ぽかぽか~立ちション講座・休憩時間 その2

光かがやく天使のしずく
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「(……お?)」

と、そんな、更にオブラートを重ねてしまったような視界に、人影がうつった。ベンチに横たわる、ちんまりとした体。膝までで折り返したようなジーパンに、Tシャツ。その上半身は、小さいながらも、柔らかな曲線を描いていて……なんて、くどくどと述べるまでもない。ゆーきだ。

公園に入り、そのベンチに近づく。すぐそばまで行っても、気配には全く気づく風もなく、
「くぅー……すぅぅ…………」
安らかそのものの寝息を立てている。……可愛い。
「よ……っと……」
俺も、その隣に腰掛ける。……うーん、この位置関係だとやっぱ……
「……よいしょ」
俺は、ゆーきの頭を持ち、自分の膝の上に乗せてやった。 うん。しっくりくる。
なんて言ってみるが、結局、膝枕やりたかったんだよ、俺。
「……ふぇぁ……?」
頭の位置が変わったことに気づいたのか、ゆーきが俺の膝の上で、薄目を開けた。
「よぅ」
目線の先に、にっこりとした俺の顔を見て、
「あー……じゅんいちさん……らぁ……」
細めた目で微笑んだかと思うと、
「すぅー……すぅー……」
再び目を閉じ、寝息を立て始めた。ふふっ、夢の続きでも見ているような顔だったぜ。何の夢を見てるんだろう。俺の夢でも見てんのかな?
って、何を恥ずかしいこと言ってるんだか、俺……。

(さぁっ……)

再び、爽やかな一陣の風。
木々の緑を揺らし、透明な音を生む。
その音は耳から入り、体を流れるひとときの清流と化し、体を内から涼ませる。つまりは、とても、心地よい。

日差しは相変わらず暑い。しかし、夏も半ばを過ぎたためか、その角度は幾分、傾いてきたようだ。見上げれば、これが最期と、蒼い土俵に関取よろしく、空に踏ん張る入道雲。そいつが、さらに程良く日差しを遮る。
汗を拭いゆく爽やかな風と、暖かな太陽。それはまるで、穏やかな春の日のようだった。

「んー……むにゃ……くぅー…………」
ゆーきは相変わらず、俺の膝の上―厳密に言えば、太股の上だ。ところで、何でこの姿勢を「膝」枕と言うのだろう―で、幸せそうな寝顔を見せている。

夜が怖い反動なのか、ゆーきは、真っ昼間の太陽が大好きだ。毎日俺を送り出した後、家でごろごろすると言うことは、まずないそうだ。大抵、こうやって散歩をして、たっぷり日に当たるか、天気が悪くてあまり出歩けないときは、図書館に行って本を読んでいる……とのことだった。

太陽の光を浴びていると、生きてると言うことが実感できる。たくさんの物に触れて、たくさんのことを知りたい。
……傍目には陳腐な台詞でも、ゆーきにとっては、そう、『十七歳という形で生を受けたが、まだ実際は一歳にもなっていない』彼女にとっては、重い、重い言葉なのだ。
彼女を見た人は、『全てが楽しそう』という印象を受けるだろう。それは、大げさな言い方になるが、『生きている』と言うことを、彼女は貪欲に思えるほど、精一杯楽しんでいるからだ。だから、色々なことに流されて、そのことを忘れがちな周りの人たちには、彼女がとても眩しく見える。
俺は、そんな彼女を一人占めしているわけだから、ひょっとしなくても、これは大変な幸せなんだろう。

(さわ……さわさわ……)

何度目かの、そよ風。気がつけば、俺の頭痛はいつの間にか消えていた。頭痛の種というのは、実は直射日光に弱くて、夏のそれに耐えきれず死滅してしまったのではないか。あるいは、右の耳から入ったそよ風が、体を巡って、溜まっていたよどんだ空気を、左の耳から出してくれたんじゃないか。そんな気分だった。

穏やかな気分だ。ゆっくりと思考は止まり、まどろみに似た気分がやってくる。俺は、光をたっぷり吸って、暖かく柔らかなゆーきの髪を撫でながら、うとうとと、ゆっくり流れる時間をかみしめていた。

「ん……うーん……」

(もぞもぞ……)

