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『上級立ちション講座』(3)

3.二人でおにぎり

「んっ……うーん……」
 まぶた越しに、ごく弱い朝の光が感じられる。寝返りがうてるところを見ると、ゆーきはもう起き出しているようだ。
「(ってことは……)」
 ごく薄く、目を開けてみる。やっぱり、ゆーきの奴、布団のそばにしゃがんで、俺の顔をのぞき込んでる。
「んー……まだ起きないかなぁ……?」
 おもむろに立ち上がり、軽く屈伸をし始めるゆーき。
「(……アレが来るな……)」
 こちらも、寝た振りをして、呼吸と体勢を整える。そして……
「せーの……とうっ!!」

(ぼふっ!!)

「きゃっ?!」
 俺は、ゆーき恒例の『目覚まし・フライング・ボディアタック』を、見事に受け止めて見せた。
「あー……びっくりしたぁ……」
「おはよう、ゆーき」
「あはっ……おはよう! 潤一さん!」
 抱えるゆーきのおでこに軽くキスをして、俺は本格的に起き出した。

 外は、また明け切っていないほどの明るさだ。すんなり起きられたとは言え、結構眠い。これだけ早く起きたのは、最後に残した、出発直前でないと出来ない、一番大事な準備のためだ。
 洗顔の後、パジャマの袖を二人してまくり、俺達は用意にかかった。
「さて、んじゃ、かかりますか! そっちはどうだ?」
「ばっちり炊けてるよ!」
「よし。後は、中身の具だな……」
 炊飯器と、下ごしらえして小分けした食材を、テーブルの上に並べる。
 ふたを開けると、ほっこりと甘い湯気が、俺達の顔をしっとりと濡らす。
「熱いから気をつけろよ……」
「うん」

 ハイキング。
 ハイキングと言えば、弁当。
 弁当と言えば、オニギリ。
 ハイキングのキモは、外で喰うオニギリである……と、俺は思っている。それを、今から二人して作ろうというわけだ。
 中に入れる具も、定番をそろえた。おかか、梅干し、焼きたらこ、鮭。小ぶりの俵型に握り、のりを巻いていく。
「うぉっと……あちちっ……! ほっ……ほっ……と……」
「ふん、ふ、ふぅん……んふふぅ……」
 ちゃっちゃっちゃ……と、小気味いい音を立てながら、おにぎりはできあがっていく。自慢じゃないが、俺はおにぎり作りだけは得意だ。余ったご飯をまとめ、ラップにくるんで冷凍保存すると、長保ちする……と、オフクロからの直伝なのだ。
 やがて、三合ほど炊いた米も、きれいになくなった。皿の上には、十数個のおにぎりが、小高い山をなしている。
「ふう……こんなもんか」
「後は、包むだけだね。アルミホイルでいい?」
「いや、ちょっと待て。コイツの出番だ……」
「あれ? 何それ?」
 俺がおもむろに取り出した物を見て、不思議そうな顔をするゆーき。さすがに、見たことがないらしい。
「ああ。竹の皮だよ。嗅いでみろ。いい香りがするぞ」
「うん? くんくん……。わぁ……! ホントだ! 木みたいないい匂い!」
「できあがったおにぎりを、コイツにくるんで持って行くんだ。食べる頃には、香りが移って、旨いぞ」
「ふうん……聞いただけでも美味しそうだね!」
「まあ、現地でのお楽しみだな。……おっと、こいつも忘れちゃダメだな」
「うわっ……潤一さん、なんでそんな……?」
 ゆーきが驚くのも無理はない。俺がおにぎりの隣に添えたのは、まっ黄色をした、たくあん。いかにも毒々しいそいつは、合成甘味料と合成着色料が思いっきり入ってます! と開き直っているようにさえ見える。竹の皮という素朴な自然とは、あまりにかけ離れているようだが、それがいいのだ。本格的なぬか漬けたくあんも良いが、こういう安っぽい物も、また、何とも言い難い味わいがある……と、俺は思っている。幼少期の思い出の一つだ。
「そんなの入れたら、色がおにぎりに着いちゃうよ……?」
「それがいいんだよ。なんなら、お前の分は、別にしとくか?」
「んー……そうしていい?」
「そんな、申し訳なさそうな顔するなよ。好みの問題なんだからさ」
「そう?」
「ああ」
「あはっ……よかった!」

