7.夢
静をしっかりと抱きしめ、暖かさを確かめる。やげて、大きく視界が歪み、真っ白になっていく。……次の瞬間、二人は、下水道の中、自分たちが出てきた43番出口近くの通路に居た。
「助かりましたよ……。長年あなたを使ってますが、まさかこんな力があるなんて……」 安堵のため息を付きながら、背中に背負う剣に向かって、語りかける。 『……詳しい話は、追々してやるさ。それより、その娘の面倒を見られる場所はあるか?空気から察するに、ここは好ましくないようだ』 淡々と語る『剣』。 「……確かにそうですね。……そうだ、近くに緊急避難用のシェルターがあります。そこへ行きましょう」 ヘドロにぬめる通路を暫く進む。すると、少し色の違う壁面に出くわした。 よく見ると、同じ色に塗装されていて判りにくいが、ドアノブが付いている。 「よっ……」 静を抱える手に気をつけながら、手首だけで、ノブを回す。そのまま、肩で扉を押す。 「ちょっと行儀が悪いけど……」 ひとりごちつつ、足で扉を閉める。 ……部屋の中は、『Cafe U.U.』の地下室群と似ている。ただ、あくまで緊急避難用なので、設備は最小限だ。折り畳み式のパイプベッド一つと、同じくパイプ椅子数脚。応急処置用の救急箱と、水道。それだけだ。 「ふぅ……」 ゆっくり、ゆっくり、静をベッドに横たえる。やれやれ……と、額を拭ったコートの袖口には、新しい汗がしみこんでいた。 この仕事が終わったら、クリーニングに出そう、等と考えながら、とりあえずパイプベッドの空いたスペースにコートを投げ出す。 「………………」 さて、と、改めて横たわる静を見て、優人は考えてしまった。 ……哀しそうに、苦悶するような顔。穿いているジーパンは、滲んだツートンカラーになっている。このままだと、皮膚がかぶれたり、冷たさに風邪を引くかも知れない。しかし……目の前の静が赤ん坊ならば、優人もすぐにやるだろう。それこそ、昔、よく世話したのだから、お手の物だ。が、今横たわっている静は……赤ん坊のようにきかん気なところや、くるくる顔が変わったり、かわいらしいところもあるけれども……そうではない。身体的には、大人と同じ扱いをされてもおかしくない年だ。だが……と、思考がループしそうになるのを、優人は防いだ。堂々巡りをするほど、青くはないつもりだ。 「ごめん、静。もし途中で気がついたら、一応、僕の言い訳も聞いてくれ……」 眠る顔に苦笑いを向け、優人は本格的に静の介抱にかかった。 ジージャンを脱がせ、シャツの襟ボタンを2,3外す。同様に、腕時計、袖口のボタンも外す。締め付けを少しでも無くし、体を楽にするためだ。次いで、額に滲む脂汗も吹いてやる。そして……嫌でも、濃紺と群青のツートンになってしまったジーパンが見える。 「……」 “かちゃり……” バックルを外し、ジッパーをおろす。……薄黄色に染まってしまった、下着が見える。 「……うっ……」 翁の『力』による被害の跡だ、と頭で解っていても、やはり妙な艶めかしさがある。……乱暴になりすぎないように、ゆっくり、脱がせていく。濡れた下着が、肌にまとわりついて脱がせにくい。もどかしさに、力がこもる手を抑えるのに、神経を使った。 やがて現れた下腹部は、確かに、黒い茂みに覆われていた。細かな雫が、チリチリと唸る蛍光灯に映えて、きらりと光っている。 ……何を考えているんだ、昔じゃないんだから、当たり前じゃないか。 再び叱責する思考に反して、優人は、今自分の前に横たわっている少女が、まるで初めて会う少女のような気がして、妙に新鮮な、そして何となく後ろめたい感触をおぼえていた。 ……止めていた息を、ふぅ、と小さく吐き、ハンカチを水で濡らし、緩めに絞る。