[Index] [Profile] [Novels] [Cocktail] [BLOG] [CG] [Link] [Mail Form] [DO-JIN]

『中級立ちション講座』(3)

3.芋洗いの炎天下

 翌朝。嬉しいときは、フライング・ボディアタックのキレも良いのだろうか、予定よりかなり早く起こされてしまった。
 俺も、寝ぼけまなこでタンスの奥から水着を引っぱり出してくる。こっちは何の変哲もない、黒のトランクスタイプだ。昨日一緒に買っておいたサンダルや、タオル、その他諸々を詰め込み、いざ、出発!




(ざー……ん……ざざぁ……ん)

 心地よい波の音がする。
 電車を乗り継いで数時間、俺達は、目的地に着いた。

 突き抜ける空、眩しい太陽、焼けた砂浜、そよぐ潮風。
 完璧な夏の浜辺に立ち、俺は、言葉を無くしていた。
 久しぶりに見る海に感動してるんじゃない。ぼう然としていたのだ。

「いっ……芋……洗い……」
 辛うじて、その理由を表す言葉が出た。そう……

【芋を洗う】:多人数の雑踏するさまにいう。

 学生時代に見た、辞書の言葉通りの光景が、そこにあった。
 実は、半分の時間ほどで行ける所にも、海水浴場はある。
 しかし、そこは都市部に近いこともあって、いつも混むんだ。暑さに関するニュースが流れる時は、必ず引き合いに出されるようなところだ。だから、そこを避けて、わざと遠い所を選んだ。かつて、親父に連れられてよく来たこの海岸は、穴場的な場所のはずだった。はずだったが……今はこの有様だ。
 ……つまりは、考えることはみんな一緒、と言うわけだ。
「(普段、どれだけ周囲に流されまいとしていても、そういう思考をすること自体、所詮は俺も小市民なのか……)」
 と、少し、苦々しく思うのだった。

「もう! 先生ってば!」
 ぐい、と腕を引っ張られる感覚で、再び我に返る。勤務中の居眠りから醒めたような気分で見やった先には、じれったそうな顔があった。
 ……そうだ。こんなところで、小市民論をぶったところで仕方ない。今日は、ゆーきに海を見せに来たんだ。
「悪い悪い。ちょっと驚いてたんだ。あんまり人が多くてさ」
「早く行こう行こう!」
 散歩を待ちこがれた犬よろしく、俺を引っ張って行こうとするゆーき。突っ走ろうとする力を抑えて、俺は言った。
「ちょっと待った。場所取りしなきゃな。その辺に荷物置いてると、危ないぞ」
「え? あ、……そっか」
 やっぱり気づいてなかったな。もしこのままこいつに任せてたら、荷物を持ったまま、海へ飛び込んでたかもな……。

 芋洗いの人並みを縫うこと数分。適当な場所を見つけ、シートを広げる。
 ……貴重品は、持っておいた方が安全だな。遠泳するわけでもないし。よし、防水のポーチに入れて……と。
「よおし、行くぞ!」
「うん!」

「うっわぁ! 気持ち良い!」
「足を取られてこけるなよ……海水は、目に入ると痛いからな……」
「うんっ!」
 ゆーきの手を引いて、そろそろと海に入る。
 胸近くまでの深さで、色々遊ぶことにした。
「よし、俺が両手持っててやるから、体を浮かしてみな?」
「こっ……こうかな? わっ! うわわぁっ! あっ! おもしろーい!!」
 波に揺られる感覚に、思いっきりはしゃぐゆーき。初めてにしては要領がいい。練習すれば、泳げるようになるまで、そんなにかからないかも知れないな。
「そーれ、ざーん……ざざーん……」
「うわわわわっ! ざぁーんっ! ざざぁーんっ! あははっ!」
 思い切りはしゃぐのは良いが……どう見ても、十七歳と二十四歳の繰り広げる光景じゃないよな……ま、いいけど……。