 そんなこんなでおにぎりを包み終わり、水筒にお茶も入れ終わった。
それを荷物に追加してから、残った分を、今の朝飯として喰う。熱いところを頬張るのも、またうまい。
 腹ごしらえも終わると、着替えて、いよいよ出発だ。
 服装は、ジーパンに、赤いチェックの、薄手のネルシャツ、上に草色のベスト。ゆーきもお揃いだが、コイツだけ、頭に同じく赤のバンダナを巻いている。結構似合ってるな。
「よし! 確認完了! 行くぞ!」
「了解です! たいちょー!」
 ……昨日のノリを引きずりつつ、ハイキングにしてはすぎるほどの勇ましさで、俺達は家を出た。




「うわぁっ! 潤一さん! 見て見て!! あの線路!!」
「ほう……ありゃすごい……。垂直に見えるな……」
 電車を乗り継ぎ、やってきたのはケーブルの駅。ゆーきが指さす先には、どっかりとあぐらをかく巨人のような山と、その背に沿う骨のような、ケーブルの線路。実際に聞いたところでは、傾斜は二十三度。頭の中に浮かんだ三角定規の一角は大したことはないが、物がここまで巨大だと、結構な威圧感がある。あの上まで行くのだ。

 ゴトン……ゴトン……ギシ……ギシ……と、下界をはるかかなたへ残しつつ、ケーブルカーは、のんびりと緑の傾斜を上って行く。上るに従って、山の空気が濃くなり、吸い込む息もさわやかになる。
「はぁー……いい香りだなあ……」
「あんまり窓から顔出すなよ。危ないぞ」
「あっ……はーい!」
 思い切り窓から身を乗り出そうとするゆーきを制してはみるが、俺自身も、つい同じ姿勢になりかけてしまう。それほど、緑の香りが心地良いのだ。
「…………」
「めっ!」
 また動こうとするゆーきを、ちょっとおどけて制してみる。そんな俺達の様子がおかしいのか、周囲から、小さな笑い声が聞こえてきた。
「ほら、みっともないことはするもんじゃないぞ、ゆーき?」
「……えへっ……ごめんごめん!」
 ちらちらと周囲を見渡してから、ごまかしの笑みを浮かべ、ゆーきはペロリと舌を出した。

 やがて、ケーブルは山頂駅まで着いた。
 山頂付近はかなり肌寒く、うっすらと白いかすみが漂っているようにも見えた。
「ゆーき、寒くないか?」
「うーん……。ちょっとね。でも、気持ちいいよ!」
 ゆーきは、夜と同じぐらいに、寒さが苦手……というより、怖い。だから、ここまで寒いと、怖がって進めないんじゃないかと思ったんだが、気にしすぎだったようだ。
「……潤一さんがいるから、ね」
「……んじゃ、行こうか?」
「うん!」
 ぽつり、と聞こえたゆーきのつぶやきをあえて流し、俺達は、眼前に延びるハイキングコースへと進んでいった。




