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『We wish……』(3)

3.12月18日 土曜日

 凍てつく海に墨を流し込んだような闇の中を、最終電車は行く。
 この時期の車内は若干混んでいる。本来はもっと混んでいてしかるべきかも知れない。乗れた人間は、幸運な部類にはいるのだ。

 客は皆、一様に疲れた顔をしている。だがしかし、今現在自分たちが置かれている状況が、少なくとも後一週間は変わらないであろう事をみんな知っているから、愚痴ることもなく、酒に逃げることもなく、ただじいっと押し黙り、明日への気力を温存しているのだ。

 かく言う俺もそうだ。ここ数日の勤務は多忙を極め……というより、『労働基準? そんなものがあるのかい?』と、政治家に訊ねてみたいような……あるいはそんな皮肉すら消し飛ぶような忙しさだった。

 師走。『師をして走らせるほど慌ただしい』とは、よく言った物だ。昔からそうと分かっていながら、一向に改善されないのはなぜなのか? そんな疑問が頭をかすめた。

 やがて、電車は家の最寄り駅に着く。とっくに日付は変わっている。明日……いや、もう今日……は日曜日のはずだが、俺には関係ない。約六時間後には、いつも通りに出勤だ。出来るだけ曜日感覚を振り払って、自宅まで数分の道、俺は闇の中を突っ切っていった。

 豆電球の明かり一つがともる真っ暗な部屋の中へ「ただいま……」とつぶやけど、返す者はいない。とっくに寝ているんだ。
「ただいま、ゆーき……」
 二つ並べた布団の片方、安らかな寝息を立てているそいつに向かって、俺はもう一度つぶやいた。

 よろめく足でシャワーを浴び、パジャマに着替える。夕食はコンビニ弁当で済ませた。何を喰ったかも、既に忘れている。ほとんど、一人暮らし時代と変わらない生活だ。しかも今は、うちにゆーきがいる分、余計に辛い。いくら『思いっきり忙しいからな』と言い含めているとは言え、だ。
 この間のデートは、そのつもりで一泊二日のとびきり濃厚なデートのつもりだったんだが……やっぱり、足りないよな。申し訳ない気持ちいっぱいで、俺は布団に潜り込んだ。

「おかえり、じゅんいちさん……」
 ……と、俺が五時間余りの睡眠を一秒でも多くとろうとしていたまさにその時、寝ているはずの布団から声がした。
「……起きてたのかよ、ゆーき……」
「うん……。寝てたんだけど、潤一さんが帰ってくる気配がしたから、起きちゃった……」
「……悪いな、起こして……。でも、さっさと寝た方が良いぞ。……俺が言うのも何だがな」
 お互い、顔は見えない。だが、ここのところコイツを目覚まし時計ぐらいにしか認識できていない俺にとって、その声だけでもこの上なく新鮮……いや、賛美歌か何か、美しい物に聞こえた。
 疲れの抜けない、一瞬限りの、夢も見ない、流れ仕事のような、睡眠。
 だが、その夜は違った。
「ゆーきぃ……」
「ん……」
 隣の布団にさしのべる手。小さな、だがふんわりと柔らかな感覚へ、そうっとつながる。それで十分だった。
「あしたも……がんばろうね、潤一さん……」
「ああ……」

 ……コイツも辛いんだろう。握る手の震えから、それが伝わってくる。
 『後一週間のガマンだからな』その言葉を自分の手のひらにのせて、俺はそのまま、ゆっくりとマブタを閉じていった……。

◆ ◆ ◆


 師走も半ばを迎えた冬の街を、長身なトレンチコートと小柄なダッフルコートが歩いている。
「うーん……」
 そのトレンチコート……優人の方は、うつむいてあごに手をやったまま、何か考えている風にうなっている。
「ふん、ふふーん♪」
 かたや、隣のダッフルコート……静の方は、にぎやかな往来を見やりながら、非常に軽やかな足取りでいた。つくづく、対照的である。
 静が、楽しそうに優人に言う。
「ねえマー君。なんかさ、こうやって無目的にぶらぶらするのって、久しぶりだと思わない?」
「うーん……」
「例の『仕事』まで、あと一週間ほどあるでしょ? マー君のことだから、一瞬で終わるよ。だから、終わってからのこと、考えよ? ちょうど、クリスマスだしさ!」
「ふーん……」
「マー君ってば」
「うぅーん……」
「こら! 蘭宮優人三十歳男!」
「はっ? なんですか? 上原静さん十七歳女の子?」
「……もうっ……バカ……」
「ごめんごめん。ちゃんと聞いてるよ。でも、どんなに小粒でも、『仕事』は『仕事』だよ。だから、しっかり対策を立てないと」
 頬を膨らませる静に、優人は苦笑いで答える。
「そりゃあそうだけどさあ……こうまであちこち歩いて回ることないじゃない……」
「静」
「何?」
 普段の気性から来る穏やかさをして、短く名前を呼ぶ優人。静は、少し気分を切り替えて応じる。
「このお芝居が上演される教会の場所、覚えてますか?」
「えーっと……ゴメン、見てなかったや……」
「さっきから、情報を集めているのはそのためですよ。……この場所に、教会なんてないんですから」
「えぇっ……?!」
「……驚くのも無理はありません。このビラには、そういう疑問を起こさせないような、奇妙な『効力』があるみたいですからね……」