「よーし、んじゃ、今度は俺の腕に捕まってみろ。一緒に泳ぐぞ!」
「こう?」
 自分で「やれ」と言っておいて何だが、ぴたり、と俺の腕にしがみつかれると……二の腕の感触が、気持ちよすぎる……。
「うっ……」
「あれ? どうしたの?」
「いっ……いや、何でもない……行くぞっ! 顔を水につけないようにな! それっ!」
「うわぁいっ!!」
 気を取り直して、バタ足でゆっくり泳ぐ。人並みを縫って、大きめの輪を一周。

「はい、とうちゃーく」
「すっごく気持ち良いね! 先生!」
「やれやれ……そりゃよかった……。ふう……」
 ちょっと疲れたが、これだけ喜んでくれれば、やりがいもある。
「さて、次は一服がてら、波と闘ってみるか?」
 腰までぐらいの浅瀬に戻り、俺は次の遊びを提案した。
「なになに?」
 ワクワクした目で、俺を見つめるゆーき。既にやる気満々だ。俺はやり方を説明した。
「波に向かって、立ちはだかるんだ。押し負かされないように、頑張って踏ん張る! こけた方が、負けだ」
「面白そう! よおし!」

「くっ……! 小さくても、結構来るな……!」
「うわ、うわわ! 凄い凄い!」
 この遊び、単純だが結構熱中してしまう。小さくても波は波。それなりの威力がある。一回乗り切ると、より大きな波を期待し、さらにふんばる。大きな波に耐えた時は、やっぱりちょっと嬉しい。

(ざぁぁ……ん……)

「ふむ……っ! よし!」
「うぅー……ん……! やったぁ!」
「やるな、ゆーき」
「へへぇー!」

 これは力勝負というより、コツの問題だ。やはりゆーきは飲み込みが早い。
 勝負は引き分けるかと思われた。その時……

(ざぁっ……)

 高さは小さいが、えぐるような、重たい波がやってきた。
「うおっと……!」
 自分の方に気を取られていると……
「うわわっ!?」
「(あちゃっ……!)」
 見やった先には、波に負けて見事にこけるゆーきの姿があった。
「おいおい……大丈夫か……っと」
 慌てて引っ張り上げる俺。ぶう、とむくれた顔が引き揚げられる。
「悪い悪い、こけたら支えるつもりだった……おわっ?!」

(ぷーーーっ!!)

 不意に、視界が滲んだ。やがて襲い来る、ピリピリとした痛み……これは……考えるまでもなく、情けない声が聞こえた。
「しょ〜っぱぁ〜いっ!!」
 ……声にこもる恨めしそうなトーンからして、思い切り海水を飲んだんだろう……。海水を俺の顔に吐き出し終わったゆーきは、
「口の中、変な感じがする……」
 恨めしそうな声で続けた。そりゃそうだ。海水なんて、うまくもなけりゃ、後味が良いもんでもない。……しかし、味の感想はともかくとして、海水が目に入ったのはまずいな。腫れたりすると、厄介だ。……よし。
「よっと……」
「わっ!」
 俺は、ゆーきをそのまま担いで、一旦休憩することにした。……なんか、周囲の視線が痛い。もう少し担ぎ方を考えればよかったか……。

 気づけば、もう昼だった。俺達は、共用シャワーでざっと体を流した後、手近な海の家で、飯を食うことにした。
「ふぅ……」
 焼きそばをビールで頬張りながら、辺りを見渡す。くどいようだが、どこもかしこも、ものすごい人出だ。が、仮にこの場に俺達二人だけだったとしたら、それはそれで味気ないだろう。今食っている焼きそばだって、物的には、大したことはない。しかし、縁日で喰う屋台の料理が、何か特別な味がするのと同じだ。浜辺の人混みの中、それとない忙しなさと共に喰う事は、やはり特別な意味を持つ。つまり、旨い……のだ。
「くぅーーっ!!」
 そんなことをぼんやりと考えていた頭に、一際かん高い声が聞こえてきた。何事かと思って見ると、顔のパーツを中心に一点集中させているゆーきが、正面にいた。
「いっ……たぁ〜い!」
 理由は一発で判った。一緒に注文したかき氷の減り具合が激しい。大方、うまいうまいって、一気に食べたんだろう。つくづく、にぎやかな奴だ。ま、そこが良いんだけどな……。
「冷たいモンを一気に喰うと、そうなるんだ。覚えとけよ!」
 俺が講義よろしく、笑って言うと、
「はぁーい……ててて……」
 細めた目で作った、照れ隠し気味の笑顔が返ってきた。

