業を始める彼女。ふと、その目が、教室の一番後ろに行きます。そこでは、学年で番を張っている、分かりやすく言えばガタイのいい不良君が、悠然とタバコを吸っていました。

顔は、ざっくりと表現すれば、ワイルド系とも言えるだろう、ちょっと強面ですが凛々しさもある雰囲気の男子です。そこらのチンピラもどきの、無駄に粋がったテンプレ的不良ではなく、いっぱしの男前が、信条と信念に基づいて傾(かぶ)いている。そんなタイプでした。

番長とは言うものの、別に暴力で同学年のクラスを全部支配しているわけではありません。むしろその逆で、どこかのクラスで揉め事が起きれば、まず彼が仲裁に入り、双方の言い分をよく聞いて見極めて、白黒をはっきりさせるのです。言わば、学校の治安を裏から支えている『必要悪』としての位置づけです。

そんな重荷を背負うわけですから、胆力や腕っぷしには、それ相応のものが求められます。そして、彼は、その条件をクリアし、この学校の総番長から、今の任を託されたのです。同時に、次の総番長は、この彼で間違いない、というのが、もっぱらの下馬評です。

実際、番長ではあるものの、その不良君、名前を藤沢樹(いつき)、と言います。彼は、裏でかなりモテます。しかし、どんな誘惑も頑として突っぱね、そこがまた『硬派だ』という評判になっているのですが。彼に、吉川先生が言います。

「藤沢君?」
「ンだよ、吉川センセイ?」
「自分が今、誰を相手に、何をしているか、自覚はあるかしら?」

クイッとメガネを上げつつ、アンド、キラリとレンズを光らせつつの、鋭い声でした。言葉のいちいちに、鋭いトゲが混じっていて、それが無駄に周囲の生徒にも、さながら流れ弾のように刺さるものですから、みんな、

「せめて今は自重しろ! 藤沢ァ!!」

と、痛切に思っておりました。

しかし、当の藤沢君は、

「ぜーんぶワカってるぜ? ま、オレのことは気にすんなよ。いつものこったろ?」

ぷっかぁ……! と、特大の煙を吐き、まさしくの『柳に風』状態でした。

今日こそ来る、今日こそ来る、来る、来る、来る!! 吉川の、特大のカミナリが! 嫌だ! とばっちりで精神力を削られたくない!

藤沢君を除くクラス一同は、ぎゅっと身を縮こまらせ、中には、耳をふさいでいるものもいました。

まあ、ここまでのやり取りで、おおむねお察し頂けるかと思うのですが、この吉川先生、下の名前は操(みさお)と言うのですが、彼女は『超』が付くほどのカタブツなのです。授業中でも、例えば誰かが教科書の朗読をどもるだけで、それは激しく怒ります。

当然、私語なんぞしようものなら、大音量の怒声の剣で、対象者を遠慮なく串刺しの刑に処した後、水の入ったバケツを両手に、廊下に立たされます。ちなみに、いかなる冗談も嘘も通じません。

毎回の宿題の量も多く、さらに難しいときたもんです。万一それを忘れた場合は、少し古いですが、文字通りの『倍返し』で追加の課題を出されるのです。

一事が万事そんな調子ですから、みんな、吉川先生の授業だけは、否が応でも真面目にならざるを得ないのでした。

と、話を藤沢君に戻しましょう。彼は吉川先生の鋭い視線を真正面から受けても、ひるむどころか、逆にニヤリと口元を吊り上げてみせました。

「あーっ! 藤沢の大バカヤロウ!! 火に油を注ぐな!!!」

どう見ても挑発的な藤沢君の態度に、他のクラス一同は、肝が冷えるどころか、液体窒素の中で瞬間冷凍されるような気分でした。しかし、

「……フン」
吉川先生は、それ以上何も言わず、鼻を一つ鳴らすと、黒板に向き直りました。

「……あれ? まただ??」

他のクラス一同が、不思議に思いまくる空気に包まれます。

そうなのです。厳格と融通の利かなさが服を着て歩いているような吉川先生なのに、校則違反の見本市状態の藤沢君には、いつもこの調子なのでした。今回が初めてではありません。毎度のことなのです。学校に伝わる七不思議のひとつなのですが、その真相を探り当てたものは、今まで誰もいません。