それで、ジーパンの群青色が当たっていたあたりを拭いてやる。 「……うぅっ……」 柔らかい。そういえば、静の肌に触れるのは、赤ん坊の頃と……小学生ぐらいまで、一緒に遊んでやったときぐらいだ。その時は、何の感慨もなかった―あっても困る―が、今、こうしてハンカチ越しに伝わる感触に、優人は少し戸惑った。一瞬状況を忘れるほど、とても、心地良い。ハンカチ越しでなく、直に触ってみようとする手を、優人は懸命に抑えていた。 さらり……そっと、そっと、露に濡れた茂みを拭ってやる。足を少し開かせて、内腿から、尻へ。ゆっくり、ゆっくりと……。 「ぷぅぅー……」 何度かハンカチを絞り直し、拭い終わる。殆ど止めていた息を長く吐き出すと、額にぽつぽつと汗が吹き出した。そして 「……っ!」 恐ろしい本を、読後に慌てて閉じるように、布団を素早く掛けてやる。代わりに纏う物が何もないのは少し可愛そうだが、仕方がない。すすいで絞った下着や、生乾きのジーンズを穿かせては、意味がないからだ。そしてなにより、優人は本当に恐ろしかった。このままの状態だと、正直、自分の『どこか』が、狂いそうだった。だから、もう見るまいと思ったのだ。 「……足しに、なるかな……」 呟いて、ベッドの隅に脱ぎ捨てていたコートを、改めてその上から掛けてやった。 「(……後は、目が覚めるのを待つか……)」 スロー再生のようにゆっくりと、傍らの椅子に腰掛ける。とたんに、どっと虚脱してしまい、うなだれる。今までの、どんな『仕事』よりも、疲れた。 「はぁ……」 ため息を付いていると、 『……終わったか?』 ベッドから、金属音のような声がした。 「?!」 まさに寝込みを襲われたような反応をしてしまう。……が、何のことはない。ベッドに立てかけていた、『剣』の声だった。何に対してか、ほっと胸をなで下ろす優人。 「……えぇ。手間取りましたけどね……」 苦笑いを浮かべ、語り返す。 『ふふふ……らしくないな。だが、その気持ち、解らないでもないぞ』 頭に直接響く金属音は、微かに笑っていた。 「剣に取り憑く付喪神(つくもがみ)が、どうして解るんです?」 付喪神―長い間使われていた物への『想い』が、意志を持ったモノだ。優人は、いぶかしみながら訊ねた。が、 『なぜだろうな。ふふふ……』 意味ありげな含み笑いが響くのみで、あからさまにはぐらかされてしまった。 「ずるいですね……」 問いつめてどうなる物でもない事と思い、優人も、困った顔を一瞬向けるだけ で、それきりにした。 『さて……私は少し眠るぞ。“力”を使ったせいで、疲れた。お前も、休んだらどうだ?』 ふぅ、という一際大きな響きが聞こえた。 「剣に気遣いを受けるというのも、変な話ですね……。えぇ、じゃ、そうさせていただきます」 そうして、優人は、うなだれるようにして、目を閉じた。緊張の糸が切れる音は、そのまま、まどろみの引き金となった。 ・
・ ・ ……静は、夢を見ていた。
―カラカラカラ……カラン……カラン…… 天井をくるくる回るおもちゃ。鈴の音。顔を巡らせれば、横には、木の柵のような物。真っ白な、布団。……あぁ、赤ちゃんの頃だ。懐かしい…… 「ふぎゃぁ、ふぎゃぁ、ふぎゃぁ……」 あれ? あたし……泣いてるの? ……そっか、お尻のあたりが、気持ち悪いんだ。 ……早く、誰か来ないかなぁ…… 「……はいはい、今、替えてあげるよ……」 ぬっ、とのぞき込む顔。……あ、マー君だ。うふふ、顔、今とあんまり変わんないなぁ。 「よっ……と……。あーあ、こりゃ、派手にやっちゃったなぁ」 あたしのおむつのホックを外しながら、“しょうがないなぁ”って顔のマー君。それこそ、しょうがないよ。出す量なんて、調節できないもん。 