 二人が、あのラブホテル地下にある『ギルド』、『レポサド』で受けた『仕事』は次のような物だった。

 近頃、この奇妙なビラが町中で配られるようになった。『レポサド』のマスターもそれを受け取り、何か不審な物を感じていた。そして、その直後から、不思議な失踪事件が頻発するようになったのだそうだ。
 なおも不思議なことは、失踪した人物……全て若い女性……の身内は、誰一人として警察に捜索願を出していないのだ。優人が直接出向いて訊いてみても、親から返ってくるのは『そのうち帰ってくるでしょう』という、拍子抜けする答えばかり。明らかにおかしい。
 そして、一番その不審を決定づけているのは、優人の言った通り、上演場所として指定されている教会など、書かれた住所には存在していないということだった。そしてそのこともまた、皆一様に気にしていないのだ。

 この演劇の裏にある物をつきとめ、場合によっては討つこと。
 ……これが、今回二人が受けた『仕事』だった。

 二人の表向きは、失業中の元サラリーマンと、その若き恋人。
 その実は、表沙汰にできないもめ事……超常的なものが絡むものまで……を秘密裏に処理するトラブルバスター……現代の傭兵である。

 かつてのそれと同じように、彼らも『ギルド』と通称される組合のような物を持ち、仕事の斡旋や、情報交換などをおこなっている。主要な都市には、彼らが目立たず行動できるように、下水を利用した地下通路が整備され、警察にも協力を仰ぐことが出来る。もちろん、ごく密やかに。つまりは、それだけ確固たる需要があるというわけだ。そんな傭兵達の中、この男、蘭宮優人の腕は、際だつものとして知られていた。

『むっ……うう……ん……』
 突然、優人が背に負う釣り竿のバッグからうめき声がした。金属をこすり合わせたようなしゃがれ声。おおよそ人の物は思えない、不気味な声だ。だが優人はそれを聞き取るなり、「やっときてくれましたか」という面もちで、急ぎ『レポサド』へと引き返したのだった。ただ、静だけがその声を聞いて「平穏なクリスマスが迎えられるのかなあ」と不安に駆られていた。
 走り去る二人の後、『チッ』という女性の舌打ちが続く気配がした。

「随分長い間、お休みだったじゃないですか?」
『ここのところ退屈してたんで、寝るぐらいしかなくてな。そのチラシに、起こされた格好だ』
「アタシとしては、目覚めて欲しくなかったなあ……」
『はははっ……ソイツはひどいな、嬢ちゃんよ……』
 『レポサド』のさらに奥、下水の通路に続く傭兵達の控え室。その質素なビジネスホテルほどの小さな空間に、一本の長剣と話す二人の姿があった。
「待ってたんですよ。このチラシを見て、僕も久しぶりに『来る』ものがありましたからね」
『そうだな。小粒のようだが、久々に力が使える』
「楽しんでませんか? レドさん……」
『俺は、斬ってなんぼの剣なんでな』
「……なんだか、性格変わりましたね……」
『まあな。……しかし、お前も人のことは言えないんじゃないか?』
「…………」
 あいさつ代わりの軽口の裏、優人は「こっちも久しぶりだな……」と口の奥でつぶやきながら、胸の傷跡を痛ませていた。
「じゃあ、確認をかねて、詳しく調べますか?」
『そうだな。頼む』
 そういって優人は、剣……まさに英雄物語から抜け出したようなきらびやかなバスターソード……を抜き、ベッドの上に置いた。「鞘と刀身の奏でる“しゃりん……”という乾いた音さえ、極限まで研ぎ澄まされてる……」傍らの静は、いつもと同じ感慨を抱かずにはいられなかった。
「どうぞ」
 手に持ったチラシを、剣に乗せる優人。
 しん……とした沈黙の後、剣が答えた。
『もういいぞ。十分だ』
「やはり?」
『ああ。常世の物だ』
「規模は?」
『思った通り、小粒だ。簡単にケリがつく』
「そうですか……」
『だから嬢ちゃんよ』
 小さくため息をつく優人をよそに、剣は静に言った。
「えっ?」
『無事に、クリスマスは迎えさせてやるよ。安心しな』
「……うん!」