有力な説は、『さすがの吉川も、諦めたんだろう』というものです。実際、他の教師の授業でも、彼はこれみたいな態度ですし、先生たちも「いないもの」として話を進めるからです。

まあ、一番の不安は過ぎ去ったか、と、クラス一同は、ちょっと安堵しつつ、しかし、針のむしろに正座させられているような、体感時間のやたら長い、吉川先生の授業を聞くことにしました。いえ、聞かざるを得ないのですが。

「えー、例として、”Who knows?” という慣用句があります。これは、直訳すれば『誰が知っていますか?』という意味ですが、実際は『さあね?』という場合に使われます。このように、後ろのknowに、三単現の“s”が付きます。ここを……」

とうとうと授業を進める吉川先生の言葉が、ふと、途切れました。普通ではありえない状況に、クラス一同は、

「!?」

と、たいへん不吉な予感を覚えました。実際、この吉川先生という女性は、突然、まさしく発作のようにかんしゃくを起こして、喚き散らすことも珍しくないからです。それこそ誰が、無意味な八つ当たりの的になりたがるでしょう?

ですが、吉川先生が言葉を途切れさせたのには、別の理由がありました。それも、かなり切羽詰まった。

「(う、ううっ……! お、おトイレに、行きたいッ……!! ど、どうしてッ……!?)」

彼女は、内心で、己の生理現象が、大いに不可思議でした。なぜ今、こんな急激に、尿意が!? 彼女の頭が、神戸の理化学研究所にあるスーパーコンピューターの『富嶽』ばりにフル回転します。

思い当たることがあるとすれば、たった一つ。授業前、職員室の自分の机に置いてあった、飲みかけの冷めたコーヒーを、ぐっとあおっただけ。確かに、コーヒーには利尿作用がある。でも、こんなに早く!? しかも猛烈に!?

後にこの謎は、吉川先生に一方的に片思いをしている、現国教師の小山内が、どういう計画だったのか、彼女のコーヒーに利尿剤を盛ったことが原因だと判明します。でも、いかに彼女とて、そこまでは考えが及びませんし、今はどうでもいい話です。

「(ちょ、ちょっと待ちなさいッ!! TPOってものがあるでしょうッ!?)」

吉川先生は、懸命に自分を叱咤しました。どっこい、そんなことごときで、この尿意は収まってくれません。

「(待って! ま、ま、ま、まッ……!!)」

教壇に隠れて、彼女は、いかにもせわしなさげに内ももをすり合わせ、スカートの上から股間をぎゅうっと押さえ、ぎりりと歯ぎしりしました。

「ひ、ひえええッ!!」

その顔の険しさたるや、どう見ても憤怒のそれにしか見えず、クラス一同の肝を絶対零度まで冷やすほどでした。

「(ぐぐ、ぐぬ、ぐぬぬう……ッ!!)」
もはや、授業なんてやっていられません。ギュウウウッと股間を押さえる手に、力がこもります。彼女の膝は、カタカタと笑い始めていました。いきめばいきむだけ、逆効果でした。

今。今。今。今!
「ちょっと自習にします」
と言えば、おトイレに行けるッ! あ、でも、ちょっと待って! お、おトイレまでの距離は!? 私、歩けるの!? 分からない、やってみないと。無事にたどり着ける確率は……確率は……

そこまで考えて、彼女の顔から、一気に血の気が引きました。そうです。今、まさにこの瞬間にも漏れそうなのに、それなりの距離があるトイレまで、到底歩けない! 無理! 絶対無理!

「(ふぐッ……!! ぐお、くおあああああァッ!!)」
ですが、ここが、彼女のすごいところです。なんと、切迫した生理現象を、気合でねじ伏せてしまったのでした。

「はあッ、はッ、はひッ、ひ、ひ、ひぃ…………」
全力疾走した後のように、息を弾ませる彼女。はい。そんなの嘘でした。そぉんな生っちょろい精神論で、もう決壊待ったなしのこの尿意が収まれば、誰も苦労はしません。現実は非情なのです。

「(ど、ど、ど、ど、ど……!?)」
膀胱もそうですが、緊張で、彼女の心臓は張り裂けそうでした。粗相をするなど、つまり、漏らしてしまうなど、この吉川操、二十四年の人生において、後世までの汚点ッ……! 避けねば、それ、だ、け、はッ、さ、け、な……