ふと、ゆーきが身じろいだ。座りが悪そうに頭を振り……

(ぽふっ)

顔を埋めた先は……その先は……俺の、股間だった。
「すうぅー……ふうぅー……」
熱い吐息が、ズボン越しに分かる。明らかに異質な、生暖かい吐息。気持ち良いかも……っておい! 真っ昼間から何考えてんだ、俺! せっかく爽やかな気分になったってのによ! そうだ、とにかく、元に戻さねば。このままだと息苦しいだろう……後半部分の言い訳を自分でとってつけて、ゆーきの顔の向きを元に戻す。ふぅ……。
しかし、それから程なく、
「んん……うー……」

(ぽふっ)

ふたたび、股間に埋まる顔。
「…………うっ……よいしょ……と」
無言で、元に戻す。……わざとやってるんじゃないだろうな……。

(ぽふっ……ぐりぐり……ふぅー……ふぅぅー……)

やっぱりそうだ。寝ぼけてこんな……こんな……股間に顔をねじ込んで、思いっきり息を吹き付けるようなことはするわけがない。くそう、余計に気持ち良いじゃないか。

三度顔の向きを戻す時、その顔を俺の正面に向けさせた。
「…………」
「…………」
しばしのにらめっこ。やはり、閉じた目が笑っている。俺は、

(ぺちっ)

ゆーきのおでこを軽くはたいた。
「真っ昼間から、俺をその気にさせるようなことをするんじゃない!」
「えへへっ……ふぁーい……」
「……ったく……」

「ん……むにゃ……くぅー……くぅー……」
それから再び、ゆーきは本当に眠ってしまったようだった。その顔を見ていた俺にも、忘れていたまどろみが襲いかかる。ポカポカとした日差しの毛布を、俺は、ゆっくり、かぶって、いった…………。



「うぅ……ん……」
俺は、うっすらと目を開けた。どのぐらい眠っただろう? 日はまだ明るいが、光の角度は、さらに傾いている。時計を見た。……うわっ、二時間も寝てたのか。膝の上のゆーきは……まだ寝てる。そんなに膝枕って、寝心地良いのかな? 今度やって貰おうかな……。ま、もうしばらく寝かせとくか。こいつの寝顔、やっぱり可愛いからな。俺は再び、そのふわふわとした髪を撫でた。

そんなことを考えながら、ふと、周りを見渡した。何気なく見やった先、公園前の道に、見覚えのある顔があった。
田中だ。あいつ、この辺に住んでたのか?
え? 同僚の住所も知らないのか、って? 普通そんなもんだと思うぞ。学生よろしく、一緒に帰る事なんてまず無いし、普段の雑談でも、住んでる家の話をすることなんて無いからな。となると、社員名簿を引っ張り出す事なんて、年賀状を書くときぐらいの物だ。仕事上和やかに仲良くやってても、案外、同僚同士で知らないことってな、多いもんだ。

さておき、俺は一つ気づいた。待てよ。こんな時間に見かけるなんて変じゃないか? 改めて時計を見る。やっぱりまだ、定時にすらなってない。ってことは、あいつも早退したのかな?
「おーい! 田中ぁ!」
俺は、寝ているゆーきを起こさないように、できるだけ小さくまとめた声を、遠くへ投げた。
すると、うまい具合に声がぶつかってくれたのか、田中もこちらを振り向いた。さらに判りやすいように、少し手を振る。

「こんな所でどうしたの、友部さん? もう、頭は大丈夫なの?」
「(うっ……)」
俺は田中の顔を見て、息をのんだ。そばまで来て見る彼の顔は……明らかに悪い。どんより青ざめた顔、眉間に刻まれた縦じわ。にじんでいる汗は、暑さのためのそれじゃなくて、脂汗じゃないのか?

