「うー……」
そして、週末。クーラーの効いた部屋で、俺達はイモムシになっていた。
日差しは日々強くなり、見上げれば、夏独特の、吸い込まれていきそうなほどに深い青空がある。基本的に内勤の俺も、昼飯時なんかに外に出たりすると、頭が焦げ付きそうな錯覚に襲われる。夏は、本番と言って良かった。
クーラーってのは、曲者だ。文句無く気持ちいいのだが、馴染んでしまうといけない。こもった熱気と一緒に、動こうという活力まで抜き取ってしまう。ついには、クーラーの効いた部屋から、一歩も動きたくなくなってくるのだ。立つこともおっくうになり、そのうち、まともに喋るのも面倒になってくる。……『クーラーイモムシ』の出来上がりだ。
「うー……」
「あー……」
何度目か解らないア行の音を二人して発しながら、垂れ流しのテレビの中、ゴロゴロする。
「(あぁ、今なら、『脳味噌がとろけて耳から流れる』という比喩を作った人の気持ちが分かる……)」
そんなことをぼんやり考えながら、俺はだらしない視線を天井に投げつけていた。
「せ~ん~せ~」
ふと、ゆーきがこちらへ転がってきた。俺にぴたり、とくっつくと、
「う~~あ~~」
(ぐりぐりごろごろ……)
と、体をすりつけてきた。ちょっと冷えた、柔らかさが面白い。普段なら、対抗、反撃するところだが、イモムシの脳味噌はそんなことを考えない。よって、
「あ~つ~く~る~し~わ~~」
ぶんぶんぶんと、はねのける仕草―もちろん寝転がったまま―をする。
「お~こっ~た~」
のたくたと逃げるゆーきに、
「むぅ~わ~て~いぃ~」
にじにじと追いかける俺。
……これはこれで、実は結構楽しかったりする。
「うー……」
……が、結局、その力もクーラーの冷気に吸い取られ、俺は再び、動かぬイモムシになってしまった。
あぁ、脳味噌と言わず体中、液体になって畳に染み込んでいきそうだ……。
「(……ん?)」
そんな、ほとんどぼやけかけている視界に、ゆーきの姿が映った。が、その目は何か一点をじっと見つめている。何だ……?
どうやらテレビを観ているらしかった。お気楽極まりない番組が、ダラダラと流れている。しかし、ゆーきの目は、じっとテレビを見据えたままだ。そんなに面白いもんかね……疑問に思いながら、俺も視線をそちらに移した。
『この夏! ……話題の水着! ……流行は! ……』
そんな台詞が、大げさな抑揚と共に聞こえてきた。チカチカする画面に目を凝らすと、そこには、色とりどり、様々なデザインの水着が踊っている。
それを見つめるゆーきの目は、とてもうらやましそうだった。
「(…………そっか……)」
そうだよな。たとえ知識で知ってた―これは余談だが、十七歳相応の知識等は、人間になるときに神様がくれたそうだ―としても、ゆーきは実際に海なんて行ったことがないんだ。まして女の子だ。可愛い水着に憧れるのも、当然と言えば、当然だよな……。そういえば、このあいだ約束したよな……、どっか連れてってやるって……。
「(よし……)」
俺は、寝そべったまま隣へ移動し、イモムシ脳味噌を切り替えてから言った。
「なぁ、ゆーき。海……行くか?」
「え……?」
きょとん、とした顔を向けるゆーき。俺は重ねて言った。
「だからさ、明日、海へ行こうぜ。そんで、今から水着買いに行かないか?」
「あ……」
その目が見る見るうちに輝きだす。次の瞬間……
「うわーーーいっ!!」
(がばっ)
ゆーきが抱きついて―もとい、この姿勢だと巻きついて、だな―きた。その勢いで、
(ごろごろごろ……)
俺共々、床を転げ回って……
(ごちん!)