「ひーふ、ひゅーふ、ふへ、ひは、へあ、あ、あわぁ、ちょ、ま、ふんぬぐむうううぅッ!!」
絶え絶えの息で、再度気合を入れる彼女。教室内の訝しむ空気も、もうとっくにどうでもいいです。意地と根性を総動員して、カウント9から立ち上がろうとする彼女でしたが、下手に力んだせいで、思いっきり自分の首を絞めました。

無理。ダメ。もう。もう。もう。もう。おトイレ。おしっこ。漏れる。ダメ。ダメ。絶対。でも。でも。限界。限界。臨界。ギリギリ。崖っぷち。そこを何とか。けど。無理。無理。むッ……ぐぎ、うぬ、うああああ……!! こ、ンのぉッ……!!

……彼女の脳内を、兵隊の一個大隊が、整然と列をなして行進していました。

ざっざむ ざっざむ ざっざむ ざっざむ。
ざっざむ ざっざむ ざっざむ ざっざむ。

征かせてはならないッ!! たとえ命を賭けてでもッ!! 私はッ!! この戦いに、勝たねば……なら、な、あ、いぃ……!

「ぎ、いき、ぎぐ、ぐがぬがああああああッッッ!!!!」

「!?」

さっきから、怪獣のように吠える吉川先生を見て、誰が不思議に思わないでしょうか?
「(は……はひ、ひ、いあ、ダメ、だ、め、よぉ……ッ!!)」
全力で歯ぎしりしているうちに、とうとう、涙がにじんできました。頭の中は、

「おしっこッ!! 漏れちゃうッ!! もうダメッ!! 限界ッ!!」

そりゃあもう、この四つの単語だけで、四百字詰め原稿用紙が何枚埋まるか? って話です。
彼女の頭の中の兵隊は、なおも整然と歩き続けます。

ざっざむ ざっざむ ざっざむ ざっざむ。
ざっざむ ざっざむ ざっざむ ざっざむ。
ざっざむ ざっざむ ざっざむ ざっざむ。
ざっざむ ざっざむ ざっざむ ざっざむ。

どこからか、声が聞こえてきました。

『全隊ー、止まれ!! 左向けー、左ッ!!』
「ふあ……」
彼女は、その幻聴に従って、股間を押さえるのをやめ、ゆらりと左、つまり、教室の引き戸の方を向きました。

再度の声。
『三歩ー、前へッ!』
「あへ……」
よち、よち、よち……と、すごい小股で、扉に向かって、三歩。

『総員、左向き、気をつけーッ!!』
「あ……」
彼女が、教壇の脇で、生徒一同の方を向きます。ズビシッ! と直立不動の姿勢。でも、膝がガクガクと笑っていました。

ああ、今、言えばいいんだ。
「少しだけ、自習していなさい」
って。

少なくとも、今この場で漏らすわけには……ッ!! 廊下に出れば、言い訳のしようもあるかも……ッ!! 震える唇で、彼女が息を吸いました。

「(吸(す)ゥ……)」
ところが、幻聴がまたまた聞こえてきました。
『総員、休めッ!!』

休め? 休め、ですって?
今、休んだ、ら……ッ……!

「…………ぁ……ッ…………」
それは、マイクロ秒単位のことでした。まばたき未満の刹那、彼女は気を緩めてしまいました。そしてそれが、『終わりの始まり』でした。

ぷつん、と、彼女の中で『何か』が切れました。次の、瞬間。

ぶっしゃあぁあぁあぁあぁーーーーーーーーッッッ!!!

まさしく怒涛の勢いで、彼女の股間からおしっこが吹き出ました。そりゃあもう、
『クジラか!?』
と突っ込みたくなるほどの勢いで。

じゅぉおぉおぉおぉーーーーーーッッッ……

「あへ……あへあ……出ちゃっ、た……出るの……いっぱい出るの……止まら、ないのぉ……」

彼女は、うわ言のようにぶつぶつ言いながら、直立不動のまま、なおもおしっこを漏らし続けました。瞬く間にスカートがツートンカラーになり、ストッキングを濡らし、足元のヒールを濡らし、床に水たまりを作っていきます。

