5.潜入
「寒いね……」
「えぇ……」 コツコツと言う足音が、眼下の闇に吸い込まれていく。 空調でも効いているのだろうか、足下から冷たい風が吹き抜ける。 そして、何段ぐらい降りたのだろう。横幅が狭いことと、段差がきついこと、さらに慎重を期す挙動が、距離を実際より長く思わせる。 やがて “タンタン……” 優人の踏み出すつま先が、軽く2,3度音を立てる。どうやら、段はもう無いようだった。 「どうやら、終点のようですね」 肩越しに静を見遣る。 「……ん?」 自分たちが降り立った所は、ちょっとした小部屋のような広さだ。そこから前方に、大人3人分ほどの幅の道が延びている。程なくして左に曲がっている。が、優人は、その先がほのかに白んでいることに気づいた。自分が今居るこの場所の明かりとは違う。こちらを電灯とするなら、さしずめあちらは蛍光灯だ。 “ザァッ!!” 背筋から四肢へ。多量の蟲が走る感触がする。冷や汗が一筋、顔を伝う。 「……やっぱり、怖いの?」 背後から声がする。意地悪と言うより、本当に心配そうな声だ。 「……いえ、別に……」 努めて冷静に返す。が、ある意味、優人は怖かった。再三感じてきた『連想』が、現実になりそうで、だ。しかし、そうは言っていられない。彼が、鉛のように重くなり始めた足を一歩踏み出そうとしたときだ。 「じゃ、アタシ、偵察してきて上げるよ」 静が、小走りに駆けだした。 「あっ……!」 驚くが早いか、彼女は、眼前の角を曲がった。が、次の瞬間 「ひぃっ……!」 息を極限まで吸い込んだような悲鳴がした。同時に、 “どさり……” 反響音を残して崩れ落ちる静の姿。 「……!!」 全力で静の許へ向かい、優人も、角を曲がった。 ・ ・ ・ 「こ……れ……は…………!?」 あまりの驚きに、顔を構成する部品が四散する。 優人の『連想結果』は正解した。いや、不正解とも言えるかも知れない。『予想』を遙かに上回る異様さという点で。 果たして、そこには、無数の『女性』が居た。 だがしかし、女性たちは侵入者を咎めない。なぜなら、物言わぬようになって久しいからだ。女性たちは動かない。なぜなら、命の灯火が消えているからだ。しかし、女性たちの姿は美しかった。なぜなら、防腐剤と、この部屋の温度が肌に良いからだ。女性たちは、揃いの服を着ていた。細部の違いはあれど、皆同じ。 ――裸に、おむつ、よだれかけ。 「……くっ……」 ぎりりと歯ぎしりの音が響く。この光景を創り出したであろう黒沢翁に対する怒りと、自分の予感が当たってしまったことへの遣る瀬なさでだ。 「……はっ! 静!」 眼前の空間を睨み付けていた視線を。傍らに戻す。 静は、普段の快活な表情を蒼白に染め、ぐったりしている。 「……しっかりしろ……よっ……」 ゆっくりと抱え上げ、元降りた場所へ一旦引き返す。 「誰もいない……な」 さっきまでここにいたのだが、用心のため、あたりを見渡す。二人以外に、生きている人間の気配は、ない。 「よっ……」 自分が足を投げ出すように座り、静の頭を腿のあたりに乗せて横たわらせる。ポケットからハンカチを取り出し、顔中ににじんだ汗を、そっと、拭いてやる。 「……っと、あった」 コートのポケットを探る。取り出したのは、5センチほどの、円筒形の小瓶。キャップを外し、静の鼻に近づける。 「んんっ……」 微かに、頭が動く。どうやら気づいたようだ。 「……ん?」 静が、ごろごろと頭を揺すっている。子どもがイヤイヤをしているようだ。 「くっ……使うべきじゃなかったか……?」 舌打ちと共に、眉をひそめる。 優人が使ったものは、揮発性の、気付の薬だ。鼻から吸入するもので、即効性がある。が、常用すると、血管が脆くなるなどの副作用もある。緊急のときにしか使わないようにしているが、他人、特に女性には使ったことがない。 迂闊だった……どうすればいい……?と、動転した折の自分の行動を恥じていたときだ。 ふと、静の頭の動きが止まった。覗き込む優人の顔に相対し、薄目を開けて、唇を突き出している。 「…………」 無言の返答として、額をはたく。 「……痛ぁい。ちぇっ、どうせなら王子様の優しいキスで目覚めたかったなぁ……」 残念そうに口を尖らせながら、むくりと起き上がる。 「『ちぇっ』じゃない! 心配したじゃないか! 静!」 場所が場所だけに、大声は出せないが、できる限りの怒声で静を怒鳴る。 「……あ……へへっ」 優人の意に反して、微笑む静。 「笑って誤魔化そうったって……」 「そうじゃないよ。いつもの馬鹿丁寧な言葉じゃないマーくん、久しぶりに見たからだよ。それと……やっと……あたしのこと、『静』って呼んでくれた」 「あっ……」 改めて、口に手をやる優人。 「ふざけたのは悪かったわ。でも、嬉しい。本当に……」 地上で見せたものとは違う涙が、一粒、細めた目に浮かぶ。 「………………」 その場所に不釣り合いな、柔らかな空気が一瞬、流れる。 「と……とにかく! 目が覚めたのなら、行きますよ」 努めて、普段の口調に戻そうとする。 「……OK」 こちらもすぐに顔を引き締め、うなずく。 「目を閉じて。僕の手を離さないように」 曲がり角に戻り、互いに手を握る。 「行きますよ……それっ!」 “だっだっだっだっ……” 『彼女たち』の居る通路を、一息に駆け抜けようとする。 『(うふふふふ……あはははっ……)』 どこからともない多数の『視線』と共に、そんな笑い声も聞こえる気がする。 「くっ……」 長い。見た目には、50mもないのに、前に進んでない気がする。 この世ならざる風景が、現実感を失わせる。 静と繋がる手を確認する。少し力を込めると、握りかえす感覚が伝わる。 ……走りながら、優人の頭の中は、さまざまなイメージが渦巻いていた。 『彼女たち』の幾人かと、目が合う。眠るような顔の者、微笑む顔の者。子供が浮かべる泣きべそのような顔の者。目が合うたびに、『彼女たち』の生前のこと、ここへ至るまでの経緯、きっと居るであろう親兄弟のこと……遺された者たちの心境はいかばかりか……凄まじい量のイメージが、凄まじい勢いで頭を巡る。……優人は、奥歯を噛み締めながら、怒りを渦巻かせていた。 やがて、突き当たりへたどり着く。 「はぁ、はぁ、はぁ……もう、大丈夫ですよ」 静に促す。 「……うん」 おそるおそる、目を開ける。 「ほら、解りやすい」 優人が視線を向けた先には、エレベーターがあった。 「乗るしかない……ってことね」 「そうですね。……どうします?」 軽口を叩いていても、やはり彼女が心配だ。ここから先は、危ない空気がひしひしと伝わってくる。何があるか解らない。今ならまだ、引き返せますよ……と言おうとしたときだ。 「……ってっ……?」 不意に、額をはじかれる感触を憶えた。我に返ると、静が背伸びをして、真っ直ぐ目をのぞき込んでいる。 「同じシチュエーションは、ないよ。だから……」 地上で見せた眼差しを、悪戯っぽい表情で隠し、彼女は、エレベーターのボタンを押した。 “ひゅうぅ……ん” 静かな音を立てて、ドアが開く。 「……行きますか」 静の方を少しだけ見遣り、二人はエレベーターに乗り込んだ。 |