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『初級立ちション講座』(3)

3.レッスン3

 結局、その時の筋肉痛は、二日後ぐらいに引いた。あぁ、確実に体は衰えて行ってるんだな……と思うと同時に、あの妙な娘の記憶も、鮮明に残ってしまっていた。そして、その次の週末……。

「うーん……」
 昼下がり。一通りの身支度を終えて、俺は考えていた。またあの娘に出会うんじゃ無かろうか。貴重な休みをメチャクチャにされるのは、もう嫌だ……。
 ふと、窓の外を見る。ちくしょう、これでもかってぐらい、気持ちよく晴れてやがる。こんな日に家にこもってるのは、もったいない。非常に、もったいない。出かけたい!! どうしよう……。
 しばらく考えて、ひらめいた。
「そうだ! 少し遠出をしよう!」
 そう。あの娘に会ったのは、この近所だけだ。と言うことは、この近所の娘のはず。ならば、ああいう娘が一人で来そうもないところに行けばいい。
「そうと決まれば……よし!」
 俺は、電車とケーブルカーを乗り継いで行ける、近所の山へ出かけることにした。
 え? 近所なら、一緒じゃないかって? ふっふっふ……実は、もう一つ理由がある。電車賃と、ケーブル運賃が高いんだ。お子さまには、ちゅうちょするに十分な金額だ。ここに社会人の強みが出る。……なんか、悲しいけどな。

 そして、電車とケーブルカーに揺られることしばらく。俺は、山の澄み切った空気の中にいた。

「んー……」
 ケーブル駅の場所からして、既に見晴らしは絶景だ。行動時間は変わらないから、すでに日は傾き、ここから見ると、街が、極薄い紫に染まって見える。そんな中、少しひんやりした空気が、日頃、ヤニにまみれた肺にしみわたる。あぁ、空気がうまいって、幸せだ……。
 そこから、適当に歩いてほどなく、喫茶店を見つけた。ログハウス風の、こざっぱりした外見だ。
「……おっ……?」
 ふと、鼻がコーヒーの良い香りを嗅いだ。喫茶店通いの長い俺には分かる。ここは良い店だ。

(カラン……)

「いらっしゃいませぇー」
 デニム地のエプロンの似合う、ロングヘアーが可愛い女の子が、カウンターの向こうで柔らかな笑みを向けた。ラッキーだ。さらなる目の保養になる。あの娘みたいに中性的な子より、こういう女の子らしい、カワイイ娘の方が良いよな。

 ……って……俺は、あの娘から逃れるために、ここまで来たんだろう? 何でわざわざ思い出すんだよ……?

 ま、それはさておき、適当な窓際の席につき、ごく普通にホットを頼む。
 ……やがて運ばれてきた物は、押さえ目の色遣いの花柄が渋いカップとソーサー。そしてそれにたたえられた琥珀色。かたわらに添えられたスプーンの上には、花柄をちょん、と食紅であしらった角砂糖が乗っている。センスいいなぁ……彼女のアイデアだろうか?
 これだけかわいけりゃ、多少コーヒーがまずくても許せるな……と、一口すすって驚いた。うまい! 雰囲気だけの問題じゃない。本当にうまいのだ。彼女、若いのにやるなぁ……。いつも行く店なんて、バイトの娘がいれたら、確実にまずいのに……。
 言葉にならない感動を味わいながら、ふと、テーブルに置かれたメニューに目が留まった。野鳥の彫刻をあしらった、これまた可愛い写真立てに、メニューが入れてある。よく見ると、裏にゼンマイがついている。ひょっとして、これ……

(かり……かり……かり……)

 奏でだした曲は、クラシックの名曲。オルゴールで聞くと、また違った風情があるなぁ……。

「はぁー………………」
 幸せだ。つまらないことかも知れないが、夢のような幸せだ。世俗の喧噪(けんそう)を離れ、黄昏を望む落ち着いた店に、カワイイ店員がいれた、とびきりうまいコーヒー。それに、柔らかな音色を奏でるオルゴール。本当に夢のようだ。

「先生はよく、コーヒーを飲みますね。それがコツなんですか?」

 夢であってくれ。

「コーヒーには、利尿作用があるって言いますよね。じゃあやっぱり、これがいい立ちションをするポイントなんですね!」

 頼む! 夢だと言ってくれ!
 係長! 俺を起こしてくれ!! 罰として、深夜残業でも何でもやるから!!
 顔を動かさず、視線だけを後ろにやる。
 ……なんか、ノート取ってやがる……。

 このあいだのように、逃げるのは簡単だ。が、俺はふと考えた。何も言わずに逃げてダメなら、いっそのこと、きっちり言い含められないか?
 それで諦めてもらえれば、お互い平穏に過ごせる。そうだ、思い切ってそうしよう!