じょばばばばばばぁーーーーーーッッッ……

「はっ……はぁっ……はへ……えへ、えへぁ、へはははは……」

おしっこをだだ漏れにしながら、その、恍惚とも茫然自失とも言える顔の口の端からは、つう、とよだれまで垂れていました。

じょろ……じょろじょろ……ぴちょ……ん……

長い長い時間をかけて、彼女のおしっこが終わりました。下半身はずぶ濡れ。足元には大きな大きな水たまり。

「は、はあ、あ、あぁ、あ、あ……」

大変な、彼女自身、初めて体験する快感でした。エサを求めて必死に口を開けるひな鳥のように、ぼう然と空(くう)を仰いで、途方もない余韻に浸っていました。

それはそうでしょう。理性や根性ではどうにもならない原始的な生理現象を、鋼の意志で抑えつけ、ややもすれば精神が崩壊するほどまで辛抱したんです。

そんな抗えない欲求を、要は極限まで増大させてから、場所と形はどうあれ、解放した。気持ちよくて当たり前の話です。ある意味では、作者も羨ましいと思います。

茫漠とした意識の中で、彼女は思っていました。ああ、終わった。何もかも。全て。私の人生、詰んだ……。

あまりに現実離れした光景に、生徒一同は、ぽかあんと口を開けて、『小便小僧』ならぬ『小便女』に成り果ててしまった、吉川先生を見ていました。

むごいのは、ここからでした。誰かが、
「ぷっ……!!」
と、吹き出しました。

「あはッ!! あはははははははははッ!!」
それを引き金に、クラス全員、いえ、正確には一人を除いての、大爆笑の渦。
そりゃあそうでしょう、『あの』吉川が、こんな無様な醜態を、目の前で晒すなんて!!
これを笑わずして、どうしろって!? しばらく、あからさまな侮蔑の笑いが、教室内を席巻しました。

「……あへ……あは……はは……」
吉川先生は、どこでもない天井に視線を投げっぱなし、弛緩しきっただらしない顔で、なおも茫然自失でした。

痛快の極み、といった笑いに包まれるクラス内。……誰も気づきませんでした。嘲笑の渦の中、たった一人笑っていない、タバコを吸っていた藤沢君。彼が、震える手で、吸い殻をコーヒーの空き缶にもみ消し、そのスチールを、ぐしゃりと片手でたやすく握り潰したのを。その顔は、怒りに燃えていました。

そして、やにわに立ち上がったかと思うと、教室中を震わせるほどの、凄まじい大声で言いました。いえ、一喝しました。

「オイ、貴様らッッッ!!! 笑ってンじゃねえッッッ!!!!」

彼は、鬼の形相でした。あれだけ騒がしかった教室内が、水を打ったように静まり返ります。藤沢君が、のしのしと、一番最初に吹き出した男子の席へ行き、そいつの胸ぐらを掴みました。

「テメェが発端だったな、ぁあ!?」
「がはあっ!!」
問答無用で、その男子の横っ面をぶん殴る藤沢君。派手な音を立て、机や椅子が倒れます。そして、ゆらあっと周囲を見渡し、地獄の底から響くような声で言いました。

「アイツを笑う奴ァ……オレが……許さねえ……ッ……!!」
そして彼は、クラスの他の男子全員を、一人ずつ全力で殴り倒してノックアウトさせました。

ちなみに彼は、女は決して殴りません。その代わり、
「テメーも、アイツを笑ったよなぁッ!?」
「ひ、ひいいいッ!!!」
ギヌロッ!! とした、地獄の鬼もかくや、と言わんばかりのものすごい怒りの眼力に睨まれて、まともでいられる女子なんて、一人もいませんでした。軽くてチビるか、大半は、吉川先生同様、その場に腰を抜かしてへたり込み、じょばあーっ、と、盛大に失禁していました。

やがて、教室内に、動くものは誰もいなくなりました。鬼と化した藤沢君と、魂が抜けたように立ち尽くす、吉川先生以外。まさしくの死屍累々でした。

「ふー……」
長めの息を吐いて、緊張を解いた藤沢君が、吉川先生に歩み寄ります。
「おい、先生! しっかりしろ、おい!」
ぺちぺちと頬を叩いてみるのですが、彼女は、
「へは……あは……あはは……」
もう、完全に頭のネジが数本ぶっ飛んだ状態で、棒立ちのままでした。