ゆーきだけ、壁に頭をぶつけてしまった。
「おいおい、大丈夫か?!」
ぶつけた辺りをさする俺を、ゆーきは、涙で潤んだ目で見上げて、
「うん! 有り難う! 先生!!」
俺の胸に顔を埋めてきた。……とことん、可愛い奴……。
・
・
・
「ひょえー……」
俺は、圧倒されていた。周囲は、見渡す限りの、人、人、人……。
場所は、電車に乗ってやって来た、大きな百貨店。海へ行くのに必要な物を買い揃えに来たのだ。ちょうど、夏のボーナスが出たところだしな。
それにしても凄い人混みだ。騒がしすぎて、逆に静寂に思えるほどの喧噪、派手な値引き広告、殺到する人垣……ボーナス商戦たけなわ……と言ったところだろうか。かくいう俺も、ゆーきが居るから来たのであって、普段はボーナスが出ても、こういうところにはまず来ないのだが……。
「ゆーき、しっかり俺の腕持ってろよ。はぐれるぞ」
「うん」
人垣の怒とうに流されないように気をしっかり持って、傍らに声を掛ける。ゆーきは、両腕でしっかり俺の腕に……
「ぶら下がるな! 歩けないだろ!」
「はーい」
……しがみつかせた。
あちこち見て回ると、人いきれでどうにかなりそうだ。手っ取り早く目的の階に向かう。しかし、エレベーターは使わない。こういうときにエレベーターを待っていると、余計に時間が掛かる。ガキの頃、親に連れられて行った時の、貴重な教訓だ。
やがて、水着売場に到着。広がるは、極彩色の森……という比喩ができるほど、様々な色、デザインの水着が並んでいる。
「うっわーっ!」
「おいおい、走るなって! はぐれるぞ!」
突撃しようとするゆーきを抑えながら、俺も、森へと入っていった。
「わぁ……」
何回目の「わぁ」だろうか。お上りさんよろしく、キョロキョロとゆーきの視線は落ち着かない。あれこれ手にとっては、眺めたり、体に合わせてみたりしている。俺も、ここ数年海なんて行ってない。だから、どんな水着が流行りなのか、ちょっとは気になるかな……なんて思いながら、一緒に見ていた。
……が、ここで俺は、いかんともしがたい、重要なことに気づいた。
ゆーきの体型だ。言っちゃ何だが、ゆーきの体は、十七歳には見えない。せいぜい、十三、四が良いところだ。良いデザインで、合うサイズ、あるのかなぁ……? 俺はしばらく考えて、ここはプロに頼むことにした。
「なぁ、ゆーき。店の人に選んでもらわないか? もし、気に入って買った物が、ゆーきの体に合わなかったら、嫌だろ?」
……ついでに言うと、もし買い損じた時、返品しにやってくるのも、正直、面倒だ。
「うん!」
俺の勧めに対して、またもや元気のいい返事が返ってくる。
それにしても……なんかこいつ、ハイになってないか? ま、しょうがないか。よっぽど嬉しいんだろうな……。
「すいませーん」
俺は、手近な店員さんを呼び止めた。
「いらっしゃいませ!」
その顔の営業スマイルを倍増させて、俺の呼びかけに応じる店員さん。俺はその不自然な笑顔に少し引きながら言った。
「こいつに似合うの、見つくろってやってくれませんか?」
「お願いしまぁす!」
「かしこまりました!」
店員さんは、思い切りにっこり微笑むと、やおら目を細め、ゆーきの体を眺め始めた。サイズを推し量ってるんだろう。さすがプロと言おうか……。
「少々お待ち下さい……」
そう言って、その店員さんは、パタパタと極彩色の森の中へ紛れてしまった。が、程なくして……
「お待たせしました。こちらなど、如何でしょうか?」
戻ってきた店員さんが持ってきたそれは……
「うっわ……」
思わず、驚きを声に出してしまった。
薄いライムグリーンの、ワンピースタイプ。腰の所に、フリルがついている。
可愛いデザインだとは思う。
が、正直に言おう。お子さま水着だ。……しょうがないか、今のこの体型じゃ……。神様も、知識だけじゃなくて、体も相応にしてやりゃよかったのに……。ちょっと、かわいそうだな……。
「先生! ボク決めた! これにする!!」
一人考え込んでいた俺は、ぶんぶんと腕を揺すられる感覚で我に返った。見ると、それまで以上に目をキラキラさせて、俺を見上げるゆーきが居た。……どうやら、杞憂だったようだ。気に入ってるようだし、よしとするか……。
そして俺達は、目的を達成し、揚々と家へ戻った。特にゆーきの喜びようは凄く、
「あの……ゆーき君? 頼むから、普通に歩いてくれませんか……?」
「はーい!」
何度俺が言っても、彼女はスキップをやめてくれなかった……。
「先生、先生! これ、着てみていい? 着てみていい?!」
家に戻るやいなや、ゆーきはもどかしそうに言った。返す返すも、微笑ましいぐらいの喜びようだ。
「あぁ、どうぞ」
「わーい!」
言うが早いか、さっさと服を脱ぎに掛かる。タオルを巻くわけでもない。全くの無防備だ。ま、今更恥ずかしがる間でもないが、どうしても感触を思い出してしまう。
目の前で跳ねる小さな体は、確かに白くて柔らかい。
夜は……
「(……っと、いかんいかん! 真っ昼間から何を考えてんだ!)」
俺はドキドキし始めた心臓を、必死で落ち着けた。
「えへへ……どう? 先生!」
やがて着替えが終わり、ゆーきが俺の前でくるりと回って見せる。
……うん。年相応かは別として、確かに似合ってる。見立ては間違ってなかったって訳だ。俺は素直に、
「うん。可愛いぜ」
と言った。するとゆーきは、
「本当? 嬉しい!!」
またもや俺に飛び込んできて、ぐりぐりと頬をすりつけてくるのだった。
「(うっ……)」
一方の俺は、水着越しにはっきり伝わるゆーきの肌の感触に、どうにかなりそうな気持ちを、必死で押さえていた。
……このままだと、せっかくの水着が汚れたりしかねないからな……って! だから昼間から下品だってばよ! 俺!
結局その日の晩、ゆーきは、水着の上からパジャマを着て、布団に入ったのだった……。