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『いきたい〜立ちション講座・概論』(2)

2.あの日のこと

 お腹も一杯になったボクは、食後の運動をかねて、またぐるりと回って、家の近くの公園までやって来た。
 別に何も変わったところのない、小さな公園だけど、ここもボクのお気に入りの場所。いつものベンチに座って、思い切りもたれかかって、空を見上げる。

 透き通った、青空。
 夏空よりもいくらか淡い、柔らかな青。
 その青に、溶け込むように、薄くかかる雲。
 すこし傾き始めた太陽が、優しく全てを照らす。
 ふぅわりと吹く、さわやかな風。

 吸い込まれそうな秋の空を見つめていると、とっても眠くなってくる。
お昼ご飯の後の、公園でのお昼寝。気持ちよくって、大好き。

 ボクは、ごく自然に重くなってくるまぶたに逆らわず、ゆっくり、眠りへ落ちていった……。




「ん……うー……ん」
 ちょっぴり冷たくなり始めた風がほほをなで、ボクを起こしてくれた。
 寝ぼけまなこをこすりながら辺りを見渡すと、公園は、透き通った朱紫(あかむらさき)にそまっていた。
 いつもなら、この時間になると家に戻って、晩ご飯の支度をしに、お買い物に行くんだけど……今日は、必要ないんだよね……。
「やっぱりちょっと、寂しいなぁ……」
 見上げた夕焼けに、潤一さんの顔が思い浮かぶ。
 そう言えば、昔のボクって、この時間か、朝にしか出て来れなかったんだよね……。

 夕暮れ、朝焼け。生から死、死から生を渡す、不思議な時間、あいまいな時間。そして、そこをさまよっていた、『あいまいな存在』だったボク……。
 ボクは、神様にお願いをしていた時のことを思い出していた……。




 消えていく。
 消えていく……

 想いを遂げたその時、ボクの体はどんどん薄くなっていった。
 体が、透けて、風が、抜けて。

『ありがとう……』
『やった……やったよ……』
『ざまぁみろ……』
『私にもできたんだ……』

 体のあちこちから、『声』が聞こえる。
 ボクを形作っていた、たくさんの女の子達の気持ち。
 むかしむかしの、本当にちっぽけな、砂つぶみたいな想い。 風に流したつもりのモノ。
 もう、忘れたはずのモノ。
 それが、たくさんたくさん集まって、形を作った。
『なんとか思いを叶えたい』『でも、わからない』そんな気持ちで、ふわふわとさまよっていたモノ。あんまり『想い』が強いから、見かねた神様は、その想いをきちんと空へかえすために、ボクという仮の魂と、仮の体をくれた。
 でも、一人でやってもうまく行かなかった。どうしてだろう? 考えても分からない。神様に貰った体には、期限があった。ずっと悩んでいるわけにはいかなかった。ボクは、教えてくれる人を捜すことにした。

 女の子達の微かな記憶を頼りに、ボクはあちこちを探した。『キレイな形』を作る人を。朝焼けと、夕暮れ。限られた期限の、もっと限られた時間の中で、ボクは探した。声を掛けた。
 ……でも、誰もボクの言うことを聞いてはくれなかった。ボクが見ていると言うだけで、走り去る人、声を掛けて、笑う人……。
 哀しかった。せっかくもらった機会なのに、結局叶えられないの? ボクは、夕暮れの空と、透明になっていく自分の体を見つめながら、いつも泣いていた。

 そして、期限ぎりぎりの、ある朝。
「あの人」に会えた。
 あの人も最初は逃げちゃったけど、ボクには分かってた。この人なら、きっと教えてくれるって。なんでだろう? あの人の『空気』かな? あ、なんだかあったかいな……そう思った。