「~~~っ、はあ、やれやれ。手間のかかる奴だ……」
藤沢君は、おもむろに、吉川先生のこめかみに水平チョップを見舞い、脳しんとうで気絶させました。積み木が土台から崩れるように、ぐしゃり……と、彼女が、おしっこの水たまりに崩れ落ちます。
「いっちょ上がり、と。さあて……」
藤沢君は、軽い様子で吉川先生を背負い、保健室へと向かいました。

そして、保健室。幸いなことに、誰もいませんでした。とりあえず、ベッドに吉川先生を横たえます。
「おっと!」
そこで、藤沢君が、何かを思い出したようでした。まだ気絶している、吉川先生に言います。
「ちょっと待ってなよ、すまねえ!」
そして彼は、急いで教室に引き返しました。取りに行ったのは、自分のジャージです。着替えさせないといけませんからね。
程なく、再度の保健室。藤沢君は、いかにも手慣れた感じで、彼女の服を脱がせていきました。

ずぶ濡れの下半身を一つずつ脱がせていって、濡れた身体を丁寧にタオルで拭きつつ、ぐしゃぐしゃのショーツをずらして、おしっこの露が光る陰毛に覆われたおまんこがコンニチハした時は、さすがに一瞬だけ手が止まりましたが、それにしたってわずかでした。

「い、意外とムズいな?」
脱がせた後は、ジャージを着せねばならないのですが、なにせ本人がまだ気絶しているので、彼の作業は難航しました。

「ふうっ……」
しかし、奮闘の結果、藤沢君は、先生の着替えを終わらせました。ジャージは彼のものなので、多少のぶかぶか感はありますが、他に手段はありませんでした。

「…………」
ベッドの傍らに椅子を引き、藤沢君が座ります。心配げに、吉川先生の顔を覗き込みます。そこで、思い出したように、彼は彼女のメガネを外しました。実はこれ、度の入っていない伊達メガネだったりするのです。現れたのは、ただの、可愛い一人の女性でした。そのメガネは、畳んで彼女の枕元に置きます。

時間にして、一時間と少し程でしょうか?
「……ん……んん……」
ベッドの彼女が、わずかに身じろぎしました。少しして、うっすらと目が開きます。
「よう。気がついたか? 操先生」
藤沢君は、他の誰にも見せたことのない優しい笑みを、彼女に向けました。
「樹、君……」
彼女は、まず、ジャージを着ている自分の姿を認識し、次に彼の顔を認めるや、ぽつりとその名前を呼び、ぼろぼろと涙を溢れさせました。

「ぐずっ……あり、がと……。けど、私……私ぃ……もう、おしまいよぉ……!」
自分のしでかした失態を思い出してか、絶望の淵で悲嘆に暮れる彼女でした。彼は、軽いため息で言いました。
「だからよぉ、意地ンなる気持ちは分からんでもないが、天秤にかけるまでもねぇこと、ってのがあるだろ?」
「……うぐ、ごめんなさい……」
しゅんとなる、操先生。いつもこんな調子でした。樹君は、人の心の機微を読むのにたいへん長けていて、先生の考えていることなんか、たいていお見通しなのです。

次に彼は、安心させるように言いました。
「操先生を笑った奴は、全員オレが叩きのめしてやったよ。もう気にすんな」
「えぐっ……そんな問題じゃ、ないわよぅ……せっかくコツコツ積み重ねた、私のイメージが……一瞬で、ふいに……」
めそめそと泣くさまは、普段のカタブツな彼女ではありません。そうです。この、か弱くて頑張り屋なのが、本来の姿なのです。それを『ナメられまい』と思うあまり、自分で自分のキャラをガチガチに作ってしまった。それが真実でした。

でも、その『カタブツキャラ』は崩壊してしまいました。恋人である樹君と二人きりの今しか、弱音は吐けませんでした。彼が言います。

「分かった。いっちょオレが、今後も操先生を笑う奴がいたら、問答無用でぶっ飛ばしてやるって、クラスで宣言してきてやるよ」

そして、彼がおもむろに椅子から立ち上がった時です。操先生が、どこか不満そうに、少し口をとがらせました。

「……ねえ、キスの一つぐらいしなさいよ……してよ……」
羞恥とは違う意味で、顔を真っ赤にして言う彼女。樹君は、そんな恋人がとても可愛くて、でも、素直にそうは言わず、
「ちぇっ、しゃーねぇなぁ……」
軽い悪態をつきつつ、でも真面目な顔で、座り直して操先生を抱きしめ、唇を重ねました。

