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『中級立ちション講座』(1)

1.フライング・ボディアタックの朝

 朝。一日の始まり。
 昨日の疲れも、寝汗と共に幾分かは流され、夢うつつの目に差し込む窓からの朝日が、最後まで駄々をこねる意識を揺り動かしてくれる。
 やがて、微かな音を立てるように、五感が働き始める。その、聴覚と視覚と触覚が、最初にとらえた物は……

「あっさでっすよ〜っ! とうっ!」

(ぼすっ!)

「ぐえっ!」
 朝日のせいで逆光に見える黒い影。そいつが、元気いっぱいの声で、俺にフライング・ボディアタックを仕掛けてきた。一瞬、息が止まり、せっかく脳へ巡りかけていた血にも、ブレーキが掛かる。
「せんせ〜、朝ですよ〜」
 そんな俺には構わず、そいつは、ゴロゴロと俺の布団の上で転がり回る。薄い夏布団越しに、そいつの柔らかな感触が面白い。が、お馴染みになりつつある独特の寝覚めが、楽しむ余裕を奪った。
「ゆぅ〜きぃ〜っ!」
 俺は、そいつを振り落とすように飛び起きた。が、呼ばれた本人……ゆーきは、
「わーい、起きた起きた!」
いつの間にか、俺の横にちょこん、と座っている。……やるな。
「先生! 朝ごはん、たべようよ!」
「……あ……あぁ、さんきゅ」
 もうちょっとましな起こし方はないのか、と、文句を言おうといつも思うのだが、こいつの、この無邪気な笑顔を見ていると、そんなことが馬鹿らしく思えてくるから不思議だ。

 ざっと口をすすいでから、テーブル……布団を取っ払ったこたつだが……の上に目をやる。ベーコンエッグ、コーヒー。そして……

(チーン!)

狙い澄ましたかのように、トースターの音が鳴り響く。
「あちち……よっと……」
こんがりと焼けたトーストを、ゆーきが皿にのせて持ってきてくれた。

「いただきまーす」
 お互い手を合わせてから、各々を口に運ぶ。ご覧の通り、取り立てて手が込んだメニューじゃない。コーヒーだってインスタントだ。しかし、それまでの俺は、慌ただしくて朝飯なんか喰う暇が無かった。だから、きちんとした時間に食べる食事というのは、エネルギーの補給以上に、生活サイクルが戻るようで嬉しい。それに、誰かと向き合って喰うと言うことは、思いのほか、良い隠し味になる物だ。こいつ……ゆーきの顔を見ていると、心底そう思う。満腹感以外の充実感を得られる気がするのだ。
 俺は、そんなささやかな幸せをかみしめながら、ゆっくりとベーコンエッグを味わっていた。

「先生、お仕事、忙しい?」
 皿に残った卵の黄身を、パンの耳でさらえながら、ふと、ゆーきが訊いてきた。

 ……あ、言っておくが、俺は教師じゃない。ただのサラリーマンだ。まして、何か習い事を教えているわけでもない。こいつが俺のことを『先生』と呼ぶのは、ちょっとした訳がある。それは……今はちょっと時間が早いな。晩にでも話すことにしようか。
 さておき、ゆーきの問いに、俺は、
「そうだな、いつも通りってとこか……。休みは、やっぱり週末だな」
 あらかた喰い終わり、コーヒーをすする口で答えた。
「ふーん……」
 ゆーきは、あいまいに言葉を濁す。言おうとしたことは分かってる。どこか遊びに行こう、と言いたいんだ。ただ、俺がいつも慌ただしそうにしてるから、気を遣ってるんだろう。……んな気遣い、しなくていいのに……
「行きたい場所のリクエスト、受け付けるぜ」
 俺は、視線をテーブルに戻して食事を終わらせようとするゆーきに、にっこり笑って言ってやった。
 確かに休みがきっちり取れるかどうかなんて、不確実だ。だが、近いうちに必ずどっか連れてってやろう。そのつもりで言った。
 そういう意味を含んだ俺の目を分かっているから、ゆーきも、
「うん!」
 ……と、これまた満面の笑みで返してくれるのだ。

「……じゃ、行って来るよ。後、よろしくな」
「はーい! いってらっしゃーい!」
 一緒に後かたづけをやり終えた後、通勤の身支度をし、俺は会社へと向かった。
 さぁ、今日もお仕事、お仕事……。




 やがて、夕刻。いつも通り二時間ほど残業して、俺は帰途へついていた。きっちり定時で帰ろうと思えばできるのだが、少し増えた生活費をまかなうには、残業手当をせしめるのが手っ取り早い。が、あいつをあまり待たせるのもかわいそうだ。よって、このぐらいの時間が一番いい。一刻も早く帰ってやりたいのは、山々なんだけどな……。

