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『中級立ちション講座・夏期特別補講』(1)

Act.1

「…………」
(カタカタカタ……)

「…………!」
(カタカタカタカタ……)

「……ふぬぅぅっ!!」
(カタカタカタカタカタ……)

「……うがぁぁっ!」
(カタカタカタカタカタ……ピーッ!)

 エラーのビープ音が鳴り響いて、俺は我に返った。
「あちゃぁっ……」
 そこで改めて画面を見る。作成しているはずの書類は、わけの分からない文字で埋め尽くされ、中央には、無茶な操作をしている旨のエラーメッセージが表示されていた。
「(……しまった……元に戻すの、面倒だなぁ……)」
 俺は、皮がめくれてまだらになってしまった鼻っ柱をかきながら、また一匹、苦虫を噛みつぶした。

 断っておくが、いつもの俺の勤務態度は、こんなのじゃない。何でもそつなく、とは行かないが、ま、それなりってやつだ。ただ、今のこの気分には、れっきとした理由がある。

 この間の月曜日、例の筋肉痛と日焼けで身動きができずに、俺は欠勤した。その翌日は出社したが、案の定、鬼係長の雷を受けることになった。どんなにきつい雷でも、それがその日だけだったなら、俺も何も言わない。なんせ、欠勤したのは、病気じゃなくて、遊びが原因なんだから。
 が、しかし、だ。それから日が過ぎて、再び週末になろうというのに、奴―愚痴を言うのに、肩書は要るまい―の攻撃はまだ降りかかってきた。それも、陰湿さを増して。思い出すとまた腹が立つから、殊更(ことさら)に列挙することはしないが、ほとんどイジメだぜ、ったく……。

「はぁー……」
 大きなため息が一発。机の上の書類を、はたはたとなびかせた。

「辛気くさい顔してるな。友部君」
「おわぁっ?!」
 そんな声と共に、ばんっと背中を叩かれた。ため息で気が抜けていただけに、びっくりして大きな声を出してしまう。俺は慌てて、周りの同僚に、目で詫びた。

 俺の心臓を一瞬止めたのは、ひょろりとした、痩せ眼鏡の社員だった。痩せてはいるが、しゃっきりと背筋は伸び、草色の三つ揃いスーツを、ビシリと着こなしている。
「あ……諏訪さん。脅かさないで下さいよ……」
 彼の名は、諏訪 泰(すわ やすし)さん。歳は俺より一回り上の、三十路折り返し過ぎ。俺の入社当時から散々世話になり、俺が社内で最も頼りにしている人だ。それは、俺の同期連中も同じで、とにかく、下からの信望は厚い。
「ぼーっとしてる君が悪いのさ。ところでその調子だと、まだ係長にいびられてるのか?」
 諏訪さんは、眼鏡の奥の細い目を少し意地悪くゆがめ、訊いてきた。
「ええ……。確かに欠勤したのは俺の身勝手ですが……いくら何でも、しつこすぎますよ……」
さらに一匹、口の中の苦虫を噛みつぶす俺に、
「ふふっ……まぁ、許してやれよ。そうやって威張るしか、あの人は存在理由を証明できないんだから」
聞こえよがしな声で、諏訪さんは返した。特に後半部分を強調して。
 一瞬、社内の空気が凍り付く。

 そうなのだ。コレがこの人の最大のポイントだ。一言居士(いちごんこじ)と言おうか、歯に衣着せぬと言おうか、皮肉屋と言おうか……。言うことは逐一的を射ていて、間違っちゃいないと思う。ただ、言い方が直接的だから、分かりやすい一方で、反感も買いやすい。俺も、この人に説教を喰らうと、他から喰らうよりも落ち込んで、憂鬱な気分になる物だ。そしてその物言いは、いましがたのように、上司に対しても同じなのだ。ゆえに、上からは徹底的にマークされている。肩書も、いまだにヒラのまま。……理不尽だよな、会社って……。ひいき目も入っているとは言え、何となく割り切れない物を感じるのは事実だ。

「で……何スか? 諏訪さん」
 椅子から立ち上がり、俺は諏訪さんと向かい合った。彼の背は、俺より少し高いから、少し見上げる目線になる。
「いや、そんなにかしこまるな。仕事の話じゃない。どうだ? 今日、飲みに行かんか?」
ビアジョッキを持つ仕草をしながら、諏訪さんの顔がほころんだ。
「え? ……あの、お付き合いしますけど、なんでまた?」
「飲みに行くのに、理由が要るか? ……ま、しいて言えば、君がここ数日、あんまり辛気くさい顔してるんでな。景気づけだよ」
俺の肩をバンバンと叩きながら言う。……余計な心配、かけちまったな……。
「お心遣い、有り難うございます。……で、どこへ行きます?」
飲むのは好きだからな。断る理由はない。一礼して、訊ねた。
「駅前のデパート、今、屋上でビアガーデンやってるだろ? あそこにしよう」
「分かりました。……じゃあ、ちょっと待って下さい。家に連絡しますよ」
スーツのポケットから携帯電話を出そうとする俺に、
「あれ? 友部君、一人暮らしじゃなかったっけ?」
意外そうな、諏訪さんの声。……そうだ、ゆーきのことは、誰にも言ってないんだよな……。
「君の結婚って話は聞かないから……何? 彼女と同棲?」
「えっ……ええ……まぁ……そんなもんです」
 端から見れば立派な同棲なんだから、疑いようのない事実なんだが、ストレートに言われると、照れるな……。
「友部君も、隅に置けないねぇ。そうだ、彼女も呼んだらどうだい? 夜を一人寂しく過ごさせるのも、酷な話だろ? それに、君に惚れる娘と言うのも、見てみたいしな」
にんまりとした顔で言う諏訪さん。
「ひ……一人寂しい夜って……どういう意味ッスか……それ……」
「えっ? 私、何か変な事言ったかな? ……ふふふっ……」
……しまった、乗せられてしまった。ともかく、そうだな。たまには、いいか……