「んっ……んんぅっ、ふむ……んちゅ、くぅん……」
仔犬のように、鼻を鳴らしながら、キスに没頭する操先生。口の中で、少し舌が絡み合います。
「ぷはぁっ……。もうっ、相変わらず、タバコ臭いわね。いい加減やめればいいのに……」
「ふふふっ、操先生だって、すンげぇ女臭いぜ?」
「あん、だぁーって、女だもんっ……♪」
操先生はいたずらっぽく笑い、今度は自分から、樹君を求めました。
「ちゅう……んむ、くふぅん……んーふ、んんーふ、ふっ、ふうっ、あむっ、んぢゅ……」
口の中で互いの舌をケンカさせつつの、よだれさえ溢れる、深いキスがしばらく続きました。
「~~~ッ、ぷあはあっ……ふはあっ、あ、あぁ、あー……」
幸せそうにうっとりとしている、操先生。樹君は、「ちょっとやりすぎたかな?」とは思ったものの、別に反省はしませんでした。今度こそ、椅子から立ち上がります。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるよ。操先生も、今日はもう、早退しな?」
「う、うん。そうする。あ、あのっ、樹、君? 鍵……持ってるわよね?」
「ああ、当然だけど?」

操先生の言う『鍵』とは、まあ察しが付くかも知れませんが、彼女の家の合鍵のことです。彼女が続けます。
「こ、今晩っ! う、うちに来てっ! 必ずっ! わっ、私っ、樹君に、お礼、しなきゃ! お願い、させて! え、えっと、晩御飯作ってあげるから、一緒に食べたり、一緒にお風呂入ったり、その後は、その、い、一緒にぃ……」
もぞもぞと言葉をフェードアウトさせ、耳まで赤くなってうつむく操先生でした。そのあまりの愛らしさに、樹君は、ちょっと半分勃起さえしました。
「分かったよ。オレも、操先生のお礼、楽しみにしてっから。またな?」
背を向ける樹君。そこへ、操先生が、言葉を投げます。
「いっ、樹君っ!」
少し、彼が立ち止まります。ただ、彼女の方は向きません。でも、彼女は言いました。
「ほ、本当に、ありがとう……。大好き、よ……」
その言葉に、樹君は軽く肩越しに振り返り、笑顔で答えました。
「オレも大好きだぜ、操先生」
それだけ言うと、樹君は、保健室を出て行きました。
「あは……」
操先生は、嬉しくて幸せでたまらなくて、かあっと体が火照るのを抑えられませんでした。そして、保健室に誰もいないのをいいことに、声を殺して、かつ、恋人の匂いが染み付いたジャージをくんかくんかしながら、思いっきりオナニーをしました。

その日の夜。約束通りに家に来てくれた樹君に、操先生は、全身全霊で『お礼』をしてあげました。さすがの樹君も、その積極的な態度に、少し怯むほどでしたとさ。

その後のお話。操先生は伊達メガネを外し、服装もキツキツなものはやめました。ついでに、メイクもナチュラル系に変えました。

樹君の恫喝が効いたのか、もう、彼女を笑うものはいませんでした。彼女は、素のままの状態で、肩に力を入れずに、自然に生徒たちと向き合うようになりました。彼女の評価はがらりと変わり、『基本は優しいけど、締めるべきところは締める』といういい印象が定着するのに、それほどの時間はかかりませんでした。

余談ですが、コーヒーに一服盛って、彼女に失態を犯させた、現国教師の小山内。彼は徹底的に樹君の怒りの制裁を受け、程なくして、退職することになります。

「ふうー……」
樹君は、その日も、本当に美味そうに教室でタバコをふかし、紫煙を、ふうわりと窓の外に吐き出しました。操先生の、呆れた声。
「いつ……藤沢君? だからタバコはダメって言ってるでしょ?」
「はいよー」
とか言いつつ、樹君はタバコを消しませんでした。

彼が、窓から少し、天を仰ぎました。
空は、まったく良く晴れていて、その青空の中を、ひらひらとモンシロチョウが飛んでいました。

おしまい。

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