俺の脳裏に、田中の引き出しの中にあった、薬類が思い起こされる。薬でも抑えきれなかったって訳か。んな状態で、早退した同僚を見つけての第一声が、この場所にいる事への疑問や皮肉じゃなくて、心配の台詞だとは……。疑うことを知らんと言うのか、なんなのか……。ともあれ、俺はその問いに答えて言った。
「ああ。田中に貰った薬が効いたぜ。それで、何かひなたぼっこがしたくなってな。座って休んでたら、いつの間にか眠ってた」
「ふふっ、なるほど。そうだね、僕たち内勤だから、外の光を直接浴びることもないもんね。どう? すっきりした?」
「あ……あぁ。おかげさんでな」
こいつの、言っちゃ悪いが、すっきりとはかけ離れた顔を見ると、元気良く応えるのがはばかられる。
「隣、いい?」
「ああ」
「ふぅー……」
軽いため息―だが、さっきの俺よりも数倍重く、湿っている―を吐きながら俺の隣に座る田中。
そして、ちらりと、俺の膝の上のゆーきを見て訊いてきた。
「ところで友部さん。その娘……妹さん?」
「あ? 違う違う」
「じゃあ、従妹?」
「はずれ」
「近所の子」
「俺は人さらいか!」
「じゃあ……まさか……彼女?」
「正解! まさか、は余計だがな」
「ははっ、ごめん。へぇ……かわいい娘だね」
「ま、な」
俺は、ゆーきの髪を撫でながら、ちょっと得意げに鼻を鳴らした。

「いいなぁ……」
その寝顔を微笑ましそうに眺めていた田中が、不意に、そんなことを言った。
「いいなぁ……って、田中、誰ともつきあってないのか?」
「うん……。女の子としゃべるの、ちょっと苦手なんだ」
……そう言えば、同僚の女の子とも、ほとんど喋らないな、こいつ。女の子に話しかけられるとギクシャクしていた姿が、思い起こされる。だからといって、雰囲気が近寄りがたいとか、そういうことはない。むしろ社内の人気は高い。それに、世事にうといワケでもない。単に不器用なんだろう。

「一人暮らし、だよな?」
「うん」
「学生時代の仲間とかは?」
「みんな忙しいだろうから、電話するの、悪いような気がして……」
そんなとこまで気を遣ってるのか? 俺には信じられない。
しかし、なんてこった。それじゃあ、まるっきり一人じゃないか。何かあっても、吐き出す口がない。全てを自分に溜め込んでしまってるんだ。そりゃあ、胃も痛くなるぜ。でも、一人でがんばってるように見えても、限界っぽいのは、本人も気づいてるんだろう。だから、『いいなぁ』なんて言葉が出たんだな。ホントに不器用と言おうか、何と言おうか……。
よおし、ここは……
「なぁ、田中。今度、俺と、飲みに行かないか?」
「えっ?」
「行こうぜ。なんなら、こいつも連れてさ。完全にプライベートでさ」
ゆーきに視線を落としながら、俺は言った。
「話そうぜ、もっと。酔って、酔って、ぶちまけて、スッキリしようじゃねえか!」
「…………」
「それに、こいつ……『ゆーき』ってんだけどな。ゆーきの飲みっぷりと喰いっぷりは、おもしれーぞ!」
「うん……」
まだ煮え切らなそうな田中を待たずに、俺は言った。
「よし! 決定! 詳しくは、今度会社ででも決めようぜ」
「ふふっ……そうだね……」

「…………」
「…………」
それからふと、無言の時が流れた。気まずい、と言うわけでもないのだが、何となく、重い空気だった。
さわさわとした、少し冷たくなりはじめた風が、それぞれの髪をとかす。
「友部さんがうらやましいな……」
突然、田中がそんなことを言った。
「何だよ? 突然に……」
唐突な言葉に目を丸くする俺に構わず、田中は続けた。
「僕は友部さんがうらやましいよ。だって、友部さん、社内でもすごく自由に見える。我を通してるって言うか……のびのびして見えるんだ」
「おいおい、そりゃ買いかぶりだよ。俺は、単にわがままなだけさ。ギクシャクしたのは、好きじゃないからな」
思いがけない台詞に照れながら返す俺に、
「そこだよ。わがままを通せるってことが、凄いんだよ。それに、そんな中でも、礼儀は欠かさないでしょ? 電話応対とか、凄く評判良いし」
なおのこと力強く言う田中。
「ははっ、単に声がデカいだけってかもしれないぜ? ま、どっちみち、好き勝手にやるのと、周りへの礼を欠くのとは、別問題だけどな」
無礼なことは嫌いだからな。気にくわないと思うことと、目上への敬意を―たとえ奥底では違ってるとしても―欠くというのは、別のことだ。
「うらやましいよ。本当に……」
「んじゃ、見習ってくれるか?」
「ふふっ、そうだね。そう、したいよ」
そう言って、田中は、少しぎこちない笑みを浮かべたのだった。

