[Index] [Profile] [Novels] [Cocktail] [BLOG] [CG] [Link] [Mail Form] [DO-JIN]

『初級立ちション講座』(2)

2.レッスン2

 そして、その次の週末。俺は、日頃の激務にあの時のことなどほとんど忘れ、近所の商店街を歩いていた。

 これと言って予定のない休みは、一日をダラダラ過ごす事が多い。昼まで寝溜めをして、朝飯兼昼飯を喰い、後はコーヒーでも飲みながらぼーっとする。で、夕闇迫る頃合いに、ぷらぷらと町中を散歩する……。一つの黄金パターンだ。その日も、そんな日だった。

「ふん、ふふー……ん……」
 覚え立てのはやり歌をあいまいな鼻歌にして、いつもの商店街をゆっくり歩く。あては特にない。あるとすれば、たまに喫茶店に入って、手の込んだコーヒーを飲むぐらいのものだ。
「いい黄昏時だなぁ……明日も晴れっかなぁ……」
 珍しいぐらいに綺麗な夕焼け空に向かって、ぼそりとひとりごちた時だ。
「……?」
 背後に、視線を感じた。通行人と、たまたま目が合う類のもんじゃない。明らかに、俺を凝視しているものだ。
 はたと立ち止まり、後ろを振り向く。目を凝らして、視線の主を捜した。
 あっ、いた。二十メートルほど後方、男の子らしい。いぶかしげな顔をしている俺と、目があった。……すると、その子は、遠目にハッキリ分かるぐらいに満面の笑みをたたえて、俺の方へ駆け寄ってきた。何だ何だ?
 やがてその子は、俺の側までやってくると、息を弾ませながら、元気な大声で言った。

「先生! ボクに、正しい立ちションのやり方を教えてください!!」

 正しく、俺の中での時間が止まった。
 完全なる硬直。
 しばらく経っても、
「は…………はい?」
その言葉を絞り出すのがやっとだった。が、馬鹿丸出しの顔をしている俺に対して、その子は、目をキラキラさせて、俺を見つめている。

 ……ちょっと待て。この目、どっかで見たことあるぞ……?

「あっ!」
 さっきのこの子と同じぐらいの声で、俺は叫んでしまっていた。
 そうだ、先週の今日、俺がつい道端で立ちションしてしまった時に、俺を見てた……女の子だ!!
 確かにそうだ。ずいぶん体が小さくて、髪はショートカット。着ている服も男女兼用っぽいから、中学生ぐらいの男の子に見えても全く不思議はない。
 が、体の線とか、顔立ちとか、間近で見るとよく判る、化粧っ気は無いが、細かな肌のキメであるとかを見れば、明らかに女の子だ。
「あわわ……」
 あの時の醜態が思い起こされ、顔が赤くなっていくのが、自分でも判った。
 『先生』? それも、こともあろうに『立ちションの仕方を教えてくれ』だって? 何なんだ一体……?! 俺は完全に混乱していた。

(ひそひそ……ひそひそ……)

 図らずも見つめ合ってしまっている俺とその娘に、周囲からいぶかしむ声が聞こえ始めた。まずい。非常に恥ずかしい。
 ……こういう状況で、とるべき行動は、一つ。

(だっ!)

 素早くきびすを返し、俺は逃げた。こういう危ないのに関わると、ロクな事はない。
「あぁっ!」
……という声にもかまわず、俺は、ダッシュでその場を去った。



(カラン……カラン……)

 そして俺は、転がり込むように、なじみの喫茶店に入った。
「やぁ、こんにちは。どうしたの?」
 なじみのヒゲのマスターが、慌てる俺に少し驚きながら、にっこりと微笑みかける。
「あぁ、いえね、そこの道ばたで変な女の子に絡まれちゃって……」
 ふう、と、席に腰掛け、差し出されたお冷やを飲み干す。
「変? どんな娘?」
 きょとんとした顔で、マスターが返してきた。
「いやぁ……とてもここじゃ言えないッスよ……公共の場ではとてもとても……」
 そうだ。特に、こういう飲食店などでは……
「立ちションって……」
 そうそう。言えないよな。うん。……え?
「立ちションって、そんなに変ですか? 先生!」
 ……この……声……
 恐る恐る振り向いたそこには……
「ねぇ先生! 立ちションって、そんなに変ですか?」
 キラキラと目を輝かせた、あの娘が、いた。
 なんでだ? しかも、クリームソーダまで飲んでやがる!

「……ごめんマスター! また今度!!」
 俺は、言いかけた注文をのみ込み、店を飛び出した。
「あっ! 逃げなくてもいいじゃないですか、先生!」
 いや、俺は逃げる。逃げさせてくれ!
 俺は走った。家へ帰ろう。いくらなんでも、俺の家までは分かるまい。

(たったったったった……)

 ……くそう……全力疾走なんて久しくしてないから、息が切れる……
「ねえねえ……」
 ちょっと待て。何か声が聞こえないか? こんなに一生懸命走ってるのに。

 幻聴であることを願って、見遣った側には……
「立ちションの仕方、ボクに教えてくださいよぉ」
 あのキラキラした目がある。なんでだ? 何でコイツは、息も乱さずに、楽々歩くみたいについて来るんだ?!
「いやだぁぁぁっ!!」
 渾身(こんしん)の力で俺は加速をかけた!
「ねぇ、先生!」
 聞くもんか! 俺は、願わくばまけるように、思いっきり回り道をしながら走った。
「ねぇ……」
「うおぉぉーーーーっ」
「ね…………」
「むがぁぁぁーーーっ!!」

 ……………………

「はぁ……はぁ……はぁ……」
 気がつくと、あの娘はいなくなっていた。何とか諦めたようだな……。

 あたりは、とっぷりと日が暮れていた。俺はようやく自宅へたどり着き、精根尽き果ててベッドに倒れ込んだ。そして、その日はそのまま眠ってしまった。

 ……案の定、翌日は酷い筋肉痛で、仕事にならなかったのは言うまでもない。