「さぁて……」
 程良く腹ごしらえもできたところで、俺は再び考えた。やはり、この芋洗い場は、長くいられる場所じゃない。どこか、存分に遊べる場所はないか……。
 そこで、ふと思い出した。そうだ、昔、親父に連れられてここへ来るときは、砂浜には来なかった。確か……。
 記憶に従って、遠くを見やる。……あった。ぐるりと回ったところにある、大きな岩場。そこまで歩いて行ったんだ。あそこは、岩だらけ、海藻だらけで、気持ち悪いと言えば確かにそうだ。が、慣れてしまえば、魚も多いし、素潜りなんかをするには楽しい場所だ。ゆーきには、こういう人工の浜辺より、自然の場所を見せてやりたいな……
「…………」
傍らに視線を落とすと、
「?」
キラキラした目で、小首を傾げる顔がある。ふふっ……
「よし、ゆーき! もっと面白いところ、行くぞ!」
「うん!」
 俺達は、岩場へと向かうことにした。

「きゃっ! 何これ?!」
「うおっと……!」
 足場の悪い岩場を歩きながら、時折、小さな悲鳴を上げる二人。何のことはない。そこかしこをはい回る、フナムシに驚いているのだ。え? お前は初めてじゃないだろう、って? ……悪かったな。俺は、虫が苦手なんだよ。
 芋洗いの砂浜から、外周をぐるりと回ること、約二キロと言うところだろうか。道はなくなり、岩場を伝って歩くところまで来た。不安定な足場を、ゆっくりと飛び越えていく。やがて、どっしりとした岩が乱座する、波打ち際へとやってきた。
「この辺でいいか……」
 程良く平らで、十分な大きさの岩を見つけ、そこを荷物置き兼休憩場所にした。
「よおし! 行くぞぉ!」
「おーっ!」

 びっしりと生える海藻、とげとげしい岩、色々な魚。やはり、海はこうでなくちゃな……。最初は海藻を気持ち悪がっていたゆーきも、すぐに、魚見物が気に入ったようで、ゴーグル越しの風景に見入っていた。
「苔で滑るからな! 気を付けろよ!!」
 少し離れた深いところで素潜りを楽しみながら、俺は、胸程までの浅瀬で遊ぶゆーきに声を掛けた。
「はーい!」
 ひとまずの返事が返ってくる。嬉しそうな声だ。……やっぱり、良かったな。
「さぁて……」
 俺は再び、ざぶり、と潜った。浜辺じゃないから、水深はまちまちだ。ゆーきの遊んでいる辺りは、低い岩が足場のようにあって、ごく浅い。かたや、さほど離れていない俺の周辺は、水深が四から五メートルといったところだ。素潜りをするには、丁度良い。
 潜った底も、岩だらけだ。所々に見える黒い固まりは、ムラサキウニだな。あぁ、水中用のジャックナイフがあれば、採って食えるのになぁ……。
 ……底の辺りをひと泳ぎしてから、水面へ戻る。これの繰り返しな訳だが、海底の景色は飽きることがない。
 立ち泳ぎしながら息を整えて、再び潜ろうとしたときだ。……おかしな事に気づいた。

 ゆーきがいない!
 慌てて辺りを見渡した。すると……
「……せん……せ……たっ……すけ……たすけ……てえ……!!」
 微かな声。見ると、空に命綱を求めるように腕を伸ばし、必死にもがく、ゆーきの姿があった。
「ゆーき!!」
 俺は、全力で泳いだ。なんてこった!!