「もう、帰るよ。ちょっと、眠くなってきちゃった」
「ああ。つまんねー話で引き留めて悪かったな」
「いや、とんでもないよ。……不思議だね。その娘、ゆーきちゃんだっけ? 彼女の寝顔見てたら、すごく、気分が落ち着いて、僕も少しすっきりしたよ」
ゆーきの寝顔―しかし、ホントによく寝るなこいつ―を少し見やり、田中は微笑んで言った。
「じゃ……」
そう言って、立ち上がる彼。俺はその背中に、あえて軽く言った。
「体調が悪いのに、ほんとにすまなかった。でも、もっと話そうってのは、本当だぜ。……仕事仲間としての接し方じゃないのかもしれないが、俺でよけりゃ聞いてやるから、酒でも飲んで、いっぺん腹ン中、ぶちまけようぜ」
「……うん。ありがとう、友部さん」
もう一度振り返り、その一言を言ってから、田中は去っていった。
「はぁー……」
言っちゃ何だが、疲れる生き方してる奴もいるもんだ……。
「(ま、俺もそうだったんだけどな……そっくりだぜ、昔の俺と……)」
背もたれに体を預け、空を見上げる。
薄い赤紫から、朱に落ちていこうとする空。
その空に視線を溶かしながら、俺は気の抜けた笑みを浮かべた。

「うーん……むにゃ……」
と、そこへ、ゆーきが大きく身じろぐ感覚があった。うっすらと目が開いていく。ようやく起きやがったな。
「お目覚めか? ねぼすけ姫」
あきれたような声で言う俺に、
「うーん。じゅんいちさん、おはやぁ……ふあ……」
これ以上ないぐらいの寝起き顔で、ふわふわと言うゆーき。が、次の瞬間、暮れかけている陽に気づいたのか、びっくりしたように目を見開いて、大声をあげた。
「ああーーっ! ボク、晩ごはんの用意、忘れてた! ごめんなさい! 潤一さぁん……」
泣きそうな顔をしているゆーきの頭に、俺は、ぽんっと手を乗せて言った。
「いいさ。たまにゃ、外で喰おうぜ」
俺の顔が怒ってない―今日でなくても、俺はそんなことでは怒らない―ことに気づいたゆーきは、
「うん!」
とたんに、にっこり笑ってうなずいた。いつ見ても、表情がころころ変わるやつだ。見てて楽しいけどな。



それから一旦家へ帰り、ラフな服に着替えてから、近所のファミリーレストランへ行くことにした。
「今日は嬉しいことが三つあったよ!」
ゆーきが、ニコニコして俺に言う。
「三つ?」
「うん! 一つ目は、潤一さんが早く帰ってきてくれたこと。二つ目は、潤一さんとお昼寝できたこと。三つ目は、外で一緒にご飯が食べられること!」
「ふふっ、嬉しいこといってくれるな」
照れ隠しも込めて、ゆーきの頭をぐりぐりと撫でる俺。
だからといって、『じゃあこれから毎日そうしてやるぜ!』とは、言えないのが残念だがな。

「それにしても、よく寝てたな、ゆーき」
少し驚いて聞く俺に、
「えへへ……あんまり気持ちよかったから……」
恥ずかしそうに照れて返すゆーき。その顔を見て、俺はちょっとイジワルしてみたくなった。
「そんなに寝溜めしたら、夜、眠れないだろう? それとも何かな? 今晩、眠れないことをして欲しいのかな?」
「えっ?」
「そういえば、俺の股間に顔埋めてたよな。やっぱ、そうとって良いのかなぁ? お望みとあらば、思いっきりやるぜ? いいか?」
にんまりと見下ろしたゆーきの顔は、はははっ、見事に耳まで真っ赤だ。
「えーん! 潤一さんのいじわる~!」
「はははっ! わりぃわりぃ!」

二人の影が長く伸びる夕暮れ。俺は、腕をブンブン振り回されながら、店までの道をゆっくりと歩いていった。

おしまい

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