 なだらかな坂道を歩いていく俺達。
 うっそうと茂る木々が、緑のトンネルを成し、木漏れ日は、天のきまぐれなイメージを、小枝の敷き詰められた道のキャンバスに描く。
 ぺき……ぱき……と道を踏みならす音に合わせて、小鳥のさえずりが聞こえる。ちょっとした、指揮者気分だ。
「すっごぉい……これ、ブナの木だっけ? 潤一さん?」
 そんな心地よさの中、ふと、ゆーきが確認を求めてきた。
「えっ? あー……そう……だっけかな?」
 いつも俺が仕事に行ってる間、外の散歩をする以外に、図書館へ行くのがゆーきの日課だ。だから、ちょっと恥ずかしいが、その辺の知識量に関しては、ゆーきの方が上だ。
 ……と、うやむやにして流してしまおうかと思った所へ、「ブナ林の保護について」等と書かれた看板が目に付いた。
 助かった。俺は、その看板を見ていることを気取られないように、「ああ、そうだな」と短く応えた。
 ……まあ、俺とゆーきとの間で、変にカッコつけたりすることもなかったんだが……。
「あれ? どうしたの? 潤一さん?」
 自分の顔を見て苦笑いをする俺に、不思議そうなゆーきの声が聞こえる。
「別に、何でもないさ。お前がちゃんとうまい空気を吸ってるかなって思ってさ。家の周りは、結構ごたごたしてるだろう?」
「うん! 確かにここ、すっごく空気がおいしいね! ひんやりしてて、木の香りがして、しっとりしてて……」
 ニコニコしながら、俺に思い切り深呼吸してみせるゆーき。その胸が、大きく膨らむ。
 ……すがすがしさを満喫しているコイツには悪いが……胸……初めて見たときに比べて、ちょっと大きくなってる……よな……。体つきとかも、結構……。
「……ま、まあ、それならよかった。この空気の中で喰う弁当は、もっとうまいぞ。だから、楽しみにしてるんだな」
「うんっ!」
 俺は、順番を無視して前に出ようとする不埒な思いを、何とか所定の位置に戻し、つくろうように答え、再び歩き出した。

「やあ、こんにちは」
 山頂から引き返して来た人と、すれ違いざまに挨拶を交わす。
「あっ……こんちは!」
「こんにちわー!」
 俺も、ゆーきも、湧き上がってくるすがすがしい笑顔で、自然に返す。こういう何気ない触れ合いも、ハイキングの楽しみだ。
 他にも、いろいろな人とすれ違った。一人で来ている女性、俺達のような二人連れ、小さな子供を連れた、家族連れ……みんな、山の空気を吸っているせいか、本当にさわやかな顔をしている。あれこれややこしい事を忘れると、人間、みんなこんな顔ができるもんだ。
「………………」
「あれ? どうしたの? ボクの顔、何かついてる?」
 そう、ちょうど、ゆーきのように。

「ふう……ふうぅ……」
 初心者向けのコースとは言え、道のりは結構長い。優しいはずの坂道も、ここまで続くと意地悪に思えてくるのは、俺の性根のせいだろうか?
「はぁっ……はっ……」
 荷物の中からタオルを取り出し、額の汗をぬぐいながら、歩を進める。
「潤一さん、大丈夫?」
「……ああ。ここのところ、運動不足だからな……はははっ……」
 ゆーきも、汗に、額のバンダナの色を変えている。ただ、俺と違って、息はそれほど乱れていない。普段、あちこち散歩して回ってるこいつには、かなわないか……。
「ちょっと休む?」
「そうだな。まあ、のんびり行かせてもらうか……」
 整備されたハイキングコースという事もあって、道の脇には、腰掛けるにちょうどいい切り株や、程よい大きさの石がある。そこで、一服つく事にした。
「はい、潤一さん」
「お、さんきゅ……」
 魔法瓶に入れて持って来た、熱い玄米茶を、一口すする。
「ふぅー……」
胃袋から体中に、熱いものが染み渡り、ごく自然にため息が出る。
「うーん……」
 ゆーきも、俺の隣に座って、軽く伸びをしながら、空を見上げている。
「誰も通らないと、静かだね……」
「そうだな……」
「歩くのに一生懸命になっちゃってると気づかないけどさ、面白い景色だね」
「面白い?」
「ほら、たとえば、すぐ後ろ。木が密集してるでしょ? なんだか、きちんと整列してるみたいな……外の景色から守ってるような……うまく言えないけど、そんな不思議な感じがするんだ」
「なるほどな……。何かこう、神秘的な感じはするよな」
「そうそう! いつもいる世界とは、違う世界にいるみたい!」
「違う世界、か……」
「うん……」
 そのまましばらく、小鳥の声を遠くに聞きながら、二人して切り株にもたれ合いながら、ぼんやりと座っていた。
 木のドームに抱かれて味わう、そのまどろみのような気分は、ちょっと大げさだが、自分の魂が抜け出て、木々に遊ぶのが見えるような、神秘的な気分だった。