「ふん、ふ、ふふ〜ん♪」 マー君は鼻歌を歌いながら、慣れた手つきで、あたしのおむつを替えていく。けちを付けたのは一瞬で、素早く、うんちとオシッコを拭き、新しいおむつを敷いて、私をその上へ。天花粉をはたいて、手早く包む。 ……でも、なんだか凄く恥ずかしいな。だって、全部、見られてるもんね。すごく、恥ずかしい。あーあ、早く、脱ぎたいな。おむつなんて。早く、歩きたいな。早く、マー君と一緒に、歩きたいな。 ……もどかしいなぁ……。 そして、景色が変わる。 ―カラーン……カラーン…… ――鐘の音が響きわたる。賛美歌が聞こえる。見つめる足下は、バージンロード。あたしは、真っ白なウェディングドレス。手を引くのは、父さん。……くすっ、窮屈そうなタキシード着て、ガチガチに硬くなってる。けど、その目は僅かに潤んでる。父さんが泣いたの、そう言えば見たことないや。……あたしは、伏せていた目を前に向けた。……神父さんの隣、新郎―マー君―が立っている。じわり……あれ、なんだかあたし……泣けてきちゃった。前が見えないなぁ。けど、お父さんに従って、あたしは最後まで歩いた。 涙で滲んでるけど、目の前には、マー君がいる。嬉しい。あたしは、マー君のお嫁さんになるんだ……。 ……涙を拭って、顔をよく見ようとしたとき。 「よく似合ってますよ。しーちゃん」 参列者の席から、声がした。え? この……声…… つららで背筋を撫でられるような気分がした。ゆっくり……声のした方を向く。 「その姿、よく似合ってますよ。しーちゃん」 そんな! ……マー……君?! じゃあ、今、神父さんの隣にいるのは? おそるおそる、顔を見る。それは…… 「ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ……さぁ、赤子の証だ。儂の孫に、なるのじゃ……」 ……しわくちゃの、あいつ。鳥肌が、全身を駆け抜ける。 「ひっ……ひぃっ……」 後ずさる私の背中に、再び、マー君の声が被さる。 「大きな赤ん坊のしーちゃんには、その姿が、よく似合ってますよ」 「……えっ……?」 その言葉に、あたしは、改めて自分の姿を確認した。 「あ……あぁ……あ……」 真っ白なウェディングドレス。その下半身を覆う……おむつ……・・ 「そんな……こんなの……やだ……」 呆然と呟いた瞬間、二度と思い出したくない、熱い感覚と共に、真っ白なウェディングドレスが、薄黄色に染まっていく。同時に、チャペル中に充満していく、おしっこの、臭い。 「いや……いやだよ……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっっ!!!」 薄黄色に染まった景色に、ヒビが入っていく。ぴし……ぴし…… 泥の壁のように、世界が、崩れていく。ガラ……ガラ…… 「僕は、大きな赤ん坊は、嫌いなんですよ。……じゃ、お幸せに」 そう言って、マー君は立ち上がり、くるりと背を向けて、歩き出した。背中が、どんどん遠ざかる……。 「いや! マー君!! おいてかないで! マー君!! マー君!!!」 立ち上がろうとしても、下半身に力が入らない。無理に力を込めて…… “ずるり……” 私の体から、下半身が、もげた。 “しゃぁぁぁ……” 私の下半身は、まるで別の生き物のように、おしっこを吹き出しながら、びちびちとのたうちまわる。 「くっ……」 あたしは、上半身だけで、這って、マー君を追いかけようとする。 「マー君……待って……置いて……行かないで……」 涙が、止まらない。 やがて、上半身も、涙に溶けていく。 そして、あたしは、一つの、液体に、なった……。 ……ヤダヨ……マークン……アタシヲ……オイテ……イカナイデ……アタシノコト……キライニ……ナラナイデ…… |