(ぷるるるるっ……ぷるるるるっ……ぷるるるるっ……かちゃっ)

『はい! 友部です!!』
 元気いっぱいの声が頭を突き抜ける。
「ああ、俺だ。潤一だ」
『あっ! ちょうど良かったよ。ボク、今からお買い物に行こうと思ってたんだ! 晩ごはん、何がいい?』
 毎度毎度の嬉しそうな声。疲れたところには、すがすがしいと言おうか……。
「それなんだけどな。今日、晩飯の支度はいいよ。外で喰うから」
『ええぇーーっ! そんなぁ……』
受話器越しにその表情がはっきり分かるぐらいに、落胆した声に変わる。俺は、くすりと笑ってから言った。
「まぁ最後まで聞けって。会社の先輩とビアガーデンに行くんだけど、お前も来いよ。一緒に喰おうぜ」
途端に、
『えっ?! いいの? うわーーーい!!』
隣の席の同僚に聞こえるぐらいの弾けきった声。再び周りを見渡して、もう一度、軽く目で詫びる。
「で、待ち合わせだけどな……」
言いかけて、ちらりと諏訪さんを見る。
「会社のそばの駅に、六時半って所が良いんじゃないか? 友部君の家、確か電車で三十分ほど掛かったよね?」
さりげない諏訪さんの心遣いに、目で礼をしてから、ゆーきに続ける。
「会社の近くの駅、分かるな? そこに、六時半だ」
『うん! わかった! ありがとう! 潤一さん!!』
「ああ。じゃ、な」

(ぴっ……)

「ふふふ……元気な彼女だな」
 からかうように言う諏訪さん。確かに、毎度毎度の微笑ましさだが、人に見せると、これもまた、恥ずかしいもんだな……。
「まったく。受話器の向こうでバンザイしてる姿が目に浮かびますよ……」
「ふふふっ……」
 また一匹、少し甘めの苦虫を噛みつぶす俺に、彼は、楽しそうな微笑みで返すのだった。




 夏と言うこともあって、夕方になってもまだ日は高い。これがもし冬だったら、今の時間は『暗いから、一人で外行くのやだ』……と、絶対迎えに行かなきゃいけないところだ。

 ……にしても、週末の駅前ってのは、毎度の混み具合だぜ。ゆーきの奴、迷わなきゃいいが……。
 ……おっ、いたいた。向こうも俺に気づいて……おいおい!
 ゆーきは俺を見つけるや、一目散に駆けてきた。そして、三段跳びよろしく……

(とっ、とっ、たんっ……)

「潤一さん、みーっけ!」
俺の首筋に飛びついてきた。
「恥ずかしいから、やめろってばよ……!」
よいしょ、とゆーきを降ろし、照れ隠しの咳払いを一つ。……当たり前だが、周囲の視線が痛い。
「友部君……」
 声に振り返ると、あ然とした顔の諏訪さん。いきなり恥ずかしいところ見せちゃったな……。ちょっと言い訳をしようとしたところに、ぼう然とした声がかかる。
「君……いくら何でも、中学生に手を出しちゃ、まずいんじゃないか?」
「はい?!」
俺の腕に抱きついて遊ぶゆーきと、諏訪さんの顔を見比べ、俺は、素っ頓狂な声を上げてしまった。
 まぁ、そう見えるんだろうな。中学生の男の子って言っても、下手すれば通じそうだもんな……。俺は慌てて返した。
「ああ、こいつ、こう見えても十七なんですよ。断じて中学生じゃないです」
「え? そうなんだ! 最近の女の子って、歳より上に見えることが多いけど、その逆も有るんだね……。それにしても、二人並んでると、恋人と言うより、きょうだいみたいだな……」
俺の視線に、冗談でないことを悟った諏訪さんは、フムフムと驚きながらうなずいた。
「ほらゆーき、ご挨拶! この人が、会社の先輩の諏訪さんだ」
 ゆーきを腕からひっぺがし、諏訪さんに向き直させる。
「はじめまして! ボク、ゆーき、神原有紀です! いつも潤一さんがお世話になってます!」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。うん、ちゃんと挨拶できたな。偉い偉い。ちなみに、『神原 有紀(かんばら ゆうき)』という名前は、ゆーきの、対外的な漢字名だ。
「はははっ……『ボク』か。元気があって、いい子だな。友部君」
そう言って、諏訪さんは優しく笑った。
「えっ……ええ……」
 相づちを打ちながら、俺は少し驚いていた。……この人のこんな顔、俺はあんまり見たことがないからだ。

「じゃ、行くか。友部君、神原さん……いや、ゆーきちゃん……うーん、なんだか、『ゆーき君』の方がしっくりくるなぁ。そう呼んで、構わないかい?」
「ええ、構いませんよ」
「うん! いいよ!」
 ゆーきはすでに、ていねい語を忘れている。でもまぁ、堅苦しいのはこいつには似合わないからな。諏訪さんには悪いが、辛抱して貰おう……。
「この子に敬語を求めたりはしないよ。あ、誤解しないでくれよ。悪い意味で言ってるんじゃない。堅苦しいのは、無しにしようってことさ」
と、そこへ、俺の心配を見透かすような、諏訪さんの声がした。さすがだ……。

「じゃ、改めて、行こうか。友部君、ゆーき君!」
「はい!」
「はーい!」