(ちょいちょい)

 俺は、あの娘に向き直り、こっちへ来い、と手招きした。すると、目のキラキラを一層増幅させて、俺の向かいの席に飛んできた。
「なんですか? 先生!」
 座るやいなや、ずい、と身を乗り出してくる。なんか、好物を目の前にした犬みたいだ。可愛いと言えば可愛いが、あしらい方を間違うと、噛みつかれる可能性も大……そういう感じだ。そんなことを思いながら、俺は言った。
「なあ、君……ちょっと訊いていいか?」
「はい! 先生!」
 期待に満ちた声。次のセリフが一気に言いづらくなる。
 だが俺は、無理矢理絞り出すように言った。
「……なんで俺につきまとうんだ? 確かに、この間は、みっともない所を見られたけど……何か欲しくてついてきてんのか?」
 いきなり『もうついてくんな!』と言ったところで、逆効果かも知れない。まずは、理由を聞きたかった。……弱みを握られるのはシャクだが、申し開きができないから仕方がない。
「え……?」
 突然、彼女の反応が変わった。笑顔が一瞬にして消え、しばしの間が流れる。
「何か欲しい物があってつきまとってんなら、買ってやるから、もうやめてくれないか?」
 俺も嫌だが、金でカタが着くなら、さっさとそうしたかった。言い切ってから、ふぅ、とため息が漏れる。すると……
「そんなのじゃ……ないです。そんなのじゃ……ない。そんなのじゃないの!」
 カウンターの女の子が、何事かと目を丸くするほど、彼女は強く言った。俺も、予想しなかった反応にびっくりする。
「あっ……」
 驚きが、声に出てしまった。
 ……彼女は、目にいっぱい涙を溜めて、それでもじっと、俺を見ていた。

 うっ……この顔、やっぱり女の子だ。本気で可愛いかも……って、何考えてんだ、俺……。
「ごっ……ごめんよ、そんなつもりじゃ……」
 ありきたりすぎる台詞しか出てこないのが、悔しい。あわてふためく俺に構わず、彼女は言った。
「ボク、教えて欲しいの。立ちションの仕方、あなたに、教えて欲しいの……」
 思い詰めたような、すがるようにも見える、真っ直ぐな目……。
 言ってる台詞は変だが、こりゃ……本気だ。これを、『迫真の演技!』なんて言えば、バチが当たりそうな気がする。
 そのまま、重苦しい沈黙が流れた。

 ……しょうがねぇ! 腹、くくるか!

「……わかったよ。教えてやるよ。そのかわり、一回だけだからな!」
「ホント?! やった、やったあっ!! 立ちション! 立ちショーン!!」
 文字通り、体中で喜ぶ彼女。こっちも嬉しくなるような喜びようだが、あんまり大声で『立ちション、立ちション』と言うせいで、カウンターの女の子は、あからさまに不審がっていた。ジト目の視線が、体に痛かった……。

「で、君の名前は? 『先生』が『生徒』の名前も知らないのも、変だろ?」
 結局、いたたまれなくなって店を出て、景色の良い展望台までやって来てから俺は訊いた。
「ボク、ゆーき!」
 涙にちょっと腫(は)れた目……よほど嬉しかったんだろうか、喜びながら泣いていた……をこすり、彼女は答えた。
「ふぅん……ゆーき、ね。歳は?」
 ぱっと見は、中学生かそこらなんだが……実は高校生ぐらいなのかもな……と思っていた。
「いくつに見える?」
 ゆーきは、小首を傾げて、逆に訊いてきた。
「十三、四に見えるけど、ひょっとして、十六、七かなぁ……って」
 俺は、思ったままを言った。
「じゃあボク、十六、七!」
 拍子抜けした答えが返ってきた。
「おいおい、そりゃないだろ……」
「ボク、歳、忘れちゃったんだ!」
 さらに訊こうとすると、そんな言葉で遮られてしまった。なんだそりゃ? ……訊いてくれるなってことか? ま、いいや。
「じゃあ、ゆーき、『講義』の時間と場所はどうする? 任せるぜ」
「明日の夕暮れ、初めて先生に会った場所で!」
 間髪入れずに答えが返ってきた。初めての場所……ってーと、友人の下宿と、駅までの道、その途中の所か。
「わかった。じゃ、今日はもう帰るか?」
 どこに住んでるのかは知らないが、ケーブル駅の下までぐらいなら送ってやるか……そう思って言ったが、
「うん! 本当にありがとう! 先生! またね!!」
 ゆーきは、ニコニコと微笑みながら手を振って、走り去ってしまった。

 遠ざかる背中を見送ってから、眼下に広がる、濃紺の宝石箱になりつつある景色を見下ろす。

「ほんと、変な娘だな……」

 それを見ながら俺は、ぼそりとひとりごちた。