 そしてやっぱり、「あの人」は、優しく教えてくれた。
 みんなが思い描いた形で、地面に吸い込まれていくおしっこ。

 どうしてか、ほてるからだ。
 あそこに添えられた、あの人の、熱い手。
 荒くなっている、自分の息。
 首筋に感じる、あの人の熱い息。
 どきどきする、胸。
 背中から伝わる、あの人の鼓動。
 肩越しに見た、あの人のあったかい笑顔……

 ……全部がからだをぐるぐると混じり合ってた。
 想いが叶った。
 これで良いはずなのに、
 これが、目的だったはずなのに。

 消えていく……消えていく……
どんどん、どんどん、みんなの『想い』が離れていく。ボクへの、感謝の言葉をのこして。
 けれど、ボクはなんだか哀しかった。そう。『女の子達みんな』じゃなくて、『ボク自身』が。
『寂しいなぁ……哀しいなぁ……悔しいなぁ……』
 ボクは、かけらほどに小さくなった魂で、つぶやいていた。
 それまでの想いじゃない。もう、あの人に会えない。……そのことが哀しくて、悔しかった。
『寂しいなぁ……哀しいなぁ……悔しいなぁ……』
 何度かその言葉を呟いたとき、ふと、真っ暗になっていた視界に、光が満ち始めた。

「……どや? 調子は?」
 光の中、一際まぶしい光が、人の形を作っている。
 ……神様だ。
「……その様子やと、うまいこと行ったみたいやな。これで満足やろ?」
「………………」
うんうんとうなずく神様に、ボクは、今の気持ちをなんて言って良いか分からずに、黙っているしかなかった。
「……どないした? なんや、辛気くさい顔しとるな? それ以上、思いのこすことでもあるんか?」
「………………」
 言えない。『好きになった人がいるから、ちゃんとした人間にして欲しい』なんて。
「『好きになった人がいるから、ちゃんとした人間にして欲しい』やて?」
「えっ……?! どっ……どうして……?」
「アホ! ワシをなめたらあかんど! こう見えても、神やねんぞ!」
 むっつりと怒ったような顔で、神様が言う。ボクは、思い切って言った。
「…………はい。そうです。神様! お願いです! ボクを……ボクを人間にして下さい!! このまま消えたくないです! あの人のことを忘れたくない! ボク、あの人の所へ行きたいんです! あの人の側で生きたいんです!! ムチャを言ってるのは分かってます! でも! お願いします!!」
 ほとんど消えかかったかけらの心で、ボクは叫んだ。ほんとうにムチャクチャで、勝手なことは分かってる。でも……!

 あの人の側へ行きたい。あの人の側で生きたい。行きたい 生きたい 行きたい 生きたい 行きたい 生きたい 行きたい 生きたい 行きたい 生きたい 行きたい 生きたい 行きたい 生きたい いきたい いきたい いきたい いきたい いきたい いきたい いきたい いきたい いきたい……