 それにつけても、いつも思うんだが、どうして会社にいると、時間の流れが速く感じるんだろう。実は、竜宮城よろしく、時間の流れが明らかに違ってたりしてな……。

 そんなとりとめもないことを考えつつ、到着。ドアを開けるやいなや、
「おかえりなさーい!」
 声と同時に、首筋が重くなる。嬉しいのは分かるが、疲れた体で支えるには、ちょっと辛い。
「こらこら……」
 よいしょ、とゆーきを降ろし、カバン類を置く。着替えに掛かるその背中に、
「晩ごはん、できてるよぉ!」
 嬉しそうな声が聞こえる。
「(……この匂いは、焼き肉か。うーん、晩にはちょっとヘビーかも知れないな……。 ま、しっかりした飯を食うのは良いことだけどな……)」
なんて思いながら、テーブルに就く。お、単純な焼き肉じゃないな。焼き肉サラダだ。傍らには、和風ドレッシング。それと、ご飯に、豆腐のみそ汁。……前言撤回。旨そうだ。

「はいセンセ!」
 グラスに注がれるビール。自分のグラスが満たされるのを見てから、
「さんきゅ。ほい、返杯!」
 ゆーきのグラスにも、注いでやる。こいつは十七歳で未成年……って事になってるが、変なところでいい子ぶるつもりもない。遠慮なく注ぐ。
「今日もお疲れさまーっ!」
 お互い、かちりとグラスを合わせてから、ぐっとビールを飲み干す。そして、なごやかな夕食が始まった……。

 食後の一服をふかしながら、俺は、後かたづけの洗い物をしているゆーきの姿を横目に見ていた。
 ……え? そろそろ、この娘について教えろ? あぁ、そのつもりだ。

 見ての通り、俺とゆーきは、一緒に生活している。同居人……というより、端から見れば、立派な同棲だな。暮らし始めたのは、一ヶ月ほど前。ただし、その出会いは一風どころか、かなり変わっていた。
「おトイレ、おトイレ……」
 と、洗い物を終えたゆーきが、パタパタとトイレに駆け込もうとしていた。前を横切る時、俺は言った。
「あんまり立ってするなよ。床にこぼれると、後が面倒だぞ」
「はーい」
 くすっと笑いながら、彼女はトイレへ消えた。

 なんで、女の子が立ってオシッコするんだって? そう。そこがポイントだ。ゆーきの事を話すには、『立ちション』という言葉が外せない。

 ……その日の早朝、俺は、したたかに酔っぱらって、道を歩いていた。そこで、ふともよおした尿意に耐えきれなくなり、道ばたで立ちションをしてしまったのだ。誰もいないと思っていたんだが、そこには、男の子と見まがうような、女の子が立っていた。慌てふためく俺とは対照的に、キラキラとした目が印象的なその娘は、俺の立ちションの一部始終を見届けてから走り去った。
 そして数日後、その娘と俺は、街中で再会した。俺が聞いた彼女の第一声は……

『先生! ボクに、正しい立ちションのやり方を教えてください!!』

 ……だった。
 正直、訳が分からなくて、気味が悪くて、その場は逃げた。しかし、逃げても逃げても彼女は俺の行く先にいる。とうとう根負けした俺は、彼女の『キレイな立ちションがしたい』という願いに、つきあうことにしたのだ。

 次の日の夕暮れ。願いを叶えた彼女は、空へと消えた。そう、彼女は人間ではなかったのだ。幽霊……いや、厳密には違う。幼かった日、『立ちション遊び・オシッコの飛ばし合い』のできなかった、女の子達の悔しさ。一つでは取るに足りない、砂粒ほどの想いが無数に集まって形を成し、願いを叶えるためにさまようモノ……それが彼女だったんだ。

 想いが叶って、それでめでたしめでたし、かと言うと、そうでもなかった。
それからしばらく、俺は彼女にもう一度会えたんだ。驚く俺に、彼女は、小さな顔を真っ赤にして言った。

『ボクの中で分からないことが増えたから、神様に頼んで、人間にして貰った』

 ……と。そして、行くあてがない、と言う彼女を、俺が面倒見ることになったんだ。

 ……そう、実は俺も、彼女……ゆーきに惚れてしまっていた。惚れた理由は色々あるけどな。
 とにかく、もう会えないと思っていただけに、その言葉を聞いて、嬉しかった。

 そうして、二人の生活が始まった……と言うわけだ。『先生』という呼び名も、その時の名残だ。
 ……そういえば、もうそろそろ、名前で呼んでくれても良いと思うんだけど……なんか、複雑な気分だな。

「どうしたの、先生?」
 ふと視線を上げると、得意満面といった風のゆーきの顔があった。物思いにふけっていた俺の顔を、珍しそうにのぞき込んでいる。
「いや……別に……」
 想い出を反芻していた、とは、さすがに恥ずかしくて言えない。俺は、笑いながらはぐらかした。
「ふぅん……あ、そうだ! へへぇ……うまくいったよ!」
 思い出したように、ブイサインをするゆーき。聞かなくても分かってる。うまい具合に立ちションができたんで、喜んでるんだ。

 人間になっても、ゆーきが立ちションにこだわるのは変わってないようだった。毎回……と言うわけではないが、たまにこうして、普通のトイレでも立ちションを試みるのだ。
 まぁ俺も、彼女のその姿が、不覚にも惚れる一因になったわけだから、何も言わない。だから今回も、
「そっか、よかったな」
 ……と、頭を撫でてやったりするわけだ。
「うん!」
 心底嬉しそうにうなずくくゆーき。
 ほんと、この笑顔が反則なんだよな……。

 そうして、その日の夜も、穏やかにふけていった……。