 その時のボクが泣けたなら、きっとぽろぽろと泣いていただろう。かけらの心の全てで、ボクはお願いを繰り返した。

「……一生懸命、生きるか?」
 ゆったりとした、神様の声がした。
「……え?」
「人間になったら、一生懸命生きるか、って聞いとるんや」
「……はい!」
「粗末にせえへんな?」
「はい!」
「しんどいかもしれへんぞ?」
「はい!」
「力一杯生きるな?」
「……はい!」
「よっしゃ!! よう言うた!! 命を粗末にする連中が多い中で、その心意気はあっぱれやな。特例中の特例じゃ! その願い、叶えたろ!」
 膝をばんっと叩いて、神様は言い切った。根負けしたような顔をしてるけど、その目はとっても優しかった。
「うわーい!!」
 嬉しかった。本当に嬉しかった。飛び跳ねられるなら、そうしたいぐらいだった。けれど神様は、急に神妙な顔になって言葉を続けた。
「せやけど、問題はアレやな……魂や。体は……まぁさっきまで使こてたのんを、本チャンに使うとして……今のお前の魂、明らかに足らへんわな。寄せ集まってた『念』が、散ってもうたもんな……こいつの今の心を生かして、魂を作ろう思ったら……おっと、そないに心配せんでええ。うーん……せやなぁ……」
 腕組みをして考えていた神様は、ふと何かを思いだしたように、ぽんっと手を叩いて、すぐそばの何もない空間に声を掛けた。
「せや! ……おい! そこのお前! ちょっと来いや!」
「……はい……お呼びですか?」
呼ばれて現れたのは、一人の天使。きらきらと輝く羽が、とってもきれい……。
「お前、前に『人間界って、面白そう』っちゅうとったわな?」
「えっ……」
 にこやかな顔が、一瞬こわばる。どう答えて良いのか分からないといった風に、視線が宙をさまよい始める。その様子を見て、神様は少し笑ってから続けた。
「まぁそう慌てるな。誰も怒れへんって……。いやな、ここにワシがどうしても人間にしてやりたい仮の魂があるんや。せやけど、ちゃんとした魂にするには、不完全や。一から作ると、今あるコイツを生かされへん。で、や。お前の魂……こいつに与えてくれへんか? 天使の心は、何にでもなれる、キレイな心や。一緒になったら、天使としてのお前はなくなるけど、人間になれるで。……どや?」
「お願いします!」
 一生懸命にボクもお願いした。
「…………」
 しばらく、びっくりしたように目をパチパチさせていた天使さんは、にっこり微笑んで返した。
「ええ、良いですよ」
 耳も目もない魂のかけらのボクだけど、その言葉は確かに響いた。
 嬉しい……ほんとうに嬉しい……。ボクは全てを震わせて、思い切り喜んだ。
「おっしゃ! 決まりやな! ま、ちーと魂が大きゅうなるけど、ええやろ。心の豊かな、ええ娘になれるわ!」
 もう一度膝をばんっと叩いて、神様も嬉しそうにうなずいた。

「さぁて……後は、人間界の様子やな。調べたろか……」
 神様は、下の方へ視線を巡らせ、そして、ため息と共に続けた。
「……なんや、ややこしゅうなったのう……ワシの奇蹟を、素直に受けられへんとは……。戸籍やら経歴やら、面倒なモンが要るモンやのぉ……。まぁええ、どないとでもなるわ。ほんなら、後は、惚れた男の事も見といたるか……」
 『あの人』の笑顔が横切る。あぁ……もうすぐあの人の所に行けるんだ……。
 そわそわしているボクを見てか見ずか、神様は苦笑いで言った。
「あらら……なんとまぁ……なんちゅーか、若さにかまけて、無茶やっとる奴の典型みたいやな……ロクなモンすら喰うとらへん。そのうち、ブッ倒れるんとちゃうやろか……」
「えっ……?」
 『倒れる』という言葉に、ぶるりと震えるボクへ、神様が慌てて言う。
「せやから、心配すなって……きっちり飯を喰うてへん……ちゅうこっちゃ。よっしゃ! お前があいつにメシ作ったれ! できるようにしといたる。大サービスじゃ!」
 ボクの方を向いて言うその顔は、困っているようで、やっぱり優しかった。

「これで、全て問題なしやな。……ほな、しっかり生きぃよ」
「はい! ほんとうに……ほんとうに、ありがとうございました!」
「……達者でな」
 そして神様は、ぱちり! と指を鳴らした。




 さわさわ……
 風を感じる。ボクの体を通り過ぎることなく、確かに、ほほをなで、髪をとかして過ぎて行く。
 ゆっくり、目を開ける。『あの場所』だ!
 足元を見る。しっかり、地面に立ってる。それまでの、ふわふわした感じじゃなくて、しっかり、体の重さを感じる。
 顔を巡らせる。朝焼けの空、透き通る、紫と赤。
 目の前には……あぁ……『あの人』の背中がある!

 ボクは、朝の空気をいっぱいに胸に吸い込んで、いっぱいの想いを込めて、声を掛けた。